遍路巡礼11番〜20番

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
鶴林寺には6月10日に訪れました。

立江寺から車で約45分ぐらいかかります。



二十番札所 鶴林寺


鶴林寺の歴史・由来

標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781?806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573?92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。




駐車場がお寺の下の方にあり少し歩かないといけません。
上り坂になっています。



山門です。

凄く雰囲気のいい山門で今まで行ったお寺の中で一番気に入ってます

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仁王さんの代わりに鶴がいました。

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山門を入ってすぐはこんな感じの風景です。

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緑の木々や花などを見ながら参道を歩きます。

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夏でも紅葉してる木があるんですね

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建物の所まで着きましたが左側に見えるのは本堂ではありませんでした

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ここで手を清めます。

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この階段を上がったところに本堂があります。

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本堂です。
ここでもしっかりお経を唱えました。

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ここにも鶴がいました。

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境内にもつつじが咲いていて綺麗でした

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大師堂です。
こ先程も書いたように本堂の下に本堂で参拝した後に降りてきて参拝します。
こちらでもお経を唱えました。

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ピカピカでした。
みなさん撫でまくってるのでしょう。私も撫でてきました。

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お大師様です。

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不動明王です。

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納経所です。
大師堂の隣にある建物です。

ご朱印を書く方がみなさん女性でとても感じのいい方でした。
色々、質問しても嫌な顔をせず丁寧に答えてくれました。
ありがとうございました

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ご朱印です。

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この建物、何かなぁと思って納経所の方に聞くと宿坊とのことでした。
以前は宿坊もあったそうですが今はやってないとのことでしたが
台風とかそういうのがあると一般開放もされているそうです。

なのでたまに窓を開けて空気を入れ替えたり布団を干したりしてるそうです。

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一言メモ
雰囲気抜群のお寺です。古いお寺ですが素敵でした。
私は鶴林寺大好きです
納経所の方もみなさん優しい方です。

こちらは駐車場代金を納経所で払うのですが、300円を払うと交通安全のお守り
ステッカーを頂けます。
私は車に貼らずに家で保管しています。

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鶴林寺の見どころ

波切り地蔵・地蔵菩薩立像
本尊で、国の重要文化財。暴風雨で難破しそうになった船を導いてくれた伝説がある。
鶴林
釈迦が入滅の際に、沙羅双樹の葉が鶴の羽のように白くなった伝えから、
釈迦の涅槃をも意味する。
丁石
室町時代の年号を刻んだ丁石が、麓から遍路道沿いに11基残っている 。
1丁は約109メートル。徳島県最古。





鶴林寺へのアクセス

  • JR徳島駅前から国道55号線を南へ。江田町交差点を右折して県道16号線を勝浦川沿いに走ります。大イチョウの木が見えたら、標識に従って左折します。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
立江寺には6月10に訪れました。


十九番札所 立江寺

十八番札所の恩山寺から車で約15分ぐらいの所にあります。



立江寺の歴史・由来

高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建された。勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。弘仁6年(815)、弘法大師が当寺を訪れ、このご本尊を拝した。大師は、あまりに小さなご本尊なので、後世になって失われる恐れがあると、自ら一刀三礼をして新たに像高1.9メートルもある大きな延命地蔵像を彫造され、その胎内に行基菩薩が彫ったご本尊を納められた。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。
「天正の兵火」(1575〜85)では立江寺も逃れられず、壊滅的な打撃を受けた。だが本尊だけは奇しくも難を免れている。のち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。また、昭和49年の祝融の災にもご本尊は救い出されている。昭和52年に再建された本堂の格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授等により花鳥風月などが描かれており、観音堂の絵天井とともに昭和の日本画を代表する文化財であると高く評価されている。寺伝の「釈迦三尊図」は、国の重要文化財指定品である。 邪悪な心を裁く関所寺の半面、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれている。




山門です。

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山門に入ってすぐに見える境内の景色です。

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まずはここで手を清めます。

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鳩が飛んで来て私に近寄ってきました。
エサが欲しかったんでしょうね。
あいにく何もエサになるような物を持ってなかったのであげませんでした。


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本堂です。

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ここでもちゃんとお経を唱えました。

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本堂の方に、賽頭虚尊者と寿老人が置いてありました。

こちらは賽頭虚尊者です。

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寿老人です。

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修行大師と握手してきました。

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大師堂です。

こちらでもちゃんとお経を唱えました。

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お大師さまです。

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聖龍美観音です。

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境内の中に小さい小屋があり売店となっています。
お守りや納経帳など遍路でいるような物も売られています(ろうそくや線香も)

ここで家族が白い袖なしの白衣(しっかりした生地のポケットが沢山着いたベストを
購入しました。
売店のおじさんは愛想いいです

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納経所です。この建物も左の方です。
写真で見ると右側になります。

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納経所の方、最悪でした

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ご朱印です。

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ここでもおみくじを引きました。

大吉でした

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一言メモ

駐車場から少し離れています。有料で300円かかります。
ちなみに・・・ 山門の近くに民間の方がやってる駐車場がありました。
こちらは200円です。
こちらのが近いのでお勧めしますが何台は停めれません。
山門の近くにあることを知らなかった私は少し離れたところの駐車場に停めました。

納経所のご朱印を書いてた男性・・・ 最悪でした
かったるそうに書いた後にいきなり立ち上がりその場でタバコを吸いだしました
見えない場所まで移動して吸って欲しかったです。

まさか住職ではないと思うのですが、坊主頭でしたし・・・
ご朱印を書くだけの仕事として雇わられてるとしてもちゃんとしてほしいものです。

今まで行ったお寺の納経所で一番ダメな方です






立江寺の見どころ

肉付き鐘の緒の黒髪堂
大師堂右手にある小祠。不義をしたお京という女がこの寺に詣り懺悔すると
、お京の髪の毛が逆立ち、鐘の緒に巻き上げられて残ったという伝説のお堂。
白鷺橋
寺の手前。行基菩薩が白鷺に暗示をうけたと伝えられる橋。






立江寺へのアクセス

JR南小松島から西へ進み日開野町交差点で左折して国道55号線を南へ。標識に従って右折し、道案内に従って進みます。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
恩山寺には6月10に訪れました。


十八番札所 恩山寺

十七番札所の井戸寺から車で約一時間ぐらいの所にあります。




恩山寺の歴史・由来


小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。縁起をたどると、創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されていなかったのである。延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。だが、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて17日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが、江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し、現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物である。境内には玉依御前を祀る小堂があり、母君に孝養をつくして、大師が植樹した「びらんじゅ」は、県の天然記念物にもなっている。母君を慕いつくした大師のこころが、いまも宿っているような寺である。






駐車場に着くと綺麗な紫陽花が迎えてくれました


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駐車場からの参道です。5分程で到着します。

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この階段を上がると到着です。

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本堂です。

こちらでもきちんとお経を唱えました。

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大師堂です。
ここでもきちんとお経を唱えました。

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お大師さまです。

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納経所です。

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ご朱印です。

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実は境内でこういうのを何度も目にしまして・・・

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見るごとにどんどん気になってしまった私

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摺袈裟 悪い事を良い事に変えるというお守り 
恩山寺でしか購入できないのならばと思い
納経所でご朱印を頂いた後に購入しました。ちなみに700円でした。


ご利益がありますように

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一言メモ
駐車場に咲いている紫陽花がとて綺麗でした。
納経所の女の方はみなさん愛想が良かったです。
摺袈裟の事を詳しく説明してくれました。





恩山寺の見どころ

玉依御前の剃髪所
大師堂の手前。「大師御母公剃髪所」の石碑と小さなお堂が建ち、
また、大師作と伝えられる「御母公像」、母君の髪の毛が安置されている。

弘法大師像
大師自ら彫造した像で、現在、大師堂の本尊とされている。


「源義経上陸の地」石碑
境内の山裾にあり、近くの神社に義経が弓を引く銅像が立っている。





恩山寺へのアクセス

JR南小松島から西へ進み日開野町交差点で左折して国道55号線を南へ。標識に従って右折し、道案内に従って進みます。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
井戸寺には5月22日に訪れました。


十七番札所 井戸寺

十六番札所の観音寺から車で約15分かかります。




井戸寺の歴史・由来

7世紀後半の白鳳時代は、清新な日本文化が創造された時期で、律令制もようやく芽生えて、阿波の国にも国司がおかれた。この国司に隣接して、天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は広く八町四方、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。

ただ、南北朝時代以降の寺史は激変する。まず貞治元年(1362)、細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し、次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661)であった。 七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多い。







山門です。
仁王門の大わらじが有名みたいですが撮るの忘れました
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本堂です。

こちらでもきちんとお経を唱えました。

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撮影NGではなかったので撮らせていただきました。

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大師堂です。

こちらでもお経を唱えました。

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日限大師です。

こちらで水を小さな入れ物に入れて売ってるおばさんがいたのですが
「お賽銭100円入れたのならこの井戸水を持っていきなさい」と言われて
100円も賽銭してないので断ったら不機嫌な様子でした

私の前にいた人は無理矢理100円賽銭したような感じでした。
その方が「違う入れ物にもって帰りたい」と言うと「この入れ物以外はダメ」と言われ
渋々、小さな入れ物に入った井戸水を持って帰ってました。

ちなみに・・・ 井戸の水は濁っていて飲めるような感じに見えなかったのですが
大丈夫なんでしょうか?

違う事で色々、井戸水についておばさんに質問したら困った顔をして
答えてくれませんでした

井戸の近くに蛇口を付けてそこから井戸水を出してる感じでした。

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大師が掘った伝説の井戸で、覗き込んで自分の姿がうつれば無病息災、うつらなかったら3年以内の厄災に注意しなければいけないそうです。
無事に私も家族も姿がうつりました


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お大師さまです。

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納経所です。

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ご朱印です。

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こちらでは、つつじがまだ綺麗に咲いてました

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おまけ

こちらで、おみくじを引いたら私は大吉でした

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家族は中吉でしたが書いてる内容がいまいちだとぶつぶつ言ってました(笑)

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こちらでお守りを購入しました。
願いが叶うといいなぁ

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一言メモ

駐車場がわかりにくいです。お寺のすぐ隣にあるのに後で気付いて
ガックリしました。

倉敷から数人のグループの方が先達さんを雇い遍路に来てたのですが、
この先達さんが凄い感じの悪い方で大きな声で話しているのが聞こえてきて
山門を見て「この建物は何に見えますか?」とみんなに質問してみんなが考えて
答えても先達さんは納得せず「この建物は竜宮城に見えるでしょう!」と
強制的な感じで怒りながら言っていてみんながかわいそうでした。
お金を払って雇ってるのにあんなに嫌な感じの先達さんなら巡礼するの
嫌になると思います。 
気の毒でした。







井戸寺の見どころ

面影の井戸
大師が掘った伝説の井戸で、覗き込んで自分の姿がうつれば無病息災、うつらなかったら3年以内の厄災に注意する。
日限大師
石造の大師像で「水大師」ともいわれる。5日、7日などと日数を限って日参すればご利益ありといわれる。
仁王門
阿波10代藩主・蜂須賀重喜公が大谷別邸から移築し寄進した門。





井戸寺へのアクセス

藍住インターチェンジから県道1号線を蔵本町方面へ行き、NTT徳島西営業所ちかくの交差点を右折。約2km先で標識に従って左折。あとは道案内が出ています。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
観音寺には5月22日に訪れました。


十六番札所 観音寺

十五番札所の国分寺から車で約10分ぐらいの所にあります。



観音寺の歴史・由来

寺に伝わる宝物に『観音寺縁起』一巻がある。巻末に「享保十乙秋穀旦 南山沙門某甲謹書」の署名があり、享保10年(1725)に高野山の僧が筆写したことがわかる。その冒頭で「南海道阿波国名東郡観音寺邑 光耀山千手院観音寺縁起」と書き出し、観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にしたこと、また脇侍像に悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を刻んだことや、徳島藩主の蜂須賀綱矩公が新築・移転に協力したことなどの寺史が詳しく記されている。この『縁起』とは別に、寺伝では聖武天皇(在位724〜49)が天平13年、全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。

その後、他の阿波各地の霊場と同じように栄枯盛衰の運命を歩み、「天正の兵火」(1573〜92)にも罹災、蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659)に宥応法師によって再建され、現在に至っていると伝えられる。大正2年ころ、両親につれられて参拝した盲目の高松伊之助さんという方が、本尊のご利益により目が見えるようになり、松葉杖を奉納したはなしが語りつがれている。遍路道に面した和様重層の鐘楼門は、むかしの面影を残し堂々とした風格がある。




鐘楼門です。

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本堂です。
しっかりお経を唱えました。

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大師堂です。
こちらでもお経を唱えました。

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お大師様です。

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古いのかボロボロになってました

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納経所です。

普通の民家っぽい感じでした。
境内の外にあります。

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ご朱印です。

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一言メモ

ここもこじんまりとしたお寺でした。
私は見落としてしまったのですが、夜泣き地蔵尊モチの木(昔、激しい雷に打たれても倒れなかった)があるようです。

納経所のおばちゃんが面白い方で、この日は暑かったのですが納経所は冷房を
まだかけてなかったようで、おばちゃんが一言大きな声で「暑い〜」と言っていて
思わず笑ってしまいました。
するとおばちゃんは「遍路さんのが大変で暑いのにごめんね」と言って笑ってたので
「今日は暑いですよね」と言うと「暑いね」という会話をしました。
気さくなおばちゃんでした。

ここの納経所の隣におそらく住職が住んでる家かと思われるのですが
BMWが数台停まってました。車が好きな私としてはうらやましかったです。





観音寺の見どころ

夜泣き地蔵
子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊で、子供の病気平癒、健康と成長を祈願する。ご利益をあずかったお礼にと、何枚ものよだれかけが奉納される。
絵馬
炎に包まれた女性が描かれた奉納額で、本堂内に掲げられている。明治時代にあった遍路の実話という。
天狗久
人形浄瑠璃の人形師名。国府町は人形師を多く輩出している。






観音寺へのアクセス

藍住インターチェンジから県道1号線を徳島市内へ行き、国道192号線と合流すると石井町方面へと走っていると看板があるので、それに沿って県道123号線へ。

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