遍路巡礼41番〜50番

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4月下旬のGWから始めた遍路です。

繁多寺には7月10日に訪れました。





五十番札所 繁多寺

お寺の読み方は「はんたじ」と言います。

四十九番札所 浄土から車で約8分ぐらいの所にあります。



繁多寺の歴史・由来

寺は松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望できる高台にあり、のどかな風情の境内周辺は、美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されている。
縁起によると、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により、行基菩薩がおよそ90cmの薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ、「光明寺」と号された。弘仁年間(810〜24)、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留された際に「東山・繁多寺」と改め、霊場とされた。
その後、寺は衰微するが伊予の国司・源頼義や僧・堯蓮らの援助で再興、弘安2年(1279)には後宇多天皇(在位1274〜87)の勅命をうけ、この寺で聞月上人が蒙古軍の撃退を祈祷している。また、時宗の開祖・一遍上人(1239〜89)が青年期に、太宰府から伊予に帰郷した際、有縁の寺に参籠して修行した。上人は晩年の正応元年(1288)、亡父・如仏が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納されている。

また、天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、応永2年(1395)には後小松天皇(在位1382〜1412)の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっている。こうした縁から寺には16弁のご紋章がついた瓦が残っている。
さらに江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀るなど、寺運は36坊と末寺100数余を有するほどの大寺として栄えた。






山門です。

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境内に入ってすぐ見える景色はこんな感じです。

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手水舎で手を清めました。

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鐘つき堂です。

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鐘つき堂の天井絵です。

元禄の鐘をそのまま利用して再建された鐘つき堂があります。
これは中国において孝行が特に優れた人物24名を賞して、後世の模範とした
「二十四孝」をモチーフに描かれたものです。

色鮮やかで綺麗でした

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本堂です。
こちらでもしっかりとお経を唱えました。

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大師堂です。
こお経を唱えました。

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境内を散策しました。


歓喜天堂です。

天和年間(1681〜1684)。名僧・龍湖が住職となる。
徳川家の帰依をうけることになり、寺運は大いに栄えた。
この時に、第四代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀った。
本堂の左手にある歓喜天堂は、平成18年に再建されたもの。
厄除けや商売繁盛、合格祈願に多くの人が訪れています。

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弁財天です。

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松山市街を見渡せます。

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藤の花が咲く頃に来ると綺麗だろうなぁ

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近くまで行くと・・・ 藤の花の実がまるで豆のようでした
一般的には有毒とされてるそうなので食べれないみたいですね

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納経所です。
女性の方が対応してくれました。おっとした方で「ごくろうさま、お気をつけて」と言って頂きとても感じのいい方でした
ひとことそういう風に言って頂くだけでも癒されますよね

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ご朱印です。

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一言メモ
境内の中は広いなぁという印象を受けました。
ただ、沢山の見所もないのでそういう意味では少しさみしい感じのお寺でした。
毘沙門天堂があったみたいですが私は見逃しています
次回、逆打ちで訪れた際には毘沙門天堂にも訪れてみたいと思ってます。






繁多寺の見どころ

一遍上人
伊予の名門、河野通広の次男として生まれ、
10歳のとき出家、のち全国を行脚し
「遊行上人」「捨聖」と呼ばれた。
歓喜天像
本堂左手の聖天堂に安置。祈れば富貴を与え、
厄除け、夫婦和合、商売繁盛などのご利益があるという。
接待一万人の石柱
山門前にある寺名の石柱裏側。
10,000人のお遍路接待を成就した記念碑。






繁多寺へのアクセス

松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ。天山交差点を右折し、環状線に入ります。枝松交差点を越えた一つ目の交差点を右折し、約1km走ります。バス停畑寺を越えてさらに600m入ると正面にあります。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
浄土寺には7月10日に訪れました。





四十九番札所 浄土寺

お寺の読み方は「じょうどじ」と言います。

四十八番札所 西林から車で約10分ぐらいの所にあります。



浄土寺の歴史・由来

境内入口に正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。浄土寺は空也上人(903〜72)の姿がいまに残る寺である。腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、「南無阿弥陀仏」を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かぶ。道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖である。
この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749〜58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668〜749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創された。法相宗の寺院だったという。のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗した。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどであった。

空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。
本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。







仁王門です。

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仁王門の近くに仏足石がありました。

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境内に入って見た景色です。

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まずは手を清めました。

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です。

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本堂です。
ここでもしっかりとお経を唱えました。

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大師堂です。
こちらでもお経を唱えました。

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境内を散策しました。


阿弥陀堂です。

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観音堂です。

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納経所にこちらから行きます。

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納経所に行く途中で七福神の石像がありました。

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綺麗な花も色々咲いてました

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納経所です。
女性の方が対応してくれました。
「ごくろうさま」と声をかけてくれてとても感じのいい方でした

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駐車場費を毎月払っているとのことでしたので小型車なので100円を払いました。

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ご朱印です。

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一言メモ
こじんまりとしたお寺でこれと言って見所もない感じでした。







浄土寺の見どころ

空也上人像
国指定重要文化財。像高121.5cm、木造、玉眼。口元から六体の阿弥陀小化仏を吐いている。本坊の庭に2代目の空也松。
落書き
本堂厨子に室町時代から江戸時代にかけての落書きがあり、貴重な歴史史料。
三蔵院
浄土宗の開祖・法然上人、1世・聖光上人、2世・良忠上人の自作像が安置されていた。この三像は昭和20年の松山空襲で出開帳先の寺で全焼している。





浄土寺へのアクセス

松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ。天山交差点を右折し、環状線に入ります。枝松交差点を右折し県道40号線を川内方面へ。約3km走り、左折すると正面に見えます。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
西林寺には7月10日に訪れました。





四十八番札所 西林寺

お寺の読み方は「さいりんじ」と言います。

四十七番札所 八坂から車で約12分ぐらいの所にあります。



西林寺の歴史・由来

寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。

このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。








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仁王門です。
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境内に入ってすぐに見える光景です。
真っ直ぐ歩いて行くと本堂があります。

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まずは手を清めました。

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本堂です。
ここでもしっかりとお経を唱えました。

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大師堂です。
こちらでもお経を唱えました。

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境内を散策しました。



です。

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すいません。下の三枚の写真、データを残してなかったので
建物が何だかよくわからない状態になってしまい建物の名前がわからなくて
すいません<(_ _)>

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休憩する所もありました。

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納経所です。
民家のような所へ案内板が出てるで行くとあります。

女性の方が対応して頂きました。「ごくろうさま」と言って頂きとても感じが
良かったです

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きれいな庭園がありました。

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ご朱印です。

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納経所の方に行くと福授地蔵(一願地蔵)があります。
このお地蔵様に祈願すると、一つだけ願いを叶えてくれるそうです。

ということで私も祈願してきました。
願いを叶えて欲しいです

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おまけ

納経所の所に睡蓮の花が綺麗に咲いてたので思わずパチリしました

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一言メモ
田園の中にあるのどかなお寺でした。
境内に入ると広々としていて、ごちゃごちゃしていなく綺麗にされているという印象でした。





西林寺の見どころ

福授地蔵
納経所前の庭園。お詣りすると1つだけ願いを叶えてくれるという、幸せを授けてくださるお地蔵さん。
孝行竹
閻魔堂の前。親竹と子竹が離れないで生えている竹で、家庭円満の象徴として信仰されている。
寺宝
『四國禮繪圖』。最古の四国遍路絵図として貴重。宝暦13年(1763)の刊行。また『四国霊場記』(明治24年・1891刊)も貴重資料。




西林寺へのアクセス

松山インターチェンジから国道33号線を砥部方面へ。森松交差点を左に入り、森松バスターミナルを左折し、杖ノ淵公園先の交差点を左折。直進すると右手にみえます。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
八坂寺には7月10日に訪れました。





四十七番札所 八坂寺

お寺の読み方は「やさかじ」と言います。

四十六番札浄瑠璃から車で約5分ぐらいの所にあります。



八坂寺の歴史・由来

浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。

弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。







駐車場に到着するとこのようにいやさか不動尊が目に入りました。
高さが4mもある不動明王像です。
平成17年に衰退していた修験道を再興するために造られた像で、「いやさか」には
ますます栄えるという願いが込められているそうです。

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山門です。

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山門の天井にはカラフルな色の天井画がありました。

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山門をくぐるとこんな感じの風景です。

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まずは手を清めました。

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葉っぱを水に入れてくれてるだけで何かこういうのを見ると涼を感じられました

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まずは本堂に行きました。
こちらでもしっかりとお経を唱えました。

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大師堂です。
こちらでもお経を唱えました。

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御手綱を握ったり五鈷杵を触ったりしました。

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境内を散策しました。


です。

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権現堂です。

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閻魔堂です。

閻魔堂の左右にはトンネルがあります。
まず左の「地獄の途」に入り、右の「極楽の途」から出ると、
極楽浄土へ行けるといわれているそうです。

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では、左トンネルの方に入ってみました。

地獄の途です。

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下はこのように荒い感じの石になってました。
さすがに地獄って感じでした

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壁にはこのような怖い餓鬼道や畜生道が描かれていて地獄絵は怖かったです
見にくくてすいません

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この後、右側のトンネルに入りました。
極楽の途です。

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下はやはり極楽なので歩きやすくなってました

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極楽絵図は穏やかな感じで見ててホッとさせられるものでした。
見にくくてすいません

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権現堂の前には沢山のお地蔵さんが並んでました。

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納経所です。
男性の方が普通に対応してくれました。

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ご朱印です。

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一言メモ
綺麗にされたお寺で見所もあり私はこのお寺気に入りました
トイレは駐車場にあり利用しましたが綺麗に清掃されてました。

お寺の近くの道に車をみなさん停めて来られてましたが、その中に日産の
GTRの新車で来られてる方がいて驚きました
あんな高い車でしかも新車で遍路をやるというのが信じられない〜と思わず言って
しまった私。狭い道が多いのにあの車で遍路は車が傷だらけになるのが
目にみえているので車がかわいそうです
何を隠そう、私は車が好きでGTRが欲しいと思ってる一人です







おまけ

境内ネコを飼っているのかネコちゃんがいたので相手しました
キャットフードが置かれてあったのでたぶん飼われてるのかな?
写真を撮ったのですがなかなかこっちを向いてくれなくて困りました

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やっと見てくれました

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八坂寺の見どころ

閻魔堂(えんまどう)
本堂と大師堂の間。「極楽の途」「地獄の途」があり、極楽には美しい浄土が、地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれている。
救いの手
本堂にあがる石段の下から10段目の左側。「九難を去る救い」の手とされ、足や目の病に効験ある話が伝わる。
宝筺印塔(ほうきょういんとう)
鎌倉時代の石造層塔で、庫裏前の庭園にある寺宝。
不動三尊(いやさか不動尊)
平成17年に柴燈護摩道場も建立、毎年4月29日に柴燈大護摩供火渡り修行が厳修され、衰退していた修験道が復興された。






八坂寺へのアクセス

松山インターチェンジから国道33号線・県道23号線・県道194号線を走る、久谷方面を目指して走り、バス停八坂寺前を右折。約500m走ると正面にあります。

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4月下旬のGWから始めた遍路です。
浄瑠璃寺には7月10日に訪れました。





四十六番札所 浄瑠璃寺

お寺の読み方は「じょうるりじ」と言います。

四十五番札岩屋から車で約50分ぐらいの所にあります。



浄瑠璃寺の歴史・由来

浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。

約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。室町時代の末期に足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依した。
江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失したが、70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力した。堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興している。また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、苦難の末に8つの橋を架けている。
境内の樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシン(市天然記念物)が、信仰を得ている。




駐車場から境内に入る道ですが近いし石段もないので楽でした。

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色々と見所はあったのですがまずは手を清めて参拝することにしました。

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本堂です。
こちらでもしっかりとお経を唱えました。

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おびんつるさまです。

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大師堂です。
ちゃんとお経を唱えました。

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こちらには、だっこ大師があり だっこしてきました

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境内を散策しました。

です。

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籾大師です。

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一願弁天です。

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一つだけ願い事をしてきました。

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説法石です。

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仏手花判です。
なでてきました。

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佛の足跡です。
はだしで踏みなさいと書かれてたのですが雨が降った後だったので
濡れていたから踏むのはやめました。残念です

次回、逆打ちで行った時は踏んできます

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封じ石です。

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鐘の前にも仏手石がありました。

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網かけ石です。
大師は巨岩に網を掛けて取り除き道を開遍されたということでした。

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亀と蛙さんがいました

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大師堂近くに咲いていた綺麗な花

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紫陽花もまだ咲いてました。

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納経所です。
女性の方が対応してくれました。
わげさをしていて「ご苦労さまです」と言って頂き感じのいい方でした



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ご朱印です。

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一言メモ
こじんまりとしたお寺ですが、見所が沢山あり時間をかけてゆっくり見たいと
思いました。ちょうど7月上旬ということもあり蝉が元気よく鳴いてました。
トイレを使わせて頂いたのですが綺麗に清掃されていました。







おまけ

お寺の裏に蓮池がありました。

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少ししか咲いてなかったので残念でしたが綺麗でした

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浄瑠璃寺の見どころ

仏手・仏足石の寺
境内にそびえる樹齢約1,000年のイブキビャクシンの大木の下に安置されています。延命、豊作にご利益があるとして信仰を集めています。樹高約20メートルのイブキビャクシンは弘法大師が加持したものといわれ松山市の天然記念物に指定されています。

一願弁天堂
本堂左手奥の鳥居の中。天女像が祀られ、音楽、智恵、美貌、財宝、福徳に霊験があると伝えられる。
説法石
「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と説明書。






浄瑠璃寺へのアクセス

松山インターチェンジから、国道33号線を砥部方面へ行きます。重信大橋を越えた最初の交差点で左折。県道23号線を走り、バス停広瀬を右折。久谷方面を目指し走ると右手にあります。

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