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はじめて豊田勇造さんのライブを観たのは
高校生の頃だったから、もう35年も前になろうか。
釜石のジャズ喫茶タウンホールでのソロライブだったと記憶している。
ハミングバードをかき鳴らす勇造さんの歌に
「アコースティックギターとはこんなに大きな音がするんだ」
当時の私が感じるのはそんなことぐらい。
高校を卒業し、ミュージシャンを夢見て仙台そして東京へ。
その間、長いこと勇造さんの曲を聴くことはなかった。
そして、夢潰えて故郷に戻った私は勇造さんの歌と再会を果たす。
「期待外されたただ見の客はうつむき加減に縛り首の縄をなう
砂を浴びせる男たちに混じって手をふる女にさつきの花を見た」
(大文字より)
私はステージで砂を浴びせかけられたことはないが
それでも、懸命に生きてるつもりが空回りして
どうにも上手くいかない日々が続いたときもあった。
「さあもういっぺん、さあもういっぺん
火の消える前に」
たまにふっと思い立って聴く勇造さんの歌。
勇気付けられるとか励まされるとか、そんなことじゃない。
何か大切なものを見失いそうになった時に気づかせてくれる。
いつしか勇造さんの歌はそんな存在になった。
「さあもういっっぺん、さあもういっぺん」
まさかこの歌が未曾有の大災害に見舞われた
故郷で歌われることになろうとは夢にも思わずに・・・。
勇造さんが毎年訪れていた陸前高田市のジャズ喫茶ジョニー。
ジョニーでのライブはいつも
陸前高田の写真屋さんの菅野有恒さんが主催してくれた。
2010年9月24日
一年ぶりの勇造さんライブを楽しみに
前の年の6月に勇造さんの還暦を祝って京都で行なわれた6時間ライブに
行った際に買ったジェンベを携えてジョニーへと向かった。
京都の円山音楽堂でのライブは菅野さんと一緒に楽しんだ。
うららかな日差しを浴びてワインを飲みながら
笑っていっしょに勇造さんの歌を聞いた。
ジョニーのライブはマイクやスピーカーといった音響機器がない。
生のギターと生の声で聴衆と向き合う。
勇造さんの還暦ライブ記念に京都で買ったジェンベで
「それで十分」をいっしょに演奏した。
実はこの年の4月。
私は検診で胃ガンが見つかり手術で取り除いた。
幸い早期ガンで大事にならずに済んだものの
「命あればそれで十分」という歌はものすごく心に響いた。
ジョニーでは京都でいっしょだった有恒さん
そして陸前高田の皆さんと楽しい時間を過ごした。
まさか、これがジョニーでの最後のライブになるとは夢にも思わずに・・。
そして2011年3月11日
ジョニーは津波に跡形もなく流され
勇造ライブを主催してきた菅野有恒さんと妻の太佳子さんは帰らぬ人になった・・。
ジョニーでの最後のライブを私は
持っていたビデオカメラで記録していた。
最前列から撮影した映像は
レコードやスピーカーなど様々な物に埋め尽くされた
震災前のジョニーの雰囲気を今に蘇らせる。
映像は当時、菅野さんにプレゼントして勇造さんにも送った。
あれから7年の3月。
勇造さんからメールが届いた。
「ジョニー再建の支援のためにこの映像を作品化したいと思う。
貴重な記録を残してくれてありがとう。」
映像はこの夏
「2010年ライブ・イン・ジャズタイムジョニー・陸前高田」として
DVDリリースされる予定となった。
制作はハミングバードレコード、発売はビレッジプレス。
きょう、私は2010年9月24日のジョニーにいる。
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