歩きながら考える

どこまででも歩けるとき、人は考えるのだろうか

盆踊り

実家に帰って数日,
のんびりと過ごしている.
千住の居酒屋で飲み,
線香花火をやり,
写真を何枚か撮って,
家族が作った食事を食べた.

上野の東京藝術大学美術館に行って,
久しぶりに絵や彫刻などを見た.
画家はこの絵に何を宿らせたかったのか.
ぼおっと眺めながら
頭の中に浮かんでくるものを合わせ,
それが描き出すものを感じた.
絵を見るととても疲れる.
途中で挫折しそうになりながら,
2時間半ほどでほぼ全ての絵を見,
外に出ると,
夕刻である.

少し歩いたところにある喫茶店で
冷たいコーヒーを飲み,
絵の感想などをメモに残して,
また歩き出す.

根津に着いたころには夜になり,
根津神社から盆踊りの音がする.
大鳥居をくぐると
境内にやぐらが組まれており,
そばで太鼓をたたいている.
出店の類はまったくなく,
まだ人も少なくて
ひっそりと盆踊りが行われている.
穏やかな灯りのもと
手がひらりひらりと舞い,
太鼓がそれに合わせてたたかれる.

十分もしないうちに,
子供が三人,大人が二人,と加わり,
いつのまにやら
盆踊りの輪は広がって,
しばらくすると二重になり,
次の踊りが始まるころには
三重の輪になった.
幾十人もの手が揃って,
ときにはやや不揃いに
左に振られ,右に振られ,
左下に払われ,上に掲げられる.
前に出された手がしとやかに拍子を取り,
ほとりほとりと輪が回る.

平和である,または,
皆平和を望んでいる.

美術館で見たものの中に,
飛鳥時代の布切れがあった.
赤と紺の細い糸が編まれてあり,
色は当時より幾分くすんでいるだろう.
その布切れがあった場所,あった時が,
布の裏に広がっている.

いつの世も人は・・.

海水浴

朝4時に出発して,
静岡の海に行った.
台風が近づいているらしく
遊泳という言葉が
うそっぽくなるほど
荒い波だった.

空にはいくつもの
変わった形の雲があり,
辛うじてその隙間から
青空が見える.

虹が輪ではなく
水平に伸びていた.
波の音の中で
ときどき頭上を
飛行機がすべるように通る.

昼,十一時に差し掛かる頃,
海水浴場のアナウンスで,
今日が長崎に原爆が落ちた
日であることを知らされた.

長崎にも,広島にも行った.
それ以来,この時期になると
必ず思い出していたのだ.

海の,
台風で荒れた波に,
馬鹿みたいに
近づいていき,
ひとつまたひとつと
波をやり過ごしていく.
自分が何だったか,
何に悩んでいるのか,
それらを全て忘れて.

車を決めた.

今日,車を決めた.
一応三回見に行って,
まあ,三回見て違和感が無いから,
悩むのも面倒なので決めることにした.

色は,自分がイメージする
車の色とかけ離れている.
形も,もっと大きいものを意識していたが,
それともまったく異なる.

だが,だからこそ,
自分のこれまでの人生を象徴している
ような感慨を覚えた.
自分がやるはずがないと思っていたことをやり,
とにかく今もそれで生活している.

最初の印象が悪くて,
たぶん当分仲良くできないだろう,と
思うものを選んでしまう.
じゃないと面白くないだろう.
やりたいと思っていた仕事をせずに,
そして,
自分にあっているとは一見思えない車に乗る.

車に意味があるとすれば
それぐらいかな,と思ってしまう.
それにしても変な色だった.

夜更かし

最近,眠りに着けないことが多い.

冬に,5時でもまだ外が暗くて,
まだ夜だと自分をだまし,
夜更かしをするのとは違う.

とにかくすぐに朝が来て,
窓からの光はまぶしく,
いまだに寝ていないことを忘れて,
晴れ晴れとした気分になる.

まあ,その気分が長続きするなら,
僕は人間ではないのだ.
やはり後で響いてくる.

生きるというのは何て無駄なんだろう,
ときどき思う.
昔は毎日,常にどこかで思っていた気がする.

生き続けるという,
疑ってはいけない目的に,
いろいろな装飾をつけて,
その本体への懐疑が
日常生活に現れないように,
自ら仕組んでいる.

なぜ山はあるのだろう.

たいして深く考えない.
何かがずっと続くことだけを感じる.

人が,こぼれるように発する言葉は,
その人の中の方程式,ルールを,
素直に反映する.
こぼれた瞬間瞬間に気づいても,
そのすぐ後に
こぼれてゆく言葉を
止めることができない.

なぜ海はあるのだろう.

カーテン越しの陽の光のそばで,
右の手を見て,
左の手を見て,
ひとつため息をつく.

自動車免許

夢を見た.
床に落ちたシャーペンの芯を拾う.
拾った芯を,
プラスチックのケースにしまう.
だけど,そのケースは間違いで,
本当は違うケースに入っていた芯なのだ.
だけどもう混ざってしまったから,
今更どうしようもない.

車を買おうかと思っている.

東京にいたときは,
車に乗る必要をまったく感じなかった.
これは,かなり一般的なことだろう.
JR,東京メトロ,都営地下鉄,私鉄,
異様なまでに隅々まで
電車のネットワークが敷かれ,
東京のどの地点にいても,
少し歩けば駅があるのだ.

だがそれだけではない.
僕はむしろ負のイメージを持っていた.
車に乗ることで生じる無意味な おごり が恐い.
どれだけ気をつけても,
少なからずその感情に支配される.
あんなでかいものを,
おおかた自由に動かせるのだから,
勘違いが起こるのは無理も無い.
本当のところ乗ったことがないのに,
そんな気がしてならなかった.
そういう思いがあるから,
この歳まで免許すら持っていなかった.

こちらに来て,
車を持っていない,
免許すら持っていない,
と言うと,
まわりの人間は口を揃えて,
不便でしょう,
と悲しそうな顔で言い,
まるで僕は,
とてつもない苦労をして生活している
かのように哀れまれた.
言われている本人は,
車が無くても,
東京にいた時の生活と
大して違いを感じていないし,
車があったら,
と思ったことすらない.
たぶん,もともと物欲も無く,
車に乗ってまでして
うまいものを食べるという感覚も無く,
家のまわりを散歩していれば
十分生きていける性格だから,
車の必要性を感じないのだろう.
本当に緊急で車が必要なら,
タクシーを呼ぶか,
友人に頼めばいい.

だが,何の風の吹き回しか,
この春,年度初めのごちゃごちゃした時期に,
隙間を見つけては教習所に通い,
2ヶ月後には免許を所有する人になった.

教習は大変楽しかった.
学科と呼ばれる,
車関係の法律やらを学ぶ授業も楽しかった.
学生みたいでかわいいが,
教わるとおりに運転できない
自分に腹が立ったり,
いろんな背景のもと作られている
法律にいちいちうなづいたり,
とにかくは,
何かを受身で教わる,
ということが懐かしく,
教習が終わるころには,
何となしさみしい気持ちにもなった.

免許をとって一月.
運転の仕方を覚えているか,不安になる.
身体が覚えている,
と自信を持って言えるほど若くない.

さて.

なぜ,免許を持ったのか,
自分でも明確な理由が分からない.
きっかけは分かっている.
春だった,ということだ.
何度も迎えたどの春も,
免許を持つきっかけにはならなかったが,
今年の春は,
何だかガタリガタリと色んなものが姿を消し,
同時に色んなものが目の前に現れた.
時の流れていること,
変化は知らずとも起こっていることを,
まさに突きつけられた気がした.
だから,変化を受け止めるだけでなくて,
何か新しいことを自分からしてみたかったのだ.
それがなぜ免許を取ることなのか,
明確な理由は無いが,
逆に,
明確な理由を持って拒んでいたことだからこそ,
有力な候補として上がったのだろう.
少なくとも,これまでの僕の延長線上に,
車を持つということは無かった.

車を選ぶのは面倒だ.
まず知識が無い.
種類を知らないのに,
どれに乗りたいという思いが生まれるわけも無い.
なおかつ,好きな色さえ定まっていないから,
周りの人間の意見に左右される.
だけど案外,実物を見ると,
自然と,好きだ,嫌いだ,と思ったりするから,
不思議なものだ.
その判定の基準は
これまで生きてきた間に刷り込まれた
各種の志向なのだろう.
そんなことが新鮮である.

車を買ったらどこへ行こう.
そういう思考自体,
買ってから身につくものなのだろう.

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