調査隊,オランダを行く

mozaiekのオランダ日記*2006年、オランダ王国ユトレヒト市から帰国しました。

オランダで子育て

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子どもにやさしいオランダ

お子さんを連れてオランダへ滞在予定の方に役立つ情報を載せるべく,頑張ります。
いたらない”はは”ですので,皆さまのご意見・ご指摘等よろしくお願いいたします。http://w1.ax.xrea.com/c.f?id=100493050
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終業式はお祭り!

 この国の小学校は,最後まで期待を裏切らず,私を驚かせてくれました。
 小学校関連エントリのおそらく最終回となるこの記事でご紹介するのは,このスクールイヤーの最後を締めくくる行事です。

   ※   ※   ※

 オランダの学校の年度は,8月後半から9月にかけて始まり,7月半ばに終わります。この期間を曖昧に書いた理由は,オランダでは,夏休みをはじめとする休暇期間を地域ごとにずらしてあるから。保養先の混雑緩和のための措置と聞いています。
 ユトレヒトの教育機関は,先週で終わり。私の子どもの通う小学校は,金曜日の午前中が学校最終日でした。日本の小学校であれば,年度末となる3月の学校最終日には,終業式がとり行われ,校長の訓話などを聞き,転勤や退職する先生に花束を渡して,今時は起立して校歌や君が代を斉唱し,教室では通知表を受領し,帰宅。…こんな感じでしょうか。これもケジメが付けるという意味ではいいと思います。
 でも,こちらのやり方は全然違っていました。

 6月はじめに,このスクールイヤー最後の日に関するお便りが学校から配布され,保護者は少しずつこの日のために準備をしていました。行われたのはお祭り。テーマは「キラキラ/BLING-BLING」でした。
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 左は校庭に集まった生徒とその家族。DJを職業とする方が生徒の保護者におり,その方の司会でお祭りは始まりました。この日はじめて学校の校歌(お祭りのテーマソング?)を聴きましたが,サンバのリズムでノリがよく,子ども達も大きな声で楽しんで歌っていました。
 続いてモードショー(右)。「キラキラ」コンテストです。こういうの,オランダの子ども達,好きみたいですね。モデルを気取って舞台を歩く姿が可愛いです。この日で小学校を卒業するグループ8(日本の小学校の6年生に相当)の生徒さんたちが,キラキラぶりを採点していました。
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イメージ 3 その後,お祭りは学年で2つに分けられました。子どもの学年のお楽しみは,ディスコルーム(上左),遊びコーナー,フェイスペイントコーナー(上右)など。こういった遊びもオランダならではだと思います。特にディスコなんて,日本の幼稚園ぐらいのお子さんはしませんよねぇ?(笑) だけど,みんな楽しそうに踊っていました。また,フェイスペイントは,可愛いし面白いので,私もこちらで本を購入して帰国しようかなぁ,なんて思っています。

 お菓子や飲み物などを売る屋台もあります。生徒さんは1点まで無料。スイカ一切れ20セント,コーヒー1杯50セント。オランダのコーヒーは美味しいですよ。この価格でもレギュラーです。他にお菓子などもありましたが,どれも良心的なお値段。そして,この売り上げによる収益金は,タンザニアの孤児救済事業へ寄付されます。

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イメージ 5 上は,今日で小学校を卒業するグループ8の生徒さん達。みんなで歌を披露してくれました。そう言えば,卒業式は…・・・ないのかな?
 その後,Mr.キラキラとMissキラキラが発表されました。左は,年少グループから選ばれたMr.キラキラ。パツキンのモヒカンが素敵です(笑)。ミスコンのようにタスキをかけてもう一度お披露目。

 この後,退職する先生の紹介や,寄付金の合計額のお披露目などがあり,最後にもう一度校歌を歌ってお祭りは終わりました。

 お祭りが終わって教室にもどった子ども達はアイスキャンデーを食べてちょっと休憩。
 この日は担任のカーリンはお休み。というのは,彼女は週に4日間のパートタイムの先生なのです。オランダではこういう働き方が一般的で,学校の先生と言えども例外ではありません。学校の案内を見ると,フルで働いている人の方が珍しいくらいです。なので,終業式だからといって,もし彼女がこの日に出勤したら,ローテーションなどがおかしくなっちゃうのでしょうね。これを最後に帰国する我が子だけではなく,進級する生徒達にとっても彼女のクラスはこの日で最後だけど,そういうのは関係なし(笑)。
 それで,最後に生徒達は,金曜日担当のマフリーツ先生(かなり年配の女性の先生なのです)に,ムギュッと抱きしめられ,ブチュッとバケーションキスをされて,キャーッ!と悲鳴を上げ,この年度を修めました(笑)。
 これから,約1ヶ月半の夏休みに突入です。

 私の方は,先生や一部の保護者の方達とは別れの挨拶をしたのですが,仲良しのお子さんのお母さんとは,帰国前の自宅にいる期間には,また子ども達を遊ばせましょうね,と話して帰宅し,なんかちょっと中途半端な幕切れになってしまいました。そういった方達との本当のお別れは,もう少し後になりそうです。

小学校のお友達

 一昨日のエントリのとおり,昨年8月から私の子どもは近所の小学校に通い始めたのですが,それからというもの,我が家にお客様が来る頻度がグーッと増えました。お客様って,小さな可愛い人たち。子どものお友達です。本当にたくさんのお友達が来ました。男の子だけではなく女の子も,同じ年の子だけではなく年下の子も。彼の交流範囲の広さがよく分かりました。
 私は,それはとても良いことなので,私の都合で,彼がお友達と遊べなくならないようにしようと思いました。いつお友達が来てもいいように,家事は彼が学校に行っている間に片付けて,「今日は誰が来るのかな〜?」と毎日ドキドキしながらお迎えに行く日々でした。
 ところで,放課後,友達と遊ぶ場合,親同士,暗黙のルールがあります。それは,
  • 基本的に,1対1で遊ぶ(遊ぶお友達1人を選ぶ)
  • 友達を預かる親は,子ども達から目を離さない(一緒に遊ぶ)
  • 預かった子どもを一人で帰宅させない
など。この辺りに,12歳以下の子どもに対する監督責任の所在を明確にしようという意識がかなり出ています。最初の頃,私は男の子3人を連れて帰ったことがありますが,やはり元気な子どもばかり4人をキッチリ見届けるというのは大変でした。そのことを,こちらの皆さんはよく心得ているのだと思います。
 それで,時々,放課後,学校の前で誰と遊ぶかを決めるときに,三つ巴になったりしてもめていました。その時は,遊ぶ場所を提供する家の子どもが一緒に遊ぶ友達を1人選びます。かなりシビアなやり方なので,あぶれた子どもは泣くこともありますが,それでもルール重視。関わった親みんなでその子を宥めていました。これがどの保護者にも大変徹底していて,当初,私は驚きました。
 また,お迎えもちょっと日本とは違いました。呼び鈴を押せば玄関に我が子が出てくるというのではなく,大抵の場合,家の中に招き入れられ,遊んでいる自分の子どもに「時間ですよ」と言って,連れ帰ります。そこで,子どもを見てくれていた親御さんと,子ども達がどんな風に遊んでいたかなど,ちょっとしたおしゃべりもしていました。

 放課後だけではなく,お昼ご飯の時間も,私の子どもは,ほとんど毎日お友達と一緒に過ごしていました。なので,午前中にお買い物に行き,パンなどを準備しておかなければなりません。もし,我が家でお昼を食べることになり,パンがなかったら,パンケーキを焼かなければなりませんから!(笑) 最初の頃は,おにぎりやパスタなどをすすめてみましたが,まっっったくダメでした。どうやら,「お昼はパン」が常識みたい。オランダ人めー!という感じです(笑)。
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イメージ 2 上は,お友達と一緒に遊んだ時などの写真です。私がお子さんを預かったときは,天気のいい日にはなるべく公園へ連れ出し,冬や雨の日には,自宅で日本の遊びや相撲などを教えました。
 4枚のうち,左上は,去年の9月ごろ,3人の男の子を連れ帰った日のもの。この日は,たくさんのお友達が私の子どもと遊びたいと言ってくれて,本当に嬉しかったのです。我が子を先頭に彼らが公園へと走って行く姿には,彼がこの町の子ども達に受け入れられたことを実感させられ,涙が出そうになりました。
 右下の女の子は,日本の遊びを大好きになってくれました。オリガミも楽しそうに折るので,大分仕込みました。そして,作ったものを大切に家に持ち帰るところが,とても可愛いのです。その彼女が,写真の中で手にしているのは,この日取り組んだアヤトリです。
 右上は,お昼ごはんを食べ終え,ふざけているところ。みんな,チョコレートのふりかけが大好きでした。そして,パンくずがお皿にしか落ちていないという,テーブルマナーのよさが印象的でした。

 右側上は,子どもがもらった誕生会の招待状。ホントにたくさんのお友達が,我が子を招待してくれました。親的にはプレゼントを買いに行かなくてはなりませんので,ちょっと出費なのですけどね。でも,これも嬉しかったです。
 面白いことに,お誕生会にもテーマがありました。一番多かったのはディスコパーティ。みんなで衣装に着替えて踊ってましたよ。お迎えに行った私達も,部屋に案内されて一緒に踊りました!

 その下は,お友達帳/vrienden boek。中は,自己紹介のための項目があらかじめ印刷されており,この本が回ってきたら,それらを記入し,絵など描いて,自分の写真を貼ります。辞書を引いて子どもに質問の意味を教え,今度は子どもの回答をオランダ語に直し(子どもには正確なスペルが分からないので),ちょっとアルファベットの練習なんかをして記入させました。また,私の子どももこのノートをクラスのお友達に書いてもらいました。

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イメージ 4 そんな風にして,ほとんど現地の子と対等に遊び,学んで過ごした我が子のこの1年間。子ども達を見てきた私にとっても,彼の友達は,愛すべき存在になっていました。
 スクールイヤー最終日の前日(つまり一昨日),担任のカーリン先生が,私達家族が子どものお友達とお別れを言うための時間を設けてくれたので,私達家族は学校へ赴き,子ども達の輪の中に入りました。
 先生が,「○○(子どもの名前)に何か言いたいことがある人?」と尋ねると,大勢の子ども達が一本指を立てて手を上げます。そして,指名された子ども達が,「いなくなるなんて淋しい」とか,「本当に本当に残念だ」とか,「気をつけて日本に帰ってください」とか,「オランダに戻ってくるのはいつか?」などと,思ったことを素直に口にすることに驚きつつ,感動していました。一方,我が子は先生から「みんなに何か言うことはありますか?」と尋ねられたのに,はにかんで黙って首を横に振ります…。この辺りはまだオランダの流儀が染み込んでないのね,と,子ども時代の自分を見ているようでした。
 先生と子ども達は,お別れのプレゼントを用意してくれていました。緑色の分厚いファイルに,たくさんのキスマークや,写真,子ども達の絵とメッセージ(カーリンが聞き取って英語に翻訳してくれていました)などが,成績表と一緒につづられていました。(右)
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イメージ 6 私達家族からは,カードとオリガミ,シャボン玉,携帯用5色蛍光ボールペンとお菓子を配りました。お別れの一時が終わり,子ども達はシャボン玉を持って校庭へ行き,早速みんなで楽しそうにシャボン玉遊び。カーリンと立ち話をしながら,私は,こんな風景を見るのも最後なのだな,としみじみしていました。
 右は,昨日,お友達の1人がプレゼントしてくれたもの。朝,お父さんと一緒に子どものところに持ってきて,彼女のお父さんが,下の方に書いてあるメッセージを読み聞かせてくれました。テントと私の子どもを作ったのだとか。こういった何気ないものも,我が子のために作ろうと思ってくれたお友達のその気持ちに,私も,心の底から有難うと言いたいです。
 我が子との出会いをきっかけに,クラスのお子さん達が少しでも日本のことに興味を持ってくれたり,好きになってくれたら…。そして,彼らにいつか再会の日が訪れることを願ってやみません。

2度目の成績表

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イメージ 2 春ごろ,小学校で面談があり見せてもらった子どもの成績表。この夏,帰国する私達は,その成績表や,CITO という,子どもの学力を測定するオランダの統一テストの回答冊子など,子どもに関連する一切合財を頂くことにしました。上は,その成績表のまとめページ。一番上の棒グラフが子どもの年齢を示します。黒く塗られているところが,面談時の子どもの月齢。斜線はこの夏現在の月齢。以下に続く各評価についても,黒塗りは春の時点でなされたもの,斜線がこの夏になされたものとなります。
 彼が所属するグループが日本の幼稚園に相当する学年だからか,学力は完全なる絶対評価で,しかも月齢までもが考慮・判定される点が独特だと思います。


 右は,個別の評価うち,最も重視されている「社会的情緒的発達の程度」のページです。
棒グラフの下に書かれているのは,オランダでその年齢の生徒に期待されている事柄です。担任のカーリン先生が,日本で行くことになる小学校にこのリポートを提出した場合に内容が分かるようにと,英語に翻訳したものを手書きで添えてくれました。


 1年前から引き続き課題だったオランダ語の評価は…? 一番成績の悪かった口述能力の評価が下の画像。
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 う〜ん,現実は少し厳しかったですね。私からは,かなり流暢に話しているように見えますが,やはり語彙が不足していたり,文章を作る際に言い澱みがあるとのこと。現在5歳児レベルまで到達している模様です。
 それでも,CITO の結果は徐々に上がっており,また,読み書きはネイティブと同じようにこなしているとのこと。この成績でも落第せず,グループ3に進級できると言われました。進級せずに帰国するわけですが…。


イメージ 4 左はリポートに添付されていたもの。我が子の絵ではありますが,原画ではなく,絵葉書です。裏書は
 「祭と動物/Feest en dieren」
 年少グループの○○○○(子どもの名前)が作成したもの/gemaakt door xxxxxxx uit de kleutergroep.
となっていました。
 子どもの通う小学校では,アフリカのタンザニアやケニアの子ども達の教育のために寄付活動を行っています。この絵葉書は,その活動の一環として作成されたもののひとつで,売り上げによる収益金が寄付金に充当されます。
 そして,その絵葉書のデザインの一つとして,4クラス約70人の4〜6歳のグループからは,私の子どもの描いた絵が選ばれたとのことです。
 絵葉書が貼られた台紙の下部に,カーリンの字で
 Your design was chosen for a fundraising for an orphanage in Tanzania.
と書かれていました。
 画像が不鮮明ですが,ステゴサウルスなどの恐竜や鳥,蝶,日本の国旗などが描かれています。子ども達の描いた絵は,それぞれストーリーがあって楽しいですよね。この絵もずっと眺めていても見飽きません。
 …自慢ったらしくてヤな感じだったらごめんなさい。でも,初めて商品化された子どもの作品。大変よい想い出になりそうなので,蛇足ながらエントリにこっそり付け足しておきます。http://w1.ax.xrea.com/l.f?id=100493050&url=X

子どもとオランダ語

 そもそも,私の子どもがオランダの現地校に通うこととなったのは,地理的な理由からでした。
 ユトレヒトには,日本人向けの日本語で教育を行う学校や幼稚園はありません。そういった学校は,日本人が多く居住するアムステルダムやロッテルダム方面に所在します。英語で教育を行うインターナショナルスクールはどうかというと,ユトレヒトから電車で数駅行ったヒルバーサムという町にある学校が最寄りとなるようです。
 従って,私の子どもの教育に関しては,我が家の選択肢として,
  • アムステルダム等にある日本人向けの幼稚園に行き,6歳の春から,アムステルダムの日本人学校へ通う(自転車・電車等を利用,所要時間1時間以上)
  • ヒルバーサムのインターナショナルスクールへ通う(自転車・電車利用,所要時間約1時間)
  • 近隣の現地校(オランダ語使用)へ通う(徒歩または自転車利用)
の3つがありました。
 以下に,私達が彼のための教育機関としてローカルスクールを選んだ経緯や,その後の環境の変化などを書き留めておきます。長文になると予想されますし,私達家族以外の方にとっては,退屈極まりないエントリになりそうなので,どうぞ,スルーしてください。もし,関心がおありでしたら,どうぞお読みください。


 オランダでは,4歳到達から小学校に入学できますが,日本人学校は日本の小学校とほぼ同じシステムとなっており,入学できるのは6歳の4月から。渡蘭当時4歳だった我が子については,日本人を対象とした教育機関に通うためには遠方の幼稚園等を探す外なく,近隣の現地校に通う方が時間的にかなり余裕ができ,彼にとっては,体力的にも精神的にも負担が少なそうだと思われました。また,彼自身も近所の小学校に強い関心を示し,「とにかく早くあの学校に行きたい」と主張していました。
 しかし,重要な問題が一つ。それは,言葉の問題です。
 私達家族は,渡蘭するまでオランダ語を学んだことがありませんでした。夫の職場は,英語がメイン。また,日常生活においても,オランダ人のほとんどが英語を話せるので,私と夫は意思の疎通を図ることができ,特に支障を感じませんでした。
 しかし,日本語しか話せない我が子が,この町で楽しくやっていくためには,英語またはオランダ語を習得する必要があると思われましたが,親も話すことができないオランダ語の世界に彼を入れることには,少し躊躇がありました。
 ところが,オランダは,トルコやモロッコからの移民をはじめ,オランダ語を母国語としない外国人の割合が多い国。夫の招聘期間から配付された冊子や,近所のユトレヒト大学関係者の話により,オランダの小学校は,そういった意思疎通に問題のある子どもの取り扱いに慣れていると知り,少し光明が差しました。彼にこの話をしてみると,まったく問題にする風もなく,「オランダ語を勉強すればいい」と言いました。オランダに住むのだからオランダ語を。彼のシンプルかつ超前向きな考えに,私や夫も,彼が現地の子どもと交流できるようになれば,オランダ生活はグッと楽しくなるだろうなぁ,と思い,彼の可能性に賭けてみることにしました。


 こうして,私達は,一抹の不安を抱えながらも,勇気を出してローカルスクールを選び,近所の小学校の門を叩いてみることにしました。
 最初に行ったのは,自宅から3分ほどのカトリック系の私立小学校。ご近所に住むイングリッドさんが取り次いでくれました。
 最初の登校日,私の子どもは大変嬉しそうに学校へ行きました。私と夫は,校長室で入学手続きをして帰宅し,自宅で「あの子はどうしているかしら〜?」とぼんやりと想像していました。
 その日は金曜日だったので,午前中で学校は終了。お昼にお迎えに行き,どんな顔をして出てくるかしら,とドキドキしていると,彼は肩を落とし,目に涙を浮かべて校舎から出てきました。不安に思って様子を尋ねると,その日はクラスのお友達の誕生会があったらしく,お菓子をもらって食べたとか,先生はとても優しかったとか,カタツムリの歌を歌ったとか,校庭でもお友達と楽しく遊べたとか,本人の口から出るのは楽しげな話ばかり。でも,やはり,意思の疎通が図れず,疎外感を感じたのでしょう。ションボリして,「もう,この学校には行きたくない。」と言って涙ぐむのでした。
 そこへ,校長先生がやってきて,「彼は,友達ととてもうまくやっていた。だけど,この学校へ受け入れることはできないと分かった。」と言って,ユトレヒト市北部のオンディープ/Ondiep という町にある市立のインターナショナルスクールを紹介してくれました。その学校では,外国から来たばかりの子どもを主に受け入れ,オランダ語の環境になじみのない子ども達に,小学校の課程とともにオランダ語のトレーニングをしているとのこと。一定のオランダ語能力が付けば,ローカルスクールに通うことができるという話でした。
 その話を私の子どもに話してみると,「その学校を見に行ってみたい」と言うので,早速午後からアポもないのに下見に行きました。私と夫が校長先生と話をしている間,学校の教材で遊んでいた彼は,この学校(というか,教材)をとても気に入り,「ここに通いたい」と言うので,早速入学手続き。月曜日からは,自転車で30分ほどの路程をお父さんの自転車の後ろに乗って,また,私とバスに乗り通学しました。


 以上のような紆余曲折を経て入学した小学校は,33カ国出身の子どもが集まっており,例えば,私の子どものクラスには,ブルンジ,モロッコ,南アフリカ,アンゴラなどのアフリカ出身の移民や難民がいました。また,中国やパキスタン出身のアジア人もおり,多彩な顔ぶれ。唯一いないのが,オランダ人です。彼はこの多国籍の環境の中で,オランダ語を学び,初登校から一週間後には,1から10までをオランダ語で数え,日本語でさえ言えなかった一週間の曜日,月曜日から日曜日までをオランダ語で言うようになりました。そして,自宅で彼が練習しているのを聞いているうちに,私や夫も少しずつオランダ語やオランダ語の歌を覚えていったのです。また,彼は様々な国籍の異質な文化や習慣に触れ,イスラム圏出身の子ども達の暴力的なやり取りをやり過ごす方法も会得するという,思わぬ副産物もありました。結果,日本では早生まれで弱弱しく見えていた彼も,すっかりタフになりました。

 この学校でオランダ語のトレーニングをする期間は,お子さんにより区々のようですが,私の子どもは1年で転出許可が出て,その学校の紹介で,自宅から徒歩3分の場所にある小学校に転入しました。途中で転居したので,最初に門を叩いた学校へは戻れませんでしたが,新しい学校もその学校とほとんど同じ環境,生徒の大半がオランダ人,ネイティブです。だけど,今度の彼は,最初の挫折を簡単に乗り越え,この環境に見事に溶け込むことができたのでした。
 友達の自宅も,みな学校に近かったので,ほとんど毎日,彼はお昼や放課後をお友達と過ごしました。そのお陰で,私も子ども達や保護者の方達をとおしてオランダ人の生活に触れ,オランダを知ることとなったのです。

 どちらの学校にも言えることは,教師の職業を持つ人々は英語を話せること。そして,保護者に,登校する児童の送迎の義務があるため,必然的に学校と保護者との連絡が密になり,何か問題があっても置き去りになりにくいということです。
 そういう制度に助けられ,我が子は充実した学校生活を送ることができ,そして,明日,その生活に終止符を打ちます。


 私の子どもがオランダ語を学んで最も良かった点は,学校以外の場所でも,現地の人々と現地語でコミュニケーションができること。これは彼にとって,かなりの強みでした。
 私達の出会ったオランダ人は,コミュニケーションを大切にする人たち。
 道を歩けば,ご近所さんと立ち話。列車では,検札に来た車掌さんと挨拶を交わしておしゃべり。カフェでは,ウェイトレスのお姉さんに自分の飲みたいものを注文しておしゃべり。お買い物に行けば,スーパーのレジの女の子とおしゃべり。公園では見知らぬお子さんやそのお母さんとおしゃべりしながら仲良く遊んでいます。例えば,トイレの場所が分からない,などといった困ったことがあっても,周囲にいるのは面倒見の良いオランダ人ですから,尋ねれば必要以上に教えてくれます。きっと,どこから見てもアジア人の彼が,一生懸命オランダ語で話しかけてくるので,皆さんも親切に応えてくれたのだと思います。どこに行っても,大人が彼をそばに引き寄せ,色々なことを教えてくれました。そんな風景を見るにつけ,私達の挑戦は間違いではなかったと確信します。

 残念ながら,彼のオランダ語の能力は,ネイティブの同年齢のお子さんと比較すると,まだ少し遅れをとっていますが,落第せずに次の学年へ進級できるレベルには到達しています。私が自宅で彼のオランダ語の学習をフォローせず,日本語の読み書きに力を入れたことが,彼のボキャブラリーが増えなかった原因の一つです。だけど,もし,私たちがここに引き続き住むことができるならば,そのギャップは次第に埋まっていき,そう遠くない将来には同等レベルに到達することでしょう。子どもの順応性は素晴らしいですものね。
 彼も,自分が親の手助けなしにオランダ語を習得し,二つの国の言葉の間を行き来していることを知っています。この経験と自信が,彼の将来を良い方向に導くことでしょう。
 だけど,もし,彼が躓いたら,オランダ生活において,髪や目の色が違うお友達をたくさん作れたこと,そして,それは,彼が色んな壁を自分の力で楽しく乗り越えたからだ,と話して聞かせ,励まそうと思っています。たとえ,その時,オランダ語をすっかり忘れていても,その事実が彼を支えてくれると期待しています。

 日本で新学期が始まる頃,彼は日本の小学校で一年生になります。
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小学校 -- 年度末の風景

 何だかミョーに忙しいです。その理由は,帰国の準備と小学校関係のイベントが輻輳しているため。とはいえ,小学校が夏休みを迎えるとともに,我が子はオランダでの小学校生活を終えることになりますので,残りの日々を大切に過ごしたいものです。
 今日は,最近の小学校関連の出来事をまとめてログにしておきます。忘れたくない想い出ですから。

   ※   ※   ※

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 何気ない,朝の登校風景。今ではすっかり見慣れてしまいましたが,最初は,へぇってオドロキでした。
 左は,キックボードで登校している小学生。構内もキックボードでスイスイです(汗)。自由っていうか…。ちなみに,オランダでキックボードは「ステップ」と呼ばれています。
 右は,ご両親と登校している女の子。撮影角度が悪くて分からないのですが,お父さんが大事に抱えているのは,お誕生会用のお菓子のようでした。今日がお誕生日なのかな? もしかしたら,夏休み中にお誕生日を迎えるお子さんなのかもしれません。

イメージ 2 子どもの教室のホワイト・ボードには,担任のカーリン先生から保護者に対する感謝のメッセージが書かれていました。それは,私達保護者が,子ども達が使用した教材やおもちゃ,備品などを手入れしたからです。下の左の写真のように,教室のドアに「大掃除分担表」なるものが張り出されるので,各保護者は,担当するものを決めて表に記名していく方式です。ちなみに私はPC2台を担当し,今週はじめに終了しました。
 右の写真は,お子さん達と一緒にブロックなどのおもちゃを洗っているお母さんです。
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 私が今朝,カメラを持って小学校に行った理由は,クラスでちょっとしたセレモニーが行われるからでした。私の子どものクラスには,4歳から6歳のお子さん約20人が所属していますが,そのうち約半数の年長組の子ども達が,今週,このクラスを卒業して,次の学年(グループ)に進級します。なので,今日は,カーリンと来年もこのクラスに残る年少組のお友達に「さよなら」と「ありがとう」を言う日だったのです。
 それで,カーリンに何かプレゼントを,ということになり,サムちゃんがグッドアイディアを出してくれました。それが左の写真。中央に鏡を貼り付けた大きなハート型のボードに,子ども達が絵や名前を書き入れました。上部には,プラスティック板に貼り付けた子ども達の写真がクリップしてあります。
 このボードは,先週,サムちゃんの家に集合してみんなで作ったものです。(右) あ,「サムちゃん」はパツキンの美少女の名前。ちょっと調べてみたのですが,どうやら女の子の「サム」は「サマンサ」の略称のようでした。
 少しだけ,余談。私が小学生の頃,絵の具といえば不透明水彩でしたが,こちらではアクリル絵の具を使っています。アクリル絵の具は,水溶性だけど油彩画に近いタッチになります。こちらのお子さんは,幼少からこの絵の具に慣れていくんですね。
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 そういうわけで,私達年長組の保護者は,今朝は事務室を借り切ってセレモニーの準備です。左は,年少組のお友達へのカドーチェを準備しているところ。ホンットにホンッッットに「ちょっとした」プレゼントでした。ハエタタキに風船と駄菓子と小さなハート型のメモ帳をくくりつけています。多分1ユーロ分もないんじゃないかな〜。でも,子ども達はこれで大喜びなんですよね。風船には,"daaag!" とか,"daaaaaaag!" などと書きました。("a"の上には,こんな記号(→「`」が付いています。) 「さよーーならーーーーーー!」という感じでしょうか?(笑)
 カドーチェを持って,教室にいざ突撃です。(右)
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 左の上は,年少組にカドーチェを渡した後,年長組の子ども達は,サムちゃんのお母さんの合図で,先生やお友達に挨拶をしています。そう言えば,これも最初は驚いたのですが,結構椅子の上に立ちます。
 その下は,子ども達を見守る保護者のみなさん。こちらは,机に腰掛けてます(笑)。
 右は,カーリンにハートのボードを渡しているところ。なかなか素敵なセレモニーでした。
 保護者の皆さんの結束が固く,こういう大掛かりな作業を協力してできるってのがいいですね。みんなで子ども達を見ているという印象があります。異国の地で,本当に幸運にもよい学校にめぐりあえました。
 こうして,今日もまた,学校生活の1日が終わりました。残り後2日です。

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