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沖縄に巨大な別荘を持ち、沖縄の魅力を伝えるのにも貢献している所ジョージさんだが、本人も知らないところで沖縄と結ばれた縁があったのである。
所さんは奥様の実家へ婿養子となり、奥様の姓を名乗っている。この奥様の実家がいわき市某所にある。そこは、いわき出身で400年前に沖縄へ渡った袋中上人に関りの深い場所でもある。プライバシーの問題で住所に関して、それ以上は書けないのを、御勘弁願いたい。
袋中上人は、沖縄のエイサー発生にも関ったと言われる人物である。
薩摩藩による琉球侵略(1609年)の数年前(1603年)に故あっていわきから沖縄へたどり着き、悲劇の琉球王「尚寧王(しょうねいおう)」や貴族で沖縄の賢人の一人「儀間真常(ぎましんじょう)」の帰依を得て、布教に努めた。。
当時、先行して伝わっていた仏教は難解で上流階級向けのものであった。
袋中上人は、儀間真常達から沖縄言葉を習ったのであろう、仏教を琉球の大衆向けに易しく直し布教した。
この念仏に歌をつけたものが、漂泊の民「チョンダラー(京太郎)」・「ニンブチャー(念仏者)」等によって伝えられ、更に琉球の古典歌謡「エサオモロ」、昔の沖縄の合コン「毛遊び(もうあしび)」と融合したと思われる。エイサーの起源には諸説あるため、これが絶対とは言えないが、漂泊の民の伝承に、われらの祖は袋中上人とあった事から、少なくとも何らかの関係はあったと考えていいのだろう。
現在の主流の創作エイサーに用いられる事は少なくなったが、戦前の古典エイサーでは念仏歌が使われていた。
沖縄で3年を過ごした上人は(1606年)、京都へ渡り後半生を過ごす。薩摩による琉球侵略(1909年、つまり今年が侵略の400年目)により、本土へ連れられた尚寧王は帰り道、京都で上人と再会を果たす(1610年)。王は感動の思いを自筆の上人画に込め、宝物と共に上人に贈った。翌年(1911年)、上人が再建した「檀王法林寺」に品々は納められた。
この寺は、東海道五十三次終点の三条大橋の左袂にある。ここは上人の沖縄航海中、一緒にいた猫がモデルとも言われる黒い招き猫を配布する事でも有名だ。最古の招き猫伝説にちなみ、全国から招き猫が奉納され、最近では「祇園の招き猫寺」とも呼ばれる。
所さんの奥様のお母様も大の猫好き。場所だけでなく沖縄との縁も合わせ、上人との不思議な縁がありそうな感じがするのである。
所さんばかりでなく、沖縄発で有名になった花粉封じの焼酎「請福ファンシー」もいわきの企業「クレハ」が仕掛け人だったりとか、他にもいわき⇔沖縄⇔京都を繋ぐ不思議な話があるのだが、そちらはいずれお話します。
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