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京都の土産物の上位に位置するお菓子「八つ橋」。あの柔らかいのは餡入り生八つ橋であって名前の由来になったものは堅い方である。
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餡入り生八つ橋は、元々茶会向けに作られたものが大阪万博の時に爆発的に売れたのが始りであり、堅い方は大正天皇即位の儀式が京都でも行われた時にお土産として人気が出たのが有名になるきっかけであった。
 
堅いほうは江戸時代、元禄の頃より伝えられたと言う。その起こりもメーカーにより様々で、京都・黒谷の金戒光明寺にある八橋検校の墓に詣でる人向けに聖護院前で売り出された琴の形をしたのが初めてとも、カキツバタで有名な現在の愛知県知立市八橋(豊田市に隣接する市)に在った八つの橋を元にしたとも言われている。
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未だに決着の付かない起源説だが、仮説をたててみた
八橋検校の名前が、伊勢物語のかきつばた(から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思)で有名な八橋から来ているのであったらどちらの説も間違いとは言えないのではないかと。
 
八橋検校は盲人の職能組織「当道」に属した、近世琴の創始者と言われる人物である。
この八橋検校を雇っていたのが磐城平藩内藤家(後に延岡藩内藤家)であった。
まだ、当道組織の下位であった時に、平藩内藤家二代目内藤忠興に召抱えられ、忠興の息子で後に三代目となる内藤義泰(義概)通称・風虎の援助により上位の検校の位に上ったと考えられている。
 
風虎は風流大名でもあり、和歌・俳句等さまざまな文化活動に力を入れていた。又、風虎の父方の祖母は挙母藩三宅家(ころもはん、現在の豊田市)から内藤家に来た人で、その娘(風虎の叔母)・貞松院も三宅家(後、田原藩三宅家)に嫁いでいる。
 
身内の出身藩が知立に隣接している土地柄から八橋の故事にも当然、感心を抱いていたと思われるので、お気に入りの奏者に八橋の芸名を付けたとしてもおかしくはないと考えられる。
風虎の時代から後の話ではあるが、平藩内藤家から分かれた支藩の一つ、泉藩内藤家が後に挙母藩内藤家になっており、知立市とも縁がある様な気がしないでもない。
 
根拠に乏しいかもしれないが可能性はあると思う。誰か当道組織に詳しい人が調べてくれれば分かるかも知れません。
 
ところで、もう一つ可能性のある話がある。京都には八つ橋と似た材料を使うお菓子「清浄歓喜団」と言うお菓子がある。、このお菓子は起源が奈良時代と言われている。唐から伝わった八種唐菓子の一つが「清浄歓喜団」のルーツらしい。原材料にニッキ(桂皮)やごま油が使われている固い揚げ饅頭との事だが食べた事が無いので分からない。
清浄歓喜団は八つの結び目で八葉の蓮華を現しているらしい、ルーツも八種唐菓子で、なまれば「やつかし」になるのではないかなと・・・。
 
歓喜団の余った材料をおやつ(お八つ)に焼いたのが、もしかしたら八つ橋の原型かもしれない。
 
八つ橋の謎、興味のある方は調べてみて下さい。
 
 

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