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赤壁城に戻った敦姫は、直ちに瑠衣(初代翠雲の妻)と千姫(小太郎。現翠雲の妻)を屋敷に呼び寄せ、小太郎が生きている事を伝え、今では、小太郎を改め、二代目翠雲として、家康の下で仕事を与えられている事を伝えた。
敦姫より話を聴いた千姫は、涙を流し喜びを噛み締めては、瑠衣に抱き着いては幾度も涙した。
「母上(瑠衣)、小太郎様が戻るまでと涙を隠しておりましたが、嬉しさの余り、この様な醜態を晒しまして申し訳御座いません。伯母上様、母上様の御蔭を持ちまして、武術、馬術を始め、色々なものを身に着けました事は無にはなりません。千のこの姿を小太郎様に見て頂けますよね、母上」
「小太郎も喜ぶであろう。千の晴れ姿を小太郎に見せるのじゃ」
瑠衣は、千姫にこの様に応え、千姫と一緒に涙した。
千姫が屋敷に戻り、侍女の綾(正種の妻)に小太郎の生存を伝えると、綾までが千姫と抱き合いながら泣き崩れ、小太郎の生きているとの喜びに浸っていた。
敦姫が赤壁に戻り、五日ほどした時の事である。
一頭の早馬が赤壁城目指して駆けて来る、との物見矢倉からの連絡で、急いで敦姫の屋敷に集合した、瑠衣、千姫は、早馬の使者を迎えていた。
早馬を差し向けたのは本多正信で、家康の病状悪化を知らせる者であった。
敦姫は、手渡された手紙を一読し、正信の使者に伝言を携え、瞬時に思った事は、家康の孫娘である千姫を駿府へ連れて行き、極秘の内に家康に面会させる事であった。
だが、千姫の影武者千代は、当に嫁いでおり、幸せな家庭を築き上げていた。
その千代の甲斐合って、千姫は救われ、翠雲の嫁として赤壁に迎い入れられていた。
「千代の幸せを奪ってはならぬ。その為にも、家康様と極秘に会う必要がある」
この様に思い、本多正信にも秘密な事柄だけに事を慎重に運ばねばならなかった。
「千姫、直ちに旅支度を致せ。綾、お主も同行致せ。瑠衣様、家康様が生存中に千姫の成長されました姿を御見せ致したいと思っております」
「総てが、千姫の為ならば、私は異存が御座いませぬ。千姫、家康様に御会いし、息災であると伝えて参れ」
翌日、馬上には千姫の姿があり、その後方には、敦姫、綾の姿も見られ、新たな赤壁騎馬隊が続く格好となった。
赤壁城砦の門が開門され、一路、駿府を目指し、赤壁騎馬隊が勢いよく駆け出した。
翠雲と涼は、駿府城に辿り着き、本多正信に面会を求めたのだが、家康の病状が悪い方向で小康状態となっていた為に、言い継ぎが思う様にならず、一日、駿府城内で待つことにした。
あくる日、正信の使者が翠雲を訪ね、直ちに出向く様に申し付けられ、紋付き袴に着替えを済ませ、正信の使者と共に正信の居る部屋に通された。
暫らく振りで翠雲と正信が会い、守備は如何じゃ、と尋ねられ、上々で御座います、と答えた翠雲であったが、内容は事細かく述べる訳にもいかず、ある程度の話を伝えた。
正信は、翠雲が駿府に到着したとの知らせを受け、家康の病状に変化が見られなとの様子を窺いながら報告を入れた。
すると、家康は、
「儂の最後の仕上げを見届ける者が参った様じゃな。直ちに、半蔵の元へ人を使わし、同席致す様に伝えよ」
半蔵の同席を求める家康の注文に、正信は半蔵の居場所を聞き出すのに一日掛ったため、翠雲と家康との面会は一日伸びたのである。
家康が臥せっている部屋へ訪れた、翠雲、正信、半蔵は、御簾影越しより家康が侍女の手を借り上半身を起こすのを見ていた。
御簾影が上げられ、家康は、近習、侍女に部屋から退席する様に命じ、三人に傍に参る様に伝え、翠雲の顔を見つめた。
「お久し振りで御座います。御気分が優れぬとの御噂でしたが、血色も良く安心致しました」
翠雲は、正直な言葉を口にし、平状したまま、家康の言葉を待った。
「翠雲、面を上げよ。御苦労であったな。当初、半蔵より報告は受けていたが、その後、行くえ知らずとなり、心配しておった」
「殿(家康)、翠雲は、越後に潜り込むために非常に苦労され、高田藩内に於きまして、御庭番筆頭にまで上り詰め、内偵を致しました」
「流石、翠雲。ならば、高田藩の陰謀を見つける事は出来たのじゃな」
「順を追ってお話致しますれば、御容赦下されませ。遡る事、本多長安様が佐渡金山より横領致しました金塊は、高田城に運び込まれたとの御噂でした。その金塊の噂が事実か確かめるには家老職の大名に取り入り、内偵を進める内に、有る人物が鍵を握っていたのです。その人物とは、天土と申されます御方なのですが、金塊の番を一手に引き受け、やっとの思いで高田城三の丸地下蔵に隠されていることを確かめました。その金塊を諸大名にばら撒き、忠輝様が幕府に盾突き、陰謀を企てているとの確証は得る事が出来ませんでした。何故ならば、忠輝様は、横領致しました金塊が城内に運び込まれたのも知らずに過ごされておりました」
「では、何者が、金塊を城内に運び入れ、陰謀を企てたのだ」
「正信様、高田藩家臣の方々は、幕府に忠誠を誓い、陰謀など企てている様子が見えません。長安様が生存中に運び入れた金塊は、忠輝様を始め、家臣の方々は存じ上げている者は御座いませんが、唯一、元御庭番筆頭家老、夏目幸太郎様だけは御存知でした。長安様と天土様との二人の密約で城内に金塊を運び入れた後、夏目様の指図に由りまして隠されました」
「翠雲、では、忠輝の陰謀説は、噂でしかないと申すのじゃな・・・」
「半蔵、如何様に思われる」
「翠雲が御庭番筆頭家老まで上り詰め、内偵を進めました事に、間違いはないかと思われますが、天土と申します者の素性は・・・。それと今一つ、夏目様は、御存知の筈でしたとは、夏目殿は如何に・・・」
半蔵の問い掛けに、翠雲が正直に天土の素性を話しすれば、半蔵、否、伊賀全体に激震が走り、下手をすれば、半蔵は切腹の上、幕府は、伊賀へ軍隊を送り込み、一族根絶やしの行動に出ると思われた。
天土の素性を隠さねばと思う翠雲と、その素性を明らかに致せとせまる半蔵は、己の身に降り懸かる火の粉を自らが呼び寄せているとは夢にも思わなかったであろう。
皮肉と言えば皮肉であるが、天土が隠していると思われた金塊を手に入れれば、幕府は安泰であり続けるとの判断の上で、半蔵は質問しているのだ。
半蔵が口を開いた語尾に、夏目幸太郎の名が上がり、話を横道に逸らす好機が訪れたと感じた。
「夏目様は、ある者の手に由りまして、討ち死になされました」
「ある者とは・・・」
半蔵の眼は、「逃さぬぞ、翠雲」と語尾を捉えては質問を繰り返して来た。
「夏目様を討ち取った者の名を上げれば、秀忠様に害が及ぶかと・・・」
「翠雲、遠慮は要らぬ。その者の名を」
「柳生一味で御座います。柳生は、金塊の在処を探る為に四度に渡り、高田城内に侵入し、金塊の強奪を狙い、悉く失敗するや、夏目様を蹂躙した上で絞殺に及びました」
「佐渡(本多正信)、柳生が関り始めたとなると厄介であるな。秀忠が命じたならば、金塊を手に入れた所で、幕府の金蔵に入るが、柳生宗矩が秀忠の知らぬ所で金塊の強奪を命じ、金塊が柳生の懐に収まれば、一大事じゃ」
「翠雲、柳生の手より金塊を守り通した事は立派ではあるが、高田城三の丸に隠された金塊を如何様に致す所存じゃ」
「総ては、家康様の命じる儘に、致しまする」
家康は、長い間会話を続けていた為に疲れを見せ、正信の計らいで、一時、会話を中断する事にし、侍女、近習を呼ぶや、正信、半蔵、翠雲は、別室で控える事となった。
三人には茶が運ばれ、一口茶を啜り、喉を潤した後、半蔵が口を開いた。
「翠雲、天土と名乗る者は、一体、何者であるか・・・」
「半蔵様、天土様の名を明かしますれば、半蔵様ばかりか伊賀全体に被害が及びます」
「何を申しておる。儂は、その様な者は知らぬ」
「長安様の娘婿に、心当たりは御座いませぬか・・・」
半蔵の顔色が変わり、唇が震え出した。
「正重(半蔵の次男)だと申すのか」
「はい、家康様にこの名を控えましたのは、半蔵様の恩為にと・・・」
正信は、暫らく考え、
「此の事が幕府に知られたならば、大事になるであろう。半蔵、翠雲に借りが出来た様じゃ」
「翠雲には感謝致すが、正重の存在を消すには、儂の手の者に始末させる他はあるまい」
「天土様の周囲には、柳生を追い払った武蔵忍が万全の構えで御守り致しております。容易に討ち取る事は不可能に近いかと・・・」
「ならば、儂が直接参り、刺し違えても始末せねばならぬ」
「お主が高田まで出向いたとしても、天土に会う事すら出来ぬのであろう。翠雲、何か手立てはあるか・・・」
「天土様を失えば、武蔵忍衆が行き場を失い、其れこそ金塊を操り、幕府に盾突く恐れが御座います。この件は儂にお任せ下され」
「お主、高田へ戻ると・・・」
「その心算で御座います」
「翠雲、伊賀の命運を賭けて事の処理に当たれ。半蔵、天土の件は翠雲に任せ、お主は、殿の御傍に」
「だが、翠雲が、天土を討ち損ねたならば事は公になり、儂一人のみならず、伊賀の郷が崩壊致す」
「此処は、翠雲が任せてほしいと申して折るゆえ、総てを一任させる他あるまい」
「翠雲、天土の件はお主に任せる。この通りじゃ」
半蔵は一歩下がり、深々と翠雲に頭を下げた。
三人が待つ部屋に、家康の近習が姿を見せ、殿が、御会いなさるそうで御座います、と告げ、部屋を出て行く時であった。
正信の近習が近寄り、何やら耳打ちすると、一瞬だが、翠雲の顔を見、待たせておけ、と言葉短めに言い放ち、何事もない素振りで家康の部屋へ出向いた。
三人を待っていた家康は、疲れから多少なりとも回復したのか、即座に半蔵に命じたのは、柳生の動きは秀忠の意向か確かめ、柳生宗矩の一存ならば阻止致せ、と命じ、半蔵は部屋を出て行った。
「翠雲、金塊を手に入れる事は可能か・・・」
翠雲は、天土、権座の顔を思い浮かべ、家康が、是非にと申したならば、命に代えても実行しなければならぬと思った。
だが、口から出た言葉は、
「高田藩御取り潰しの後でしたならば、金塊は手に入れる事が出来ますが、現状では無理かと存じます」
この一言が、高田藩の将来を暗示させる言葉であったのだ。
正信が、家康の耳元で何やら呟き、家康が頷くや、翠雲に、一時席を外す様に申し渡し、正信の客人を部屋に呼ぶ様に伝えた。●
その場に姿を現わしたのは敦姫で、侍女らしき者を連れ、家康の見舞いに参ったのだ。
敦姫から見舞いの言葉を受けた家康ではあったが、敦姫が連れて来た侍女に気を奪われていたのか、上の空で聴いていた。
「敦姫、連れて参った侍女は・・・」
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