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地方自治体職員の災害派遣で陸前高田に派遣されてたコーシーですが 無事に5泊6日の任務を終えて、帰還しました! 報道で目にしてた被災地ですが 実際に目にする光景は、本当にこの世の物とは思えず 派遣された職員も、最初は言葉を失う衝撃でした・・・ そんなレポを何度かに分けて、書いて行きたいと思います。 まず、我々職員は部署別に岩手組30名と宮城組70名に分かれ コーシーの所属する部署は岩手の陸前高田市に派遣との事 多くの犠牲者が出た場所です! 何が出来るか、行くまでは職務の内容すら分からず、とりあえず 6日分の着替えや防災服をバッグに詰め込み、20時半にバスに乗り込み 現地に向かいました。 ↑宿泊場所の岩手県、大船渡の合同庁舎 途中の東北自動車道は、あちこちで補修の跡がありデコボコ・・・ 高速で走るバスは激しい突き上げがあって、とても車内で寝れた物ではありませんでした。 寝不足のまま、早朝に当座の宿泊場所、兼派遣本部の岩手県庁、大船渡の合同庁舎に到着〜 ↑宿泊場所の会議室・・・床にキャンプマットを敷いて、寝袋の生活 隣とは10センチも離れて無く、コレに比べれば訓練の予備自の内務班など天国の様です。 ↑到着直後に配られた5日分の食料! アルファ米の白米やお粥・・・さらにカップの春雨、カロリーメイト! 現地での個人的な買い物は厳禁なので、この食事内容と激務では かなりのダイエットが期待できそう〜 一緒に来た若い職員はこの時点で半泣きの状態(^^;) 休む間もなく、前日に班分けされた5名でレンタカーに分乗して 今日の作業箇所、車で30分ほどの陸前高田市の高田小学校に向かう! ↑我々に課せられた任務は、この高田小学校の復興業務・・・ 20日の始業式に間に合う様に、水没した体育館と教室の一階部分を児童が通学してきても 危険が無い様に応急処置し、清掃するとの事! 同校の体育館、小学校自体が海から2キロほど離れた高台にあり 体育館と校舎はグラウンドよりさらに2mほど高い位置にあるものの 津波はこのグラウンドを瓦礫の山にして、体育館と一階の教室を腰の高さまで 水没させたそう、校舎にはその時の水位がまだ残っていました。 体育館は当初、遺体安置所に使われ、クレゾールの臭いが強くしていました 校庭には岩手県警の検死班も常駐してて、時より遺体が運ばれて来ます 毛布に包まれた遺体の足が見えたりして、とても痛ましかったです・・・ 心の中で合掌しながら、作業してました。 職員室の前に以前から飾られていた震災前に、校舎から海側に向けて撮られた写真 グラウンドの前に職業訓練校の木造校舎があり、海は望見できなかった景色が・・・! 津波が襲った後は、木造校舎は影も形も無くなり 海まで視界を遮る物は根こそぎ流失して、皮肉にもこの日は青い海が見えていた・・・ あの海にはまだ大勢の方々が沈んでいると思うと、とても複雑な心境でした。 遠くに見える壁の倒れた市民体育館は当初3mと言う津波の情報に 市民が数百人避難していたが、津波の高さは屋根まで達し 此処に居て助かったのは3名だけだったそうです。 ↑校内でも津波の威力を物語る痕跡が! 職員室の前に飾られてた昔の高田小の写真 開校以来、毎日子供達を見守った校門の石柱は・・・ ↑津波で2本とも根元から折れていたし ↑引き波で押し倒され、校舎前から海側に3m以上引きずられた 二宮金次郎の台座・・・ ↑体育館から見た、外の景色は 津波が此処まで来た境界で、瓦礫を隔てた道の向こうの住宅は 何事も無かった様に、無事に建っているのが不思議な光景だった。 ↑瓦礫を片付けていると、津波で流されたこの様な写真を多数目にする 少し前まで平和だった、この人たちの幸せの断片が無残に泥にまみれています 同じ年代の子供を持つコーシーは涙を禁じえませんでした 思い出がありそうな物を集積してる場所があるので この子たちの無事を祈りながら、写真の泥を拭い集積場所に持って行きました。 2日の間、割り当てられた復旧作業をして 校長から、本当に感謝され 形の残る作業をして来れたので、班員一同、達成感のある仕事をして来れたと思っています。 小学校の復旧も大方終わったので次の日は支援物資が集積されている 高台の給食センターに派遣になったけど、慣れない倉庫業務に半日で手に痣が(^^;) ↑でも、壁や物資にはこんな応援が 痣くらい、何でもないっ!もっと頑張れ〜 自衛隊、高田市職員、ボラさんと共に、災害支援物資の受付、発送業務・・・ すごく連帯感のある場所でした。 ↑復興に向けて我々が出来た事は些細でも 力になれた事は実感できました、被災地の方々に「ありがとう」と 声を出して感謝されて、来て良かったと切に思いました。 高田小の校庭には沖縄からボランティアさんが持って来て 被災地の子供と鯉のぼりを立ててました 一日も早い復興を願って止みません! 一生忘れない派遣になりました。 後日2へ続きます・・・
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災害派遣任務ご苦労様でした。
支給されたのは戦闘糧食ではなかったのですね。
写真を拝見すると報道でみるよりひどいように思えます。
こいのぼりをみてちょっと救われました。
2011/4/23(土) 午後 0:14
ひびきさん、こんにちは!
戦闘糧食が、ご馳走に思えるほど貧弱なメニューでした
避難されてる方の配慮なのだと思いますが
支援物資を見ると、避難所には食料が行き渡ってる様子で
支援側がこんな低カロリーでは持たないって
本部には提言して来ました。
市内を通って宿泊所に通ってましたが
本当に酷い惨状で、町も人も何もかも根こそぎ持って行った
感じです、この後にUPしますね。
2011/4/23(土) 午後 0:58
お帰りなさい。m(_ _"m)
・・・言葉が出ないですね。。。
でもUPしてくださって ありがとぅゴザイマス。
まったく現地の様子がわからない私にとっては
今のこの現状を知るということが重要だと痛感しております。
次回記事も心して読ませていただきます。
2011/4/23(土) 午後 4:20 [ - ]
雪風さん
宿泊した大船渡の高台は全く被害が無く
レンタカーで小学校に来るときに見た惨状に
皆、息を飲んで見守るばかりで・・・
瓦礫から思い出の品を探す人や
跡形も無くなった家の塀に、家族の安否を気遣う
書き込みがあって、ダメだった人の名前が
横棒で消してあったり・・・
本当に言葉が無くなりました。
壊れてグシャグシャになった消防車に
雪風さんを思い出してましたが・・・
コーシーの記事が少しでも役に立ってくれれば
幸いです。
2011/4/23(土) 午後 4:45
派遣お疲れ様でした。
普段後輩に昼飯くらいちゃんと食えよ!って言っているだけに、
こんな食事が出されてはちょっと言葉が出ません。
イイ仕事をする為にはもうちょっと食事は改善して欲しいですね。
冷食や缶詰めばかりで便秘になっている隊員も数多いと聞きます。
被災者優先はもちろんですが、復旧で頑張っている人たちがこんな環境では…
2011/4/23(土) 午後 5:08
尊い任務、お疲れ様でした。
埼玉に居いると、だんだん現地の報道が良くないことですが、目が慣れてきているように感じます。
しかし、実際に現地は想像を絶するものなんでしょうね。
報道でも、思い出の品々が映し出されますが、見ていて辛いです。
私も故郷に行きたいのですが、親戚からはまだ来ないでくれと言われてしまいました。
終戦の焼け野原から立ち上がった日本、必ず復興できると信じてます!
2011/4/23(土) 午後 5:11 [ しゃち ]
おかえりなさい。
派遣、お疲れ様でした。
テレビを見ても悲惨な状況に驚くほどなのに、実際は、もっとすごいのでしょうね
忘れることなく、もっともっと長い目で支援していくためにも
コーシーさんが経験をされたこと、たくさんの方に伝えていってくださいね☆
2011/4/23(土) 午後 5:19 [ すず ]
NOCARさん、こんにちは!
コーシーたちが泊まった施設の階には
トイレが2つありましたが
30人も居て、朝のトイレラッシュは皆無でした・・・
みんな出るものも出ないって感じでしたね(^^;)
近隣の宿泊施設は営業の看板が出てる所もあり
この様な施設を長期で借り上げれば
地元も潤うし、派遣職員も畳で寝られるので
派遣スパンも伸びるんじゃないかと
職場の帰還レポートには書いて来ました。
2011/4/23(土) 午後 5:20
orcaさん、ただいまです!
被災地の報道が飽和状態で
原発に偏りがちですよね・・・
でも、被災地の方々の状況は
震災発生時とあまり変わっていません。
故郷は心配ですね、とりあえず、こちらで出来る限りの事をして
早い復興に寄与できると良いですね。
2011/4/23(土) 午後 5:23
すずさん
現地の街に行くと、本当に360度
何も無い世界なんですよね・・・
瓦礫の山も、どこから手を付けて良いのか
分からない状況です!
警察や自衛隊もブロックに分けて遺体捜索をしていました
復興には長い年月がかかるのだろうと思いました。
召集は今回だけでは無いでしょうから体調に気をつけて
せめて自分に出来る限りの事をして行きたいと思ってます!
息子さんも頑張ってますよね・・・
復興への思いは同じだと思います。
2011/4/23(土) 午後 5:29
コーシーさん、こんばんは。
災害派遣で本当に御疲れ様でしたm(__)m
私の職場でも希望制で、部署で支障の無いところで10日単位で派遣しておりますが、今回異動したばかりで、それも私達の担当2人とも着任したばかりで、希望を申し出ておりませ〜ん。
とにかくTVで見るのとは、現場は大違いと、2週間ほど前に連絡のついた石巻の先輩が言っておりました。
TVでは報道もされていないそうですが、被災地では救援の手が届く前には、かなり食べ物の略奪等もあったそうで、やはりそれほどの生き残った方々でさえ、「生きるため」で周りの人は見て見ぬ振りだったと話してくれました。
単に「頑張ってる」で済ませる綺麗ごとではないのが現状なのでしょうね。
本当に御疲れ様でした<(_ _)>
2011/4/23(土) 午後 9:08
コーシーさん、任務お疲れ様でした!
改めて写真や現地での状況を聞くと物凄さがわかりますね。目の前に車などの瓦礫があるのに、その後ろの民家は全く何でもない・・・目の前に津波が迫ってきた時は凄く怖い思いをしたのでしょうね。
一瞬で全てを奪った津波・・・残された写真を見ていると涙が出る思いですね。本当にお疲れ様でした。
2011/4/23(土) 午後 11:08
Tohruさん、おはようございます!
10日とはスパンが長いですね・・・
コーシーの派遣も、もう少し食・住の環境が改善されれば
スパンが長くても良いと思ったのですが。
被災地の方々・・・当初はそんな状況でしょうね
確かに骨組みだけになった店からは大量の商品も流された
でしょうから。
今は現地の治安も回復してる様子で、陸自の警務隊も
被災地の交通整理などをしていました。
被災地のあちこちに自販機が転がっており
バール一本あれば、誰でも小銭は手に入る環境だと思いました。
2011/4/24(日) 午前 8:31
飛び職さん、おはようございます!
グーグルアースでも現地の様子が見られますが
本当に何も残って無いですね。
恐ろしい思いをされたけど命がある人は、まだ救われたと
思います・・・
何だか分からずに波に飲まれた方も多いのでしょうね。
本当に、写真を見て泣きましたよ〜
つい作業の手を止めて見入っちゃうんですよ・・・
この子達の無事を心から祈ってます。
2011/4/24(日) 午前 8:37
コーシー先輩、ご苦労様でした。
TVなどでは見抜けないような写真とレポートありがとうございます。
TVを見るより心が本当に痛みます。こうした現地に行かれた方のお話は本当に生の声って感じがして現実感バリバリです。
コーシー先輩は現地に行かれましたが、コーシ先輩をはじめ、ボクも違う立場で参加できる可能性があったのに、可能性は限りなく・・・実現できそうにありません。悔しいとまでは書きませんが、なんだかむず痒い感じです。我々の存在価値ってなんなんだろ〜?って考えてしまいます。
2011/4/26(火) 午後 11:57 [ reder ]
rederさん、こんばんは!
予備自は、どうなってるんでしょうね?
常備自衛官も疲れが出てる頃ですよね
こんな時こそ、予備に召集を掛けないと
今、行かなかったら、いつ行くの?
が俺たちの声ですよね!
その為に手当て貰って訓練して来たのに
コーシーも、あて先の無い怒りのやり場に困ってますよ。
予備自の運用は事務方の処置とか大変かも知れませんが
とにかく実績を作って欲しいですね
被災地のため、労力を惜しまない覚悟で居る予備自衛官の
気概を見てもらいたいです。
2011/4/27(水) 午後 8:42
コーシー先輩、こんばんは。
予備自の合言葉のごとく、「今、行かなくて何時行くの?」です。
現自からすれば、元自の予備役なんて趣味や同窓会レベルって考えられているのでしょうか?
確かに故郷に帰るような気分もしますが、真面目に訓練やってますし、真剣なんです予備自衛官も、役に立って見せますよ。
2011/4/28(木) 午前 0:10 [ reder ]
rederさん、おはようございます!
西空は26日から派遣って話しでしたが
順繰り中空にも回って来るのかと思ってましたが・・・
とにかく今回の震災で召集されないなら
某国が攻めて来ても、混乱して召集すら掛からない気がして
なりませんね!
予備自の士気向上のためにも、手を挙げてる隊員には
順次現地入りさせてもらいたい物です。
2011/4/28(木) 午前 6:13
岩手県に災害派遣で行かれていたのですね。
私の住む街も沢山の方々から支援をいただいています。
大きな道路はがれきも片づけられましたが一歩入るとまだまだです、遠い道のりですが皆さんに支えられて士気を高めていかねばデス!!
2011/10/31(月) 午後 3:54 [ イメルダ ]
イメさん、コメントありがとうございます!
8月に、南三陸町に行って
景色が、震災直後とあまり変わってないのに
驚きました。
何かと不自由な事も多いと思いますが
もしチカラになれる事があれば、言って下さいね。
2011/10/31(月) 午後 9:41