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コーシーのブログも、すっかりネタが切れ 新しい話題を収穫に飛び回る気力も体力も無いので しばらくは昔話でもしてみようかと思ってます 画像も既出の物も使いますが、良ければお付き合い下さいね〜 でっ時代は昭和55年に遡ります・・・高校を卒業したコーシーは この世の最先端技術を習得するには何がイイか? そうだっ、飛行機の整備士になろうって事で、航空自衛隊の門戸を叩きました あの頃は、自衛隊って今ほど市民権を得られてなくて 良く繁華街で遊んでる若者に「キミ〜良い体してるね!自衛隊に入らない?」 なんて、地方連絡部の募集官が、一本釣りと呼ばれるダイレクトな募集方法を実施してる おおらかな時代でしたから、コーシーも意外に難しい試験も無く、すんなりと 航空自衛隊に入隊させていただけました 入隊して、何度目かの外出で「キミ・・・自衛隊に入らない?」って声を掛けられました 広報官に「もう入ってます」と言うと、残念そうに去って行きましたが 同期でも何人か、外出中に声を掛けられた奴が居たそうです 景気も良くて、入隊する人員を確保するのが難しい時代だったんですね(^^;) 最近は本屋で「自衛隊試験問題集一般2士」なんて本が売ってて、ビックリした事もありました。 ↑(教育隊で、初めて制服を着て研修に出た頃のコーシー・・・研修先は入間基地) 空自に入ると、まず熊谷か防府の航空教育隊で3ヶ月間 隊員に必要な、基礎体力の練成と、その他の精神教育が行われます その後、適性や希望により各種の職種に振り分けられるのですが コーシーは、第一志望の航空機整備の職種に行く事が出来ました。 空自の航空機整備員の基礎を習うため 第一術科学校行きの切符を手に、浜松まで新幹線で赴任しましたが 空自の青い制服で東京駅を歩いてると、駅員に見えたのか 「すみません、新幹線のホームは何処ですか?」っておじさんに聞かれ コーシー「あの、私もそこに行くんですが、ボクは自衛隊員なんで分かりません」 って言うと、おじさん「自衛隊だって、そのくらい分からんのかっ」って 怒られました・・・そんな自衛隊も理不尽な扱いを受けてた時期なんですよね〜 また、空自の隊員はみんなパイロットだと思いこんでる人が多く 新幹線の車内では、違うおじさんに 「キミは何の飛行機に乗るの?」 って、コーシーは整備士のタマゴです、なんて言っても分からないので 「まだ、何に乗るか分かりません、これから教育を受けに行きます」 と答えたりw 第二次世界大戦を経験したであろう、お爺ちゃんからは あんたは、陸軍の航空隊?それとも海軍の航空隊かね? って、航空自衛隊って、陸でも海でもない 立派な部署があるんですって言っても、最後まで納得してもらえませんでした(^^;) 制服自体が、まだ市民権を得て居なかった時代でした。 浜松基地では航空機整備士の基礎を3ヶ月ほど、合宿で習います! 高校の勉強ってイマイチ興味が無かったコーシーも この術科学校の勉強って、実習を交え本当に興味のある事ばかりだったので 面白いほど、習った事が頭に入っていく、そんな経験をしましたね〜 科目ごとのテストも満点が多く「なんだ、オレって本当は頭がイイんじゃね?」って ああ、もっと幼い頃から真面目に勉強してれば良かったのに・・・ と後悔しても、もうとっくに遅い事実を味わいました(^^;) 術科学校でも、座学ばかりやっている訳でもなく この頃は、まだ土曜は半ドン、基地の外柵沿いを隊列組んで走ってると 車に乗ったカップルが「がんばれよ〜」とからかいながら通って行ったりで! コンチクショー・・・彼女の居ないコーシーは、いつか自家用車にカワイイ彼女を乗せて 外柵を走ってやる〜と、誓った物でした。 また貴重な日曜日など、寝坊したいのに 空手の有段者の区隊長(1曹)と、元救難のメデックの区隊付き(2曹)が 「お〜い、走りに行くぞ〜」と学生を起こしに来て 有無を言わさず、基地外柵7キロのマラソンツアーに付き合わされるので しばらくすると日曜は、起床後も区隊長の影に怯えながら みんな朝食も摂らず、そそくさと浜松の町に久々の自由を求めて 散っていくと言う、悲惨な休日の朝が続きました。 術校の思い出と言えば、課業後に基地内売店の「インディアンババア」の店で 同期たちと語らいながら食べる、ジャンクフードの時間が唯一の楽しみでしたね。 ↑(夏だからTシャツで実習です、機体の前に居るのがコーシー) そのころ、空自ではイーグルも配備され、まだまだファントムが主流の時期でしたが コーシーが、基礎を習ったのがこの「F−104J」ですよ! でも、初めて真近で見たこの飛行機は衝撃的でしたね・・・ 主翼はマジで大根が切れるほどシャープで、飛行機と言うより「ミサイル」 滑空なんか出来ないからエンジンが止まると棒の様に落ちるそうで この時ばかりは、花形のパイロットに少し同情しました(^^;) ↑ (F−104J・・・コーシーはコイツを見ると魚の秋刀魚を思い出します) 卒業も近くなると、このF−104の実機を使った、学生による「ランナップ」の テストがあります・・・ エンジン始動から始まり、各部の点検、更にアフターバーナーに点火し 最後にエンジンを切るまで、学生が一人でコックピットで操作しなければなりません! コーシーも、この時は緊張しましたね〜パイロットで言えば初ソロみたいな物でしょうか・・・ このF−104のアフターバーナーも地上の水噴射式のサイレンサーで 機体は、鉄の太いワイヤーに繋いで行うんですが バーナー点火は、イヤーマッフ装着してても、もの凄い音で 機体を係留してる鉄ワイヤーがピンと張り、逃げ場の無い機体のノーズストラットが 限界まで縮む姿は・・・「ああ、この世の最先端技術なんだ!」 と痛感すると共に、逆に、こんな恐ろしい物を、これから扱うんだなぁ〜と 妙に神妙な気持ちになったのを覚えてます。 この後、無事に術校を卒業して、部隊に配属されるのですが 配属先も、第一志望の入間基地になり、浜松基地を後にしますが 部隊配属の思い出は、この後に続きますね。
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大変興味深く読ませてもらいました。制服で街中を歩くのって少し緊張しますけれど、少し誇らしい気分になりますね。「あんたは、陸軍の航空隊?それとも海軍の航空隊かね?」というのは少し笑いました。そう言えばベトナムでは米軍の間でお酒やドラッグが流行っていたのですが、GWOT(2001年9月11日からの一連の戦争をまとめてこう呼んでいます)では酒類は厳禁。帰ってきてからベトナム帰還兵の人のお爺ちゃん達にそのことを説明するのに苦労したことがあります。「兄ちゃんらはイラクでどんな酒飲んでたんだい?」「いや・・・お酒なんか一滴も飲んでない」
2011/11/12(土) 午後 8:15 [ H ]
私も学生時代によく声をかけられました。今思えばあの時着いていけば良かったかな〜とも思います。
マルヨンのエンジンでテストするのですね。かなり迫力ありそう。。。
聴いた事は無いのですがものすごい爆音なのでしょうね。
2011/11/12(土) 午後 8:44
とても興味深いお話でした。
コーシーさんて文才もあるかも。
当時は繁華街渋谷なんかを歩くと本当に声を
かけられたいたようですね。
自分はあまり繁華街は歩かなかったので残念ながら
そのような機会はありませんでした。
今日はB大の開校祭の第一日目だったのでO台の
B大に行ってきました。
毎年行くのですが、校内に保存されているマルヨン
を確認しに行くのが恒例になっています。
マルヨンは無事にありました。 キャノピーにひびが
入っているのがちょっと心配です。
2011/11/12(土) 午後 9:15
Hさん、こんばんは!
米軍は制服が、市民権を得てますよね〜
ハワイに行ったとき、陸軍の少佐が空港に制服で居て
違和感なしに溶け込んでる姿が
カッコ良かったです。
GWOTの話しは、コーシー興味深いですね!
戦地では、極度の緊張があるでしょう・・・
酒やドラッグが無いと
返って逆効果になると思ってましたから。
2011/11/12(土) 午後 9:57
NOCARさん
そうですよ〜、話しに乗ってみるのも
面白かったかも!
成績の良い人は、入隊後に航空学生に受かって
パイロットになったり・・・
防衛大や部外幹部になった人も多かったですよ〜ん
マルヨンは、飛行音もいい音してましたが
地上でも、素晴らしい大音響でした♪
2011/11/12(土) 午後 10:00
ひびきさん、コメントありがとうございます!
文才だなんて・・・木に登っちゃいますよ(^^;)
今日は、入間でもBIの予行が行われたそうですね〜
走水にもマルヨンがあるのですかっ
キャノピーにヒビ・・・可哀そうに
スペア部品があれば、すぐ取り替えてあげたいなぁ
とにかく、再会したら宜しくお伝え下さい・・・
そういえば、新潟の湯之谷村に出前した86Fも
元はB大にあった物です!
コーシーが組み立てた物ですので
もし、新潟に行く機会があれば
見に行ってやって下さいね。
2011/11/12(土) 午後 10:06
こんばんは〜!
コーシーさんが目指した技術をどんどんと習得されてゆく様が、コーシーさんの素晴らしい文章能力によって、今目の前でドラマの様に見えるのが分かって、大変興味深い内容でしたァヽ(^o^)丿 ポチッと!
私も車の整備士ではなく、つくづく飛行機のメカをやりたかったなァ〜と、後悔先に立たずでーす^^;
2011/11/13(日) 午前 0:26
Tohruさん、おはようございます!
ドラマなんて・・・お褒めの言葉、ありがとうございます☆
部隊配属編を書くの、緊張しちゃうなぁ
むしろ自動車のメカの方が、数段難しいと思いますよ〜
飛行機って担当が細分されてますから
計器、油圧、電気、エンジンと・・・
ただ、ミスすると路肩でJAFって訳に行かないので
緊張はしましたけど(^^;)
Tohruさんが空自に入らなかったのは、国の大きな損失でしたね〜
それに、あの箱ラマの腕なら・・・
空自には教材整備隊と言って、教材用の航空機模型などを制作する
部署もあり、Tohruさんの凄腕が生かされる
適任の職種じゃなかったでしょうか、う〜ん惜しいなぁ(^^;)
後悔は先にたちませんが
ポチもありがとうございます☆
2011/11/13(日) 午前 7:48
コーシー先輩、こんにちわ。
ボクも防府から熊本に帰るときの制服姿に博多駅で「この特急は〇〇駅に止まりますか?」とか「この電車は何時発ですか?」など・・・「駅員じゃないから分からない」と答えると、「じゃ〜車掌か?運転士か?」とか「調べてくれんねぇ〜」とか「不親切か駅員ねぇ〜」とかの罵声を浴びるたびに「航空自衛官なんで!!」と説明するのもめんどくさくなって、終いには、走りだした電車の中で小さな子供から「忘れ物をしたから乗った駅までバックしてぇ〜車掌さん」なんて可愛いリクエストまで頂戴しました。
風呂帰りの隊員でインデァンバァバァーの店、商売繁盛でしたねぇ〜
2011/11/14(月) 午前 11:44 [ reder ]
私は新隊員後期教育中に、同期と一緒に海上自衛隊の護衛艦の一般公開を見に行き、自衛官スカウトされてしまいました〜。
女性自衛官のスカウトはかなり珍しく、スカウトされるってよっぽど・・・。
私が入隊した時は、制服外出は無くなっていました。危険だったみたいです。
2011/11/14(月) 午後 2:20 [ いずみ ]
rederさん・・・
紺色の制服って、日本は多いですよね・・・
コーシーも制服着用で車を運転中に
追い越し禁止の道路を法定速度で走ってると
後ろの車が追い越して来て、隣に並んでコーシーを見た瞬間
すーっと、後ろに戻って行って、後は法定速度で大人しく
付いてきましたが・・・
空自制服が警察官に見えたんですね(^^;)
インデァンバァバァーの店!
儲け過ぎでしたね〜
どうやって基地内に出店の許可を取ったのでしょう・・・
今は入札制で、特定の人物が長期に店を出せない様にしてますが
あのころ、基地内に店を持ってたら
確実に儲かったと思いますよね。
2011/11/14(月) 午後 8:38
いずみさん、こんばんは!
女性にも声を掛けたとは初めて聞きましたがっ
良く考えると募集官も男ですから・・・
美人には、ダメ元で声を掛けますよ〜(^^;)
コーシーだったら、やっぱ声を掛けて
募集の経費で、いずみさんと、お茶します♪
コーシーも頃も、よほどの事が無い限り
私服で外出せよとの達しがありました。
2011/11/14(月) 午後 8:43
制服は反則ですねぇ。(笑)
三菱エンピツって言われるのわかる機体ですね。
小松のプラザにも展示してありますが、「コレ飛んでたの?」って最初思いました。(^_^;)
2011/11/15(火) 午前 9:09
この動画 ブログの内容とシンクロしてて 泣けます…
http://www.youtube.com/watch?v=FpMf5vPrAe0
2011/11/18(金) 午前 8:16 [ - ]
雪風さん、こんちわ!
雪風さんの制服も似合ってますよね☆
中身が良ければ尚、引き立ちますね〜
ミツビシエンピツとは上手い表現だなぁ
展示機の主翼はカバーがしてありますが
こんど、カバーが外れたら、見て下さい
正に、主翼は包丁です。
2011/11/19(土) 午後 3:22
riki・・・
さっきチャプター1だけ見ました☆
良く出来てますね〜
コーシーの時代は、最初に飛行隊に行かず
術校を出てから部隊配属でしたけどね。
でも5レベルに落ちる奴はいなかったよね〜
そもそも、航整職種になる奴は、そこそこの成績じゃないと
なれなかったよなぁ・・・
丁稚奉公!
思い出したよ〜ん
誰よりも早くショップに来て
格納庫の扉を開けて、みんなの机の上拭いて・・・
あの頃、同じ時期に配属された
曹候の生意気な同期が居て
コーシーは2士だけど曹候は1士になるのが
早いから、そいつお茶汲みとかやらないんだよな〜
悔しかったなぁ、そんな丁稚の頃の思い出です。
2011/11/19(土) 午後 3:31