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南三陸町。

コーシーの義母は、今回の震災で甚大な被害を受けた南三陸から

車で40分ほどの栗原市と言う所に一人で住んでいます

今回の震災では、実家自体は幸い被害が無かったのですが

年寄りの一人住まいで、倒れた仏壇や箪笥をせっせと元通りにしたら

また大きな余震が来て、家の中が震災直後と同じになっちゃって

もう嫌になったから、仏壇も箪笥も寝かしてある!

と言うことなので、今回は個人的な災害派遣に家族一丸で行って来ましたが

どうしても、家族にも見せたかった今回の津波の恐ろしさ

帰る日に、少し寄り道して・・・

復興の邪魔にならぬ様に、南三陸町を通過して来ました。

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↑見えて来たのは、やはり陸前高田と同じ様な光景・・・
震災前は見慣れた町だっただけに、やはり家族も言葉を失ってました!

津波で破壊された町並みに新しい電柱と電線が目立ちました
唯一、復興の息吹を感じられる物でした。


南三陸町の志津川地区は、コーシーも震災前には

釣りや海水浴などで何回も家族で訪れた事がある場所でした!

何年か前に此処の湾内にある釣り用の筏の上で震度5弱の地震に見舞われ

海面下から「くぉ〜ん」と今まで聞いた事の無い様な音がしていたのを思い出します!

コーシーが居たのは海上だったため、揺れは全く感じられず

しばらくすると、消防団の人たちに津波が来るかも知れないので

釣りは直ぐに止めて、高台に避難する様に言われました・・・

あの頃は津波の怖さなんか知らないから

すぐ近くの10mもない高台に避難して、どんな波が来るのか見物して居ましたが

幸いにして、数十センチの波がチャポンって来ただけで

少しガッカリした記憶がありましたがっ

そのときに、今回の様な津波が襲って来たら・・・と思うと

自分はただ、たまたま運が良かっただけなのだなぁ〜と。

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↑報道などで良く目にした、南三陸町の防災庁舎・・・
此処で最後ま防災放送で避難を呼びかけた若い女性職員も犠牲になりました。
先日、沖合いで遺体が発見されたそうです、心からご冥福を祈ります。


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↑瓦礫と呼ぶには、あまりにも被災された方々の生活の面影が多くて・・・

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↑この地も4階以上に波が押し寄せた事が分かる画像です、団地の屋上に自動車が・・・
 漁業の町なので、漂流物も漁具が多く見受けられました。

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↑まだ手付かずの場所が多く見受けられ
以前行った陸前高田より、人力が割けない状況?なのかなと思いました。

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↑世の中はゴールデンウィークですが被災者の方々は、連休なんて関係ありません!
自衛隊も頑張ってました。

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↑海鳥?・・・人間たちへの救いで手一杯・・・
この様な、弱い立場の動物は自分でわが身を守るしかありません
どうか、猫や野犬などに襲われません様に。

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↑数箇所の被災地の惨状を実際に目にして来たコーシーですが

本当に被災地は、まだ震災直後のままで、シロウト目でも

何処から手をつけて良いのやらと、途方に暮れる惨状でしたが・・・

廃墟と化した街で、復興に向け休日返上で黙々と働く自衛隊員を見て

コーシーも同業者の端くれとして頼もしく、そして誇りに感じました。

長いスパンで、復興の手伝いをコーシーも出来たら良いなぁと思い

南三陸町を後にしました。
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↑今回の災害派遣業務の高田小の復旧で、校庭から近い場所にあったこの建物・・・

派遣中は毎日、この前を通っていましたから特徴のある建物で、印象が深かったのですが!

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↑地元では、有名な洋菓子屋さんで

名前は「清風堂」さん、震災前に撮られた画像です。

地元から愛されて来た、我が町にも普通に存在する洋菓子屋さんですよね!

この様な記事が載っていました↓


コーシーも、このヘリからの画像は派遣前に見た記憶が蘇りました。

そのヘリから撮った記者が、この被災者と避難所で偶然に会った記事です
是非クリックして読んで見て下さい。


この建物に居て助かった菓子職人さんの記事ですが

現地に行ったコーシーは尚更

その地獄の様な状況が、自分の事の様に感じられてなりませんでした!

悲惨な状況の建物を多数、目にして来ましたが、改めて、その1つ1つの中では

目の前で、家族が、友達が、大切な人が流されて行く・・・そして自分も・・・

信じられない状況が身に起きていたんですね!

その殆どの方は、それを誰にも伝える事が出来なくなってしまったのが事実。


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人生で初めての被災地への派遣業務・・・

たまたまコーシーは津波が来ない地方に生まれて住んでいただけ

これが逆であっても、少しも不思議じゃない訳で!

何時、この様な災害に見舞われて命を落すなど

誰にも分からないんだと言う、当たり前の事が痛感できた事でもありました


改めて今回はコーシーに、残された貴重な人生を与えられた事を感謝し

日々を大切にしながら、被災地への支援を出来る限りして行こうと思った派遣でした。


3度に渡った災害派遣のレポートはこれで終わります

拙い文章を最後まで読んでくれた皆さんに感謝します。

災害派遣レポート 2

前回から続きます・・・

作業を終え、陸前高田市内を通って宿泊場所の大船渡の合同庁舎に帰るのですが

その道中に、この様な惨状が目に飛び込んで来ます!

派遣前に、報道で目にはしてましたが

実際に目の当たりにすると、もう声も出ませんでした

レンタカーの車内から撮った画像です。

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↑高田小を一歩出た風景・・・

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↑洗いざらい何もかも破壊して行った津波

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↑もし、この建物の中に自分が居たら・・・

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↑海岸の防風林の数万本の松林が流失したので、到る所に松の木がありました

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↑建物に車が引っかかってます

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↑市内の消防本部、震災前の状態が・・

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↑建物は残りましたが、この様な状態

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↑最後まで避難を呼びかけて、自ら津波に呑まれた消防車

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↑陸前高田高校の建物

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↑市民体育館、海側とは逆の壁が倒壊している、此処に非難した7〜80人の方は
3名を残して、全員犠牲になったそうです。

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↑海岸近くの団地・・・四階まで達した波が分かる画像

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↑このコンクリート製の建物の屋上に乗っている物は、後から流れてきた
他の木造家屋

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↑海岸沿いにあった建物の被害は特に甚大でした

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↑地盤沈下して、水面下に没した市民球場

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↑沖に見える防波堤の様な物が見える場所が、かつての海岸線だった所

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↑一番の市街地だった辺りは、本当に戦争の跡の様でした

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↑木の高い位置に自転車が

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↑川沿いの道路は、舗装面まで津波に持って行かれ、砂利道に!

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↑橋の上部構造が流失して橋脚だけになった陸橋・・・川に掛かる橋じゃなく「陸橋」なんです
下の水面は川ではなく津波で溜まった海水

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↑側溝に運転席が突っ込み、ダンプが立っていました

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↑大船渡の海岸線道路です

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↑道路わきも、この惨状で

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↑海岸から、かなり入った場所に大きな船が川を遡ってました。

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↑自動車の墓場

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↑コンクリートの建物でさえ、この状態ですから想像を絶するエネルギーです。

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凄まじい津波の威力です、誰がこの様な波が来ると想像出来たでしょうか

犠牲になられた方々のご冥福を心から祈ります

そして、一日も早い復興を願って止みません

その為にはコーシーも何度でも現地入りする気構えで居ますが・・・


被災地で活躍するボランティアさんとも、話す機会がありました

会社を経営する都内から来た男性は、中越地震の時も真っ先に駆けつけたそうです

土日しか出来ないけど、また何度でも来たいって言ってました

金曜に会社が終わって、自費で高速道を飛ばし、土日は自分の車で泊まってボランティア

そして月曜から、会社に勤めるって・・・本当に頭が下がりました

健康面にも注意してもらいたいです。


自分の様に給料を貰って現地に派遣される事は、非常に恵まれた環境だと思いました

また、派遣にあたり残って職場や自宅を守ってくれる方々が居てこそ

現地で充分に任務を果たせる事を忘れては、行けませんよね!

被災地に行かなくとも、協力できる事は沢山あります

皆さんも、自分に出来る事から始めて

共に復興に携わって行きたいですね。

災害派遣レポート 1

地方自治体職員の災害派遣で陸前高田に派遣されてたコーシーですが

無事に5泊6日の任務を終えて、帰還しました!

報道で目にしてた被災地ですが

実際に目にする光景は、本当にこの世の物とは思えず

派遣された職員も、最初は言葉を失う衝撃でした・・・

そんなレポを何度かに分けて、書いて行きたいと思います。


まず、我々職員は部署別に岩手組30名と宮城組70名に分かれ

コーシーの所属する部署は岩手の陸前高田市に派遣との事

多くの犠牲者が出た場所です!

何が出来るか、行くまでは職務の内容すら分からず、とりあえず

6日分の着替えや防災服をバッグに詰め込み、20時半にバスに乗り込み

現地に向かいました。

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↑宿泊場所の岩手県、大船渡の合同庁舎


途中の東北自動車道は、あちこちで補修の跡がありデコボコ・・・

高速で走るバスは激しい突き上げがあって、とても車内で寝れた物ではありませんでした。

寝不足のまま、早朝に当座の宿泊場所、兼派遣本部の岩手県庁、大船渡の合同庁舎に到着〜

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↑宿泊場所の会議室・・・床にキャンプマットを敷いて、寝袋の生活
隣とは10センチも離れて無く、コレに比べれば訓練の予備自の内務班など天国の様です。

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↑到着直後に配られた5日分の食料!
アルファ米の白米やお粥・・・さらにカップの春雨、カロリーメイト!

現地での個人的な買い物は厳禁なので、この食事内容と激務では
かなりのダイエットが期待できそう〜
一緒に来た若い職員はこの時点で半泣きの状態(^^;)

休む間もなく、前日に班分けされた5名でレンタカーに分乗して
今日の作業箇所、車で30分ほどの陸前高田市の高田小学校に向かう!

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↑我々に課せられた任務は、この高田小学校の復興業務・・・
20日の始業式に間に合う様に、水没した体育館と教室の一階部分を児童が通学してきても
危険が無い様に応急処置し、清掃するとの事!

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同校の体育館、小学校自体が海から2キロほど離れた高台にあり
体育館と校舎はグラウンドよりさらに2mほど高い位置にあるものの
津波はこのグラウンドを瓦礫の山にして、体育館と一階の教室を腰の高さまで
水没させたそう、校舎にはその時の水位がまだ残っていました。

体育館は当初、遺体安置所に使われ、クレゾールの臭いが強くしていました
校庭には岩手県警の検死班も常駐してて、時より遺体が運ばれて来ます
毛布に包まれた遺体の足が見えたりして、とても痛ましかったです・・・
心の中で合掌しながら、作業してました。

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職員室の前に以前から飾られていた震災前に、校舎から海側に向けて撮られた写真
グラウンドの前に職業訓練校の木造校舎があり、海は望見できなかった景色が・・・!

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津波が襲った後は、木造校舎は影も形も無くなり
海まで視界を遮る物は根こそぎ流失して、皮肉にもこの日は青い海が見えていた・・・
あの海にはまだ大勢の方々が沈んでいると思うと、とても複雑な心境でした。

遠くに見える壁の倒れた市民体育館は当初3mと言う津波の情報に
市民が数百人避難していたが、津波の高さは屋根まで達し
此処に居て助かったのは3名だけだったそうです。

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↑校内でも津波の威力を物語る痕跡が!
職員室の前に飾られてた昔の高田小の写真

開校以来、毎日子供達を見守った校門の石柱は・・・

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↑津波で2本とも根元から折れていたし

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↑引き波で押し倒され、校舎前から海側に3m以上引きずられた
二宮金次郎の台座・・・

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↑体育館から見た、外の景色は

津波が此処まで来た境界で、瓦礫を隔てた道の向こうの住宅は
何事も無かった様に、無事に建っているのが不思議な光景だった。

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↑瓦礫を片付けていると、津波で流されたこの様な写真を多数目にする
少し前まで平和だった、この人たちの幸せの断片が無残に泥にまみれています
同じ年代の子供を持つコーシーは涙を禁じえませんでした

思い出がありそうな物を集積してる場所があるので
この子たちの無事を祈りながら、写真の泥を拭い集積場所に持って行きました。

2日の間、割り当てられた復旧作業をして
校長から、本当に感謝され
形の残る作業をして来れたので、班員一同、達成感のある仕事をして来れたと思っています。

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小学校の復旧も大方終わったので次の日は支援物資が集積されている
高台の給食センターに派遣になったけど、慣れない倉庫業務に半日で手に痣が(^^;)

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↑でも、壁や物資にはこんな応援が
痣くらい、何でもないっ!もっと頑張れ〜

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自衛隊、高田市職員、ボラさんと共に、災害支援物資の受付、発送業務・・・
すごく連帯感のある場所でした。

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↑復興に向けて我々が出来た事は些細でも
力になれた事は実感できました、被災地の方々に「ありがとう」と
声を出して感謝されて、来て良かったと切に思いました。

高田小の校庭には沖縄からボランティアさんが持って来て
被災地の子供と鯉のぼりを立ててました

一日も早い復興を願って止みません!
一生忘れない派遣になりました。

後日2へ続きます・・・

ランドセル

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コーシーの中学生の娘が使ったランドセル・・・

女の子が大事に使ってたからまだ綺麗なんです!

お役ご免になって、押入れの奥に仕舞われてたランドセルですが

まだ個人からの寄贈を受けていた頃に被災地に送りました・・・

カバンの中には、受け取る被災地の小学生に手紙を書いて入れて下さいとの事で

娘も一生懸命に激励の手紙を書いて、ランドセルに入れていました。

被災地の子供が、また元気に背負って学校に行ってくれるなら

娘にとっても、ランドセル自身も、こんな嬉しい事は無いですよね。





ランドセル寄贈運動ですが

もう必要な数が揃ったので個人からの寄贈を打ち切ったそうです!


↑大田区議のいぬぶし議員のブログ

この方は、航空自衛隊の生徒隊出身で、今もコーシーと同じ予備自衛官として

頑張って居られる方でもあります、皆さんも応援してあげて下さい。

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