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今さっき有機の試験終わって、仕事いくまでに時間があるんで、ここで暇つぶし。 政治のクラスの本読もうと思って持ってきとったんじゃけど、もう読むきせんしね。 まあ、一言にキリスト教といっても、いろいろあるわけですね。 マジめっちゃ大きく分けた2つが、カトリックとプロテスタントです。 俺はプロテスタントなんじゃけど、この2つは、すんごく違います。 早い段階でいっとくけど、この俺が今話しよる議論については、人によって異なるんじゃけど、 できるだけ、個人的な見解をさけて話します。 例えば、カトリックもプロテスタントも一緒というクリスチャンの人もいます。 (ちなにみ、モルモン教徒はクリスチャンじゃありません。) プロテスタントというのは、あくまで、イエスが救い主だとする考えで、 カトリックでは、それを生んだマリアにもっと重点を置いています。 そこが違うということは、俺の中では全く違うものになる訳です。 だって、イエスがあっての信仰であって、マリアは普通の人間な訳です。 プロテスタントは、人間を神の対象として賛美しません。 あと、マメ知識として、十字架にイエスがついとるのがカトリック。 それがついてない、ただの十字架はプロテスタントの象徴です。 プロテスタントは、イエスが十字架で死んで、よみがえったことを強く信じてる訳です。 じゃけえ、十字架にイエス様がいないんですね。 それで、プロテスタントをまた大きく2つに分けることができます。 カルヴァン主義と、アルミニウス主義です。 こっからは俺の中では、そこまで重要な違いではありません。 キリスト教の芯は、 「イエスは俺らの罪ために死んで、3日後によみがえった。そんで、イエスを信じるものはすべて救われる。」 ってことなんよ。 それでどっちの主義も、それをふまえての考えなんで、その他の、サブ基礎的概念が違うんですね。 やっぱり聖書は、神の言葉なんで、全部が全部簡単に解釈でしません。 根本は同意しても、いろんな所で意見が食い違うこともあるんですよね。 で、この二つの主義の、大きな違いは、予定説です。 カルヴァン主義の考えはこうです。 「すべての人間の行動、未来、様々な出来事は神の計画である。」 って言うことは、人間には自由な意志がない訳です。 映画のように、ただ時が流れとる訳じゃね。 じゃけえ、もしこれを今読んだ人が、「じゃあ、それに反しよう」って行動し始めたとしても、 それも神の計画の一部ってことになる訳です。 これで一番の問題は、だったらクリスチャンになる人(つまり、救われて天国に行く人) は最初から決まっているのか、ということです。 カルヴァン主義者は、救われることのない人がいるのも計画のうち、だと唱えています。 そこで、予定説を打ち砕こうとする主義が、アルミニウス主義です。 「人間には自由意志があり、クリスチャンになるかならないかは、その人間に委ねられる。」 これが、アルミニウス主義です。 俺はちなみにアルミニウス主義者です。 やっぱり聖書を何度読み直しても、オレには予定説は考えられない。 神がオレらすべてにクリスチャンになってほしい限り、 計画で人間を天国に入れるか否かを定めるのはちょっとおかしいような。 本当は、これらの意見がどっから来たかとかを 聖書の色んな箇所を引用しながら、しゃべりたかったんじゃけど、 なんせ今日、聖書を大学に持ってきてなかったんで、できませんでした。 当たり前なこと言うけど、 このすべての考えや意見は、感情とか、なんとなくとかで議論されとる訳じゃないけえね。 すべて、聖書、あるいはもしかしたら歴史、すべて、元があっての議論なわけです。 例えば「神は我々を愛しておられる」って言うのにも、聖書に本当にそれが書いてあるかどうか、 ってことで話が進んでいく訳で、「だって、オレ幸せじゃもん」なんて理由になりません。 ま、とりあえず今回はこのぐらいでいいや。仕事いかんにゃあいけんし。 とにかく、カルヴァン主義にしろ、アルミニウス主義にしろ、どっちも救われたクリスチャンなわけで、 そこはバトってないわけよ。
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