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1975年12月。
小6の友人と、自転車で尾久界隈まで”遠征”した日。
田端機関区や尾久の操車場を撮って周ったフィルムの
ラストカットは『はつかり』でした。
写真の光線状態から察するに午後の遅い時間帯のようです。
陽の短いこの季節。
今ならば20分もあれば帰ってこれる距離ですが、
小学生の”足”では倍以上掛かった事と思われ・・・
チラリと肘が写り込んでいる友人と、暗くなりかけた道を
一生懸命に漕いで帰って来た事でしょう。
1975年12月、東北本線 尾久〜赤羽間にて。
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国鉄時代 ECの部屋





こんばんは^^
夕方近くに上野を出ていた「はつかり」ですと、深夜の連絡船に
接続、翌早朝の函館発の特急に連絡していたのでしょうね。
垣間見える尾久の操車場、20系が3本もみえますね。まだまだ
尾久に”活気”があった雰囲気が偲ばれます。
[ garatahmet ]
2015/12/9(水) 午後 9:08
> garatahmetさん、こんばんは♪
お返事が遅くなり申し訳ありません。
1日掛かりの北海道行き、今になって体験してみたい思いに駆られます^^
20系は、別の写真では漢字二文字が確認出来ました。
『北星』『北陸』あたりでしょうか。
『カシオペア』が廃止となってしまうと、尾久界隈も一段と寂しくなって
しまいそうですねぇ・・・
2015/12/10(木) 午後 9:09