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ショッポーの趣味部屋
懐かし系ブログです。

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3月は雨のスタートとなりました。

月が変わっても代わり映えしませんが・・・
今回も◯◯年前の今日シリーズです^^;

今から18年前の今日、1996年3月1日は・・・

イメージ 1
因美線 高野駅付近で最後のタブレット急行『砂丘』を
撮影していました。

芸備線、美祢線、筑豊本線、山陰本線と、西日本の非電化路線を
周った帰りの行程の途中、この『砂丘』と『タラコ色』のキハ40系を
撮影するための因美線への寄り道でした。

撮影場所もよく分からなかった因美線でしたが、高野駅近くの
この場所で腕木式信号機を発見!

イメージ 2
上り下りの『砂丘』を撮影しました。
出来れば『急行色』が先頭だと良かったのですが・・・

ところで、『最後のタブレット急行』とタイトルを付けたわりに
タブレットの授受シーンは撮影しておりません・・・(汗)


イメージ 3
こちらも因美線内での『砂丘』です。
先頭はキハ65のようですね。

撮影場所が分からず、地図で見てみると、線路の横の川は
土師川か賀茂川のようですが・・・


この後、舞鶴線、小浜線と、さらに非電化路線を周っての
帰り道となりました。
見事に『非電化』側に偏っていますが^^;
そちらの写真も、いずれUPしたいと思います。


冬晴れに誘われて・・

◯◯年前の今日シリーズ。

今から19年前の今日、1995年2月22日は・・・

イメージ 1
早朝の八高線 竹沢駅でDD51貨物の撮影から始まりました。

キン!とした冷気、眩い朝陽の中、思いのほか
静々と通過して往きました。


この後は碓氷峠へと向かい・・
帰り道に再び八高線へ。

イメージ 2
午後の折原〜竹沢間を往くキハ35系の3連や・・

イメージ 3
DD51重連貨物などを撮影。

とても充実した日帰り撮影でありました^^
(高速代をケチった・・という説も・・笑)

碓氷峠での写真は、いずれまた・・



寒いついでに・・・

今日は北風が強く、気温よりも体感温度はかなり低いようです。

そこで今回は・・

寒さついでに”寒い中”撮影した写真をUPします^^;

イメージ 1
1994年2月26日、大糸線 中土〜北小谷間を行く『シュプール号』です。
牽引機はDE10。
客車はJR西日本の『リゾート』14系。

イメージ 2
こちらは別便の20系による『シュプール号』です。
DE10のプッシュプルで、こちらは最後尾です。

イメージ 3
こちらは白馬〜信濃森上間の松川橋梁を行く返しの回送です。

イメージ 4
こちらはキハ52 115の単行。
当時は白馬辺りまで乗り入れていたように思います。


この写真を撮影した頃は、それほど寒さも苦にならなかったのですが・・・
今日は大人しく、写真の整理でもする事にします^^;




前々回にUPしました『三本の橋の風景』ですが、
その12年前の同地点の画像がありました。

イメージ 1
1993年3月27日、早朝の大糸線平岩駅付近です。
列車が邪魔ですが(笑)、平岩バイパスの橋は
影も形もありませんでした。

さて、その邪魔な列車とは・・・

イメージ 2
DE10のプッシュプルによる20系客車を使用した
『シュプール号』でした。

当時は復鉄後間もない時期で、大糸線にはDD16しか入線出来ないと
思っており、この時もDD16のプッシュプルを期待して待っていたのに、
現れたのがDE10でガッカリしたのを覚えています。


ここからは余談となりますが・・・

この当時は、リバーサルフィルムについても試行錯誤していた時期で、
この時はコダクロームのEPPというiso200のフィルムを使用していました。
iso200という事で、粒子が若干粗く、さらには自分のNikonとの
相性なのか全体的にピンク色+黄色が強いように感じ、その後はあまり
使う事もありませんでした。


青い空と伝統色。

本日は1月28日=128番の日付ネタです。

今回ご紹介するキハ52 128は、国鉄時代末期の『首都圏色』化を免れ、
さらにはJR化後も旧塗色を堅持していた事で有名でした。

1995年当時は、木次線の運用に就いていましたが、
その年の夏に山陰を周った時には木次線の撮影は予定しておらず、
始めから見る事は諦めていました。

が・・・!
米子運転所見学の際、偶然にも・・・

イメージ 1
真夏の陽射しを浴びて休んでいる姿を撮影する事が出来ました♪

イメージ 2
案内をしてくださった所の方も『今日はツイてたねぇ』と
仰っていました^^

イメージ 3
乗務員室ドア後部窓の四隅の突起物は、小牛田時代に
急行『いなわしろ』に使用されていた時のタブレット保護柵の
名残りだったように思います。

国鉄時代末期に『首都圏色』化されなかったのも、
急行運用があるためだったのかもしれませんね。


米子運転所の構内を見れば、DD51とDE15群、国鉄特急色のキハ181系、
急行色のキハ58系、首都圏色のキハ40系と、まさに『国鉄時代』!

この128号車が、小牛田から米子に転属して来た事も旧塗色を
維持出来ていた大きな要因だったのでしょう。

昨今のリバイバル塗装とは、どこか一線を画する!
そんな雰囲気を持った128号車でした。


1995年7月31日、米子運転所にて。

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