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車両の顔の第45回です。
今回のお顔は・・・
クハ181-45です。(真っ正面ではないですが・・・汗)
この写真を撮影した1976年5月当時、他のクハ181の中にあって
この45だけは特急シンボルマークが黄色?にペイントされていて、よく目立っていました。
ボンネットはツヤツヤしていますが、自連カバーやスカートの部分はボコボコ・・・
冬期の上越路の厳しさを物語っているようでした。
この45号車は、クハ161-5として発注されたものの、完成引き渡し時には
クハ181-45となり、181系新造車の第一陣として落成した車両でした。
いわば生粋の『とき』型ですね。
20年以上にわたり上越路を駆け巡り、1986年3月に廃車となりましたが、
解体されずに新津で保管され、現在は鉄道博物館に収蔵されている事は
皆さんご存知の事と思います。
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車両の顔100選
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車両の顔の第44回です。
今回のお顔は・・・
そうです^^
クモハユニ44 801です。
4月4日に日付ネタで登場しましたが、再びの登場です(汗)
どういう訳かクモハユニ44は、この801とばかり出会っていました。
正面の3枚窓が、右へ行くに従い段々と小さくなっていき、窓枠の下側が
階段のようになっているのがユーモラスです(笑)
向かって右側の縦樋だけがクリーム色の部分にまで青15号で塗られていますが、
前年に出会った時は普通の塗り分けだったので、1年の間に縦樋の修理でもされたのでしょう。
801は1935年5月、モハユニ44 002として落成。
新製配置は田町電車区でした。
その後、1950年5月に伊東支区へ転属。
翌1951年3月には富士電車区へ。
この時から身延線での使用が始まりました。
1959年に全面低屋根改造され、独特の風貌となり、車番も44801へと改番。
1969年に所属が沼津機関区へと変わりますが、依然身延線で使用され、
1981年8月に身延線が新性能化される際に、クモユニ143へとバトンを渡し
1982年2月に廃車となりました。
改めて顔を見てみると、リベットの頭が何箇所も無くなっています。
43年間働いてきた証なのでしょう。
人は皺に歴史を刻むといいますが、鋼鉄車はリベットを削られて歴史を刻むようですね。
撮影は1978年3月26日、富士電車区でした。
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車両の顔の第43回です。
今回のお顔は・・・
クモハ43810です。
1937年8月、半流の前面と第2次流電の側面を併せ持つ『合の子』
クモハ43039として製造され、新製配置は宮原。
その後は、宮原から出たり入ったりを繰り返し、1950年9月には鳳電車区へ転属。
この時、一緒に移動となった040、041がモーターの出力を増強され、後年には
伊那松島で人気者となるクモハ53007、008でした。
何故かこの039だけは出力増強をされず、1958年2月に3両揃って飯田線伊那松島機関区へ。
さらに1965年3月、身延線へ転属のため低屋根化改造が施され43810へと改番。
最後の転属で、1975年3月北松本支所へとやって来ました。
クモハ53007と008は2回の転属しかないのに対し、43810は9回もの転属があったようです。
この違いは、何だったのでしょうか・・・
それよりなにより問題は、この車両の唯一まともな写真が、この正面写真のみという事です(涙)
北松本支所訪問4回目にして、やっと出会えた43810でしたが、この時は夕方の訪問で
光線は悪く、両側に車両が停まっていたため、流麗なサイドの写真が撮れません。
仕方なく真っ正面から撮影しただけでした。
『また会えるよね・・』と呟きながら電車区を辞したものの・・・
結局その後、この車両と出会う事はありませんでした。
撮影は1979年3月27日でした。
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車両の顔の第42回です。
今回のお顔は・・・
クモハ42011です。
1934年2月5日に製造され、当初は関西地区で使用。
戦後には活躍の舞台を伊東線に移し、その後、豊橋機関区へ転属。
”旧国博物館”飯田線で最後の活躍をしました。
1978年11月に豊橋機関区へ80系300番代車が大量に投入され、
豊橋機関区所属の戦前型旧国を置き換える際に、この42011も休車となり
他の車両と共に、身延線の富士宮電留線で廃車解体まで疎開留置されました。
その疎開留置時の様子はこちらです。
廃車となったのは、45才の誕生日まであとわずかの、1979年3月9日でした。
今回は宇部線のクモハ42の顔と、どちらにするかで迷いましたが、
スカ色もよく似合っていた011を選びました。
1977年11月23日、豊橋機関区にて撮影。
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車両の顔の第41回です。
今回のお顔は・・・
クモハ41です。
左からクモハ41082、クモハ41083です。
1979年8月、宇部電車区にて撮影しました。
2両ともに両運転台車のモハ40035、036として1935年に製造され
1941年に大井工場で片運転台に改造されてモハ41となり、
その後の形式改正でクモハ41となりました。
その後の経歴は判りませんが(汗)、2両ともに一時期は仙石線に配属されていました。
写真向かって左側の尾燈の斜め上にある標識灯掛けは、その時の名残りです。
これは郡山工場入出場の際、交流区間を機関車牽引により回送されるため、
後部標識を取り付けるためのモノだったと思います。
あちこち改造されて、2両それぞれ、味のある顔をしていますねぇ^^
ところで、宇部電車区には半流のクモハ40を片運転台化したクモハ41126という
希少な車両もいたのですが、そちらの方は2回の訪問では見る事さえ出来ませんでした・・・(涙)
次回は第42回という事で・・・もうバレバレでしょうか(笑)
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