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▼微修正は日本の範疇 普天間移設で町村前官房長官
2009年4月16日 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-143202-storytopic-3.html
町村信孝前官房長官は15日、衆院第一議員会館で琉球新報のインタビューに答え、普天間飛行場移設問題について「仲井真弘多知事の意向は、できるだけ尊重しなければならない。50メートルや数十メートルの微修正は、日本国の国家主権の判断の範疇(はんちゅう)で、アセスをやり直さなくてもよい範囲内だ」と述べ、環境影響評価(アセスメント)の範囲内で修正できる55メートル以内で沖合移動を認めるべきだとの考えを示した。2008年の官房長官当時、仲井真知事と水面下で交渉し、沖合移動を前提に微修正の範囲内で決着しかけていたことも明らかにした。
普天間飛行場移設で政府と沖縄の水面下での調整内容が公になるのは初めて。8日の普天間飛行場措置協議会で河村建夫官房長官は「位置の移動も含め地元の意向を念頭に置く」と町村氏の発言を引用するなど知事に対する配慮の姿勢が現政権にも継承されている。
町村氏は「知事の意向が全部できるわけではないが、地元の粗々の理解を得ないと物事は進まない。移設の最後の公有水面埋め立てでは知事のはんこがいる。反対派への対応で県警が動くときに知事がバックアップするか、しないかで大きく違う」と述べ、移設実現には知事の協力が必要だと強調した。
また、08年秋に沖合移動で決着することを想定していたと説明。環境アセスの準備書に「代替施設を沖合へ移動し、移動距離は今後検討する」と明記する方向で模索していたことも明かした。元米国防副次官のローレス氏には、沖合移動での理解を求めたという。
後任の河村官房長官には、引き継ぎ書の最重要項目に普天間を挙げ「今の政権は沖縄を軽んじているのではないかと誤ったメッセージを送るとまずいので、早めに協議会を開いて顔合わせをした方がいいと話した」と語った。(与那嶺路代)
<町村信孝前官房長官一問一答>
町村信孝前官房長官の一問一答は次の通り。
―昨年7月の協議会で「沖合移動も念頭に」と踏み込んだ発言した。
「移設の最後の公有水面の埋め立てで知事のはんこがいる。知事の言う通りにすべてできるわけではないが、地元の粗々の理解を得ないと物事は進まないと思っていた。まず、政府内の関係方面に(発言の)どこかに知事の意見も入れた形にしないといけないと根回しをした。同時に、知事と水面下で何度か会った。副知事と二橋(正弘)副長官の四人のときもあり、希望はどこにあるのか本音を語り合った」
「沖合といっても(距離に)幅がある。何回(に分けて沖合に出す)かというのもある。それがはっきりしないので『一体どこまでですか』と聞いた。知事は環境審査会の意見も吸収するので独断はできない。北部の意見もある。集約するタイミングはそろそろ来ていると思ったので、協議会でそう発言した。それにアセスの途中でもいいから、秋には方向性をはっきりさせようと思っていた」
―なぜ秋か。
「年末の予算編成までに決めるという習慣が(政府には)ある。もう一つは、3月ごろにアセス(準備書)の結果が出ることになっていたが、一からやり直さない範囲でアセスをやることもできると思った。『沖合に移動する。幅は今後検討する』という報告だってあるんじゃないかと」
「他方、米大統領選のさなかだったので願わくばブッシュ政権のうちにはっきりさせた方がいいと思った。50メートルにしろ数十メートルにしろ、いうなら微修正だ。日本国の、国家主権の判断の範疇(はんちゅう)で、しかもアセスをやり直さなくてもよい範囲内。こんなところに米国が最後までこだわるとは、今でも思っていない」
―当時、官邸では沖合移動を認めてもよいという雰囲気だったのか。
「私と二橋さんは知事の意向を尊重しようと、より強い考えを持っていた。着地点は見えかかっていた」
―微修正の範囲で。
「はい」
―公式な対米交渉はしていなかったようだが、非公式に打診したのか。
「元国防副次官のローレス氏が来日したとき、位置の修正は認めないと言われた。しかし現実問題として今大詰めまで来ているので、米国に理解をしてもらわないといけないと答えた。主権国家、日本政府としては微修正の範囲に属する話なんだからと」
―8日、十カ月ぶりに普天間協議会が開かれた。
「麻生政権になり半年間開かれなかったとき、これはまずいと河村建夫官房長官に話した。経済の激変でやむを得なかったと思うが、今の政権は沖縄のことを軽んじているという誤ったメッセージを送ることになる。官房長官として書いた引き継ぎ書で、数十項目あるうちの一番目は普天間だった。それだけ重要な問題だと思っている」(聞き手 与那嶺路代)
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