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パパがまだ若い時、グランパは口が酸っぱくなるまで言っていた言葉だそうです。 小さな田舎町に住むと、一生この小さな町の世界しか知らないで終わってしまう人もいます。 それに代々パパの家系はネイビー。 グランパは息子を「男にする」ことを望んでいたようです。 そのおかげかどうか、パパは日本という小さな国で、ママという嫁さんを探すことが出来ました。
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無名人たちの名言集
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身近な人達が言った言葉で、ジーンときた、感動した、なるほどなぁ・・と思った言葉を紹介します。
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渡米して、最初の一年はほとんど一人暮らしのママでした。 妊娠中というのもあって、パパは相当心配しました。 ママは車を使用するということで、おまわりさんに捕まった時の心配をしてました。 「あ〜しなさい。こ〜しなさい。」と、パパはいろいろ助言をしてくれました。 しかし、ママはそれでも不安。 ママが「どうしても、どうにもならなかったら?」という問いにパパが言った言葉。 えっ・・・・。 「俺も随分この手を使ったんだよ。結構、使えるよ ♪」 結局、一回もこの方法を使わないで済みました。
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祖父の墓は福島県にある。 母は祖父の墓が遠く簡単に墓参りに行けないと祖母にこぼしたことがあった。 祖母は静かに母に微笑みながら言った。 その光景をおぼろげに覚えている。 母も幾度か私にこの話をした。 今になって思うと、「これ・・・私に言ってるの?」とさえ思ってしまう。 離れているという距離、手を合わせるという行為は問題ではない。 大切なことは、それを思う気持ちなんだ・・・。
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祖母は私が幼稚園児の時に亡くなった。 家に来るといつも家の裏の木の根元に一人座ってタバコを吸っていた。 歳をとっていたが、いつもきれいに着物をまとっていた。 口数が少なく、時折見せる遠い目は、少し近寄り難い雰囲気をもっていたが、幼い私をいつも惹き付けた。 彼女が臨終の際に東北弁で言ったそうだ。 家族は「おばあちゃんは戦時中の買出しの夢を見ているんだわ」と言っていた。 彼女の世代は戦争という生きるに困難な時代、七人の子どもを食べさせていくには大変な思いをしたのだろうと皆は思っていた。 しかし、彼女の死後に誰も知らなかった秘密が発覚した。家族には七人の兄弟の他に祖父の隠し子がいたのだ。 後に私と母は、祖母の「みんなしょって行く」の意味には、秘密を天国まで一人で背負っていくという意味が隠されていたのではないかと話をした。 「人生は重い荷物をしょって行く旅のよう・・」とあるが、昔の日本女性は本当に強かったし、凛としていたんだと思う。
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にこにこママが結婚する前にパパに言いました。 「私と貴方は宗教が違う。私はそれに関して何も問題がないが、貴方サイドではそれについて問題がないのか?」 同じ人種でも、宗教の違いは問題になることがある。ましてや違う人種の人と恋愛や結婚をするのだから、これはきちんと話をするべき事だとママは思った。 パパは以外にもあっさりと答えた。 パパは、宗教の違いやその宗教の良し悪しを言いたかったのではなく、その人間の資質を問題にしていたのだ。 「神を信じるということは大事だが、自らが正しい選択、正しい行いをすることの方がもっと大事だ」 私の中での疑問や問題は、かなりパパの言葉によって解消されました。
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