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以前から頼まれていた絵をようやく納品することができました!!
ながかったな〜〜〜とはいえ、写真はまだ未完成の頃・・・
絵のタイトルは「奴奈川姫と大国主命」
私の住んでいる糸魚川はその昔美しい姫が統治していたという記録がありますが、
真実はさだかではありません・・・
以下は
http://www.asahi-net.or.jp/~pc4y-ktu/nunagawa.html
からの抜粋です。
『古事記』には、越の国の奴奈川姫と、出雲の大国主命のロマンスが記されている。
大国主命は、越の国に「奴奈川姫」という賢く美しい姫がいると言う噂を聞き、
求婚するために越の国に訪ねてゆく。
奴奈川姫は大国主命と歌を贈答し、すぐには求婚に応じなかったが、
一日後に求婚を受け入れ、結婚したという。
『旧事本紀』によると、二人の間には諏訪の神「建御名方命」
(『出雲国風土記』では美保の神・御穂須々美命)が生まれたとされる。
この
奴奈川姫(ヌナカワヒメ)は、現在の新潟県西頸城郡を
支配していた古代女王で、糸魚川や青海地方の特産品である
祭祀具・翡翠を支配する巫女であったと推定されている。
「奴奈川姫」という名は、「奴奈川」(新潟県西頸城郡の姫川と推定)
周辺の地方の女王を意味しており、個人名ではなくこの地方の
代々の女王を指す可能性もある。
大国主命との結婚物語は、出雲族と奴奈川族との
同盟をあらわすものだと推測されている。
『古事記』などの文献では、結婚後の姫についての情報は皆無だが、
『天津神社並奴奈川神社』の伝説では、自殺したという。
結婚後、奴奈川姫は大国主命と能登国に渡ったが、
大国主命と不仲になって海を渡って故郷に逃げ帰り、
悲嘆の末に糸魚川平牛山稚児ガ池のほとりの芦原に身を隠し、
二度と姿を見せなかったという。
異伝では
、逃げる姫を大国主命の使者が追跡するが、
とうとう稚児ガ池の萱原で姿を見失う。
そこで使者は姫をいぶりだすため、萱原に火を放つ。
姫は姿を現さず、使者達は泣く泣くそのあたりに姫の霊を祀ったという。
その他、『西頸城郡郷土誌稿』では、信越境の淵に投身したとあり、
『北安曇郡
郷土誌稿』では中土村館山の姫ガ淵で投身したとある。
この逃亡・自殺伝説は、
奴奈川姫の一国の女王らしい意思の強さが伝わってくるような話である。
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はじめまして。カミタクと申します。
私が運営するホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「神長官守矢史料館訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/NAGANO05.HTM
から、貴記事にリンクを張りましたので、その旨報告申し上げます。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
2009/9/21(月) 午前 1:04 [ カミタク(神長官守矢史料館訪問記) ]
わざわざご報告ありがとうございました。
すごい!!勉強されているんですね〜〜
2009/9/21(月) 午前 9:22
奴奈川姫はいつどこにすんでいたか。
もちろん 定かでない。
この地方の古代人は川から流れ出た翡翠の原石を拾い加工していた。
ぬな河の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも あたらしき君が老ゆらく惜しも(万葉集)
翡翠の原石を産するぬな川と称する川の近くであり、玉造などに関する遺跡があり、また奴奈川姫命を祀る神社が近くにあることも条件の一つとなろう。その川とは翡翠原石を持つ小滝川を支流に持つ姫川であり、青海町の青海川上流が該当する。
そうすると新潟県糸魚川市及び西頸城郡の遺跡のどれかが想像される。主な遺跡として 長者ケ原遺跡(糸魚川市一宮 縄文中期) 大角地遺跡(青海町 縄文古墳複合遺跡) 笛吹田遺跡(糸魚川市寺町古墳時代)田伏玉造遺跡(糸魚川市田伏 古墳時代)などがある。
このれらの遺跡からは玉造工房の跡や制作途中の玉が確認されている遺跡もある。 縄文、弥生、古墳時代が想像される。
2012/8/6(月) 午前 6:29 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]