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Bさんを一人で放っておいただけでなく、
私のテラスのかわいい植物たちも50日間ほったからしでした。
(Bさんは水遣りはちゃんとしてくれていましたが、剪定や雑草とりはやってませんので・・・)
こんな感じで、
かなりジャングル化していました。
・・・ふむ、パッと見た感じ、
あんまり荒れているようには見えませんが、
やっぱり50日、植物の生命力はすごい。
私の言いつけどおり、
ちゃんと2週間ごとにバラに肥料をやっていてくれたらしく、こちらも無事。
なぜか花のプランターから、
雑草に混じって「シソ」がニョッキリ生えてきてて、
びっくり
土に去年落ちた種が混じっていたのでしょうが、
手塩にかけて種から植えて大事に育てたものより、
立派に育っているのが・・・複雑な心境
50日前はこんなにヒョロッとしていた、
日本のトマト「桃太郎」ですが・・・・
←6月24日撮影。
(そうそう、これにもちゃんとトマト用肥料を買って来て、
定期的にやってくれてたみたいです。やればできるじゃん!)
おかげでこんな大木に育ち・・・・・
もうすぐ食べごろです
次の日、下から梯子に登って、
2時間かけて泥んこになって、
テラス外回りの雑草取りもして、こんな感じ。
・・・・あれ?
あんまり変わってないように見える。
おかしいなぁ・・・くそっ
記録的猛暑のドイツで、
汗だくでがんばったのに・・・
むっ・・・報われん。
昨日から引越し準備少しずつ始めてます。
今まで目をそむけていたけど、
始めてみるとわかる、膨大な「やらなあかんこと」の量に、呆然・・・・・
現実逃避でいまからサッカー(DFBポカール)観に行ってきま〜す
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まさに、二ヶ月ぶりの更新です。ご無沙汰しておりました。
6月25日に日本に帰国、8月15日にまたドイツに帰ってきました。
その間、なんと50日!!振り返ってみればあっという間でしたが・・・。
ブログをお休みさせていただく前も、人生何があるかわからない・・っぽいことを書いておりましたが、
やっと落ち着いて書く気分になれました。事の詳細を一からお話しすることにいたしましょう。
思えば・・・6月1日に2週間ぶりぐらいで実家の母に電話して、
いつもどおり「ご無沙汰でした〜どぉですか〜?お父さんも元気?」から始まりました。
母の答えはしかしいつもと違って「ううん・・元気じゃないよ、今日入院した。」でした。
青天の霹靂ってこういう瞬間のことを言うのですね。
その日は詳細もわからず、
ただただ「昨日かかりつけ医の定期診断に出かけていって、
黄疸が出ているから緊急で大きな病院に即行けと言われたが、
あまりにも急なので次の日朝一番で行って、入院した。」というだけでした。
その二日後に内視鏡検査で「進行性の胃がん」が2つ見つかりました。
そのまま手術かと思われましたが、血液にも問題があり・・・その検査の結果が出るまでに何日かかかり、
状態が取り合えず落ち着いたので一旦退院したと思ったら、次の診察でまた血液に「ありえない数値」が出て、
また病院に舞い戻りました。
かなり端折って書いておりますが・・・この間、母との電話と兄との電話&メールで毎日交信する以外、
私には状態を知るすべがなく、時差もあってなかなかしたいときに電話できないし・・・・
仕事をしながらも不眠と胃痛に悩まされる日々が続きました。
Bさんの支えがなかったら、あの時点で私のほうが壊れていたと思います。
休暇前の一週間、休暇を取って予定より早く帰ることにしましたが、
その後また父の治療の予定が二転三転し・・・もう、精神的にも我慢の限界だった私は、
再度フライトを変更、一週間早め、一週間の無給休暇を追加してもらって6月25日、日本に飛びました。
空港から病院へ直行。
2年ぶりの両親との再会がこんなに辛かったことはありません。
ただ、その翌日一時退院した父と母と3人、実家で過ごした4週間のなんてことない日常は、
私にとって宝物のようなすばらしい時でした。
手術の日程が決まってからは、兄の運転する車で家族四人、
一泊で温泉旅行に行きました・・・なんと日比家、まさに35年ぶりぐらいの家族水入らずの旅行。
4人部屋で川の字になって寝ました。
がんに罹ったら誰もが一度は通る道・・・と、後から聞かされましたが、
ある朝、起きてきた私に笑いかけながら「やっぱり、もう手術やめるわ」と言ってきた父。
開いた口がふさがらないってよく言いますが・・・・実感したのは生まれて初めてでした。
父の意見を尊重するべきか否か・・・家族での密かな討論が続きました。
家族全員で「胃がん」について猛勉強しました。
ただ単に手術を強要するのではなく、何が今、父にとって最善の方法なのか・・・。
最終的に手術一週間前、
術前診断で執刀医と話したときに、手術を受けることを決断してくれていた父がいました。
83歳の英断、脱帽です。
結果的に父の「胃全摘出手術」は成功しました。
術後は腸閉塞に悩まされ回復が遅れましたが、
昨日無事退院、大好きな我が家へ帰ってくることができました。
胃がなくなった父の目下の仕事は、一日5回の分割食を胸焼けと戦いながら食べること。
人間の基本的欲求の一つ「食」が、生き延びるための苦痛の時間でしかない。
その苦しみは私たちには計り知れません。
それをわかりながらも手を替え品を替え、毎日無理にでも食べさせていかないといけない、母。
本当はこれからが一番大変なんだろうなぁ・・・。
帰ってきてしまった今は、残念ながら遠くドイツからエールを送ることしかできないけれど、
そうやってがんばって人生に真っ向からぶつかっていってくれる勇敢な両親の下に生まれてよかった。
普段あんまり交流のなかった兄とも、一致団結して家族で一つのことに果敢に立ち向かったこと、
後まで重く深く心に刻み込まれる2012年夏になりました。
最後に、予約していた日本行きのフライトをキャンセルして、
私が居ない間50日間、一人で寂しい休暇を過ごさせてしまったBさん・・・ごめん。
毎日電話でその日一日の出来事を時には楽しく、時には泣きながら話せる時間が安らぎでした。
でもやっぱりこの夏を振り返って・・・・今一番言いたいことは、
「お父さん、ありがとう」です。
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昨日の日曜日は、Bさんのオケの
「100周年記念式典」でした。
土曜日はボリスゴドノフの本番で帰りが
遅かったので、朝11時からの式典に
間に合うように・・・しかも一応式典ですので、
身支度して(すっぴんで行くわけにもいかず)早起きして出かけるのは・・・地獄でした
さすがに100周年となると、来賓も豪華。
州知事やらなんやら・・・劇場支配人女史が挨拶で「来賓の・・・様、・・・様・・・」というのが、
エンドレスに数分間続くのがだんだん可笑しくなってきました。
結局歴代の州知事が5人勢ぞろいしたみたいです。
日曜の朝から・・・政治家も大変ですね(爆)。
せっかくの上岡さんの指揮を楽しみにしていましたが、
演奏はあんまりなくて、挨拶やら、オーケストラ100年の歴史・・のお話ばっかりでした。
ま、でもドイツの弱小州のたった一つの州立劇場オケにもいろいろ歴史はあって、
そういうつまらない話を面白おかしく話す話術に長けている人が多いのがこの国。
予想に反してかなり興味深く、時には客席大爆笑!!
特に音楽カバレッティスト(寄席芸人?)バイキルヒャー氏の話は、最高でした。
創立の1912年当時は、考えてみれば「リヒャルト・シュトラウス」だって、
新進気鋭の現代音楽作曲家だったわけで、
作曲家のパウル・ヒンデミット氏がヴィオラ協奏曲をここのオケで初演した時、
ヴィオラのソリストが
「先生、この作品はどのように演奏させていただいたらよいのでしょうか?」
と、恐る恐る緊張して訊ねたら、
「なんでもエエから、最後まで通して弾いたって・・」
みたいな事をコテコテのライン訛で言ったとか(笑)。
「こんなフランス国境の僻地まで、クラシック音楽が浸透するには時間がかかったんですねぇ・・」
とか、ご当地風刺ネタも多く、予想以上に楽しめた2時間でした。
しかし、やっぱり上岡さんの
「タンホイザー序曲」はよかったですね〜。
もう、来賓の挨拶はエエから、
このまま続きやって〜〜と思いました。
←ここにBさんがいます。
私の席からは、
この横の装飾のカーテンが邪魔で、
チューバはほとんど聞えませんでした(泣)。
式典の後は、
ロビーでのコンサートや、
舞台での劇場のほかのセクションからの
オケへのお祝いの出し物など、
盛りだくさんでした。
午後からは外での催し。
いいお天気に恵まれて、
久しぶりに以前の同僚さんたちやら、
オケの人やらとおしゃべりして
楽しかったです。
オケの人は夕方17時までが拘束時間でしたが、結局ここで18時過ぎまでみんなビールを飲んで談笑していました。
顔見知りの大道具さんの奥さんが受付にいたので、
しゃべっているうちにまんまと
「100周年記念誌」を買わされました。
こんなん、オケのメンバーにはタダで配れよ・・・と、
ちょっと思いましたけど・・・
定価 22.90ユーロ。
劇場関係者価格 16.70ユーロ。・・・高い
帰ってペラペラめくっていたら、
創立からの歴代のメンバーの名前が載っていたのですが、
100年間でBさんは歴代4人目のチューバ奏者。
なんか思ったより少ないですよね。
あと、1914年に辞めている人が多くて、
中には1922年頃にまた舞い戻っているのは何で?
と思ったら「第一次世界大戦」だったんですよね。
1935年にもたくさんの人が辞めているんですけど、
これはナチの政策でユダヤ人の音楽家は全員追い出されたんですね。
ちなみにこの二日前に「100周年記念コンサート」があって、
100年前の創立時とまったく同じ演目を演奏したそうです。(いいアイデアですよね
Bさんは「降り番」(チューバのない曲目)だったので、同僚に
「100年前の僕の同僚もそのコンサートの日は休みだったんだねぇ・・へへへ。」
と言ったら、
「いや・・・当時は彼はコントラバスを弾いていたに違いない」・・と言われたそうです。
なるほど!!
昔はそうだったんですよね〜〜。
チューバは歴史の浅い楽器ですから、チューバとコントラバスは兼任だったんですよ。
今考えると「弦楽器」と「金管楽器」全然違うのに、
「取り合えず低い音出す人」・・・やったんですかね?
←プログラムに載っていた、
創立メンバーと現メンバーの写真。
人数もそうですが、
2012年・・・女の子が多い!!
1912年は、真ん中のたった一人、
ハープ奏者(やっぱり!)が紅一点だったのに、
2012年は全体の3分の一の団員が女性。
時代ですねぇ・・。
なんだかこの100年間が、
長いような短いような、
遠いような近いような・・・・
妙な感覚を味わった一日でした。
楽しかったけど疲れた・・・・
昨日夜のサッカーのドイツvsデンマーク戦も最後はウトウトしながら観てました
ま、なんにしろ勝ってよかった。
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今日は久々に餃子を作りました。
午前、午後とも稽古は「男声のみ」・・・フフフ
朝8時前から出かける用事があったので、買い物も朝の早いうちに片付きました。
Bさんの友人の税理士さんに頼んでいた「確定申告」の書類も出来上がり、
すごいサービスですがなんと税理士さんがうちに来てくれて、
彼が指差して「はい、ここにサインして。」というところにサインすれば終わり。
税務署に提出するのは仕事前のBさんに頼んで・・・めでたく終了!!
そんなわけで時間があったので餃子作成作業開始。
普通の具です。
今日はキャベツじゃなくて、
冷蔵庫に残っていた白菜で。
そして・・本日の主役はこちら。
Bさんが作っておいてくれた、
身をはずした鶏の骨を煮込んで作った、
コラーゲンたっぷりのスープ。
煮こごりになっていて、プリップリです。
というのも、
日本から送ってもらったDVDのなかで、
「はじめてのおつかい」を観ていたら、
子供が餃子の具を買いに行くのですが、
そのうちでは餃子の具に「中華鶏がらスープ」にゼラチンを入れて冷やし固めたものを混ぜてジューシーにする・・というのがありまして、
一度試してみたかったのです。
しかも・・・Bさんは豚足とか煮て「ズルツェ」をよく作る。
「ズルツェ」用のブイヨンは熱いまま瓶詰めにして真空にして(ジャムを瓶詰めにするのと同じ原理ですね)、
ストックされている・・ということは、鶏の骨のブイヨンだって保存できるはず。
数週間冷蔵庫に眠っていたブイヨンですが、味見してみたら大丈夫でした。
このゼリー状のブイヨンを
餃子だねに混ぜ込みました。
普段よりはゆる〜い具になったので、
なかなか包みにくかったですが、できました。
今日も「で?誰が餃子パーティーに誘われているのかな?」
と、Bさんにイヤミ言われるぐらいいっぱいできました。
でも、餃子にするとBさんは他のもの全然食べない。
餃子オンリー!!
スープとか野菜とか・・いろいろ付けあわせを作っても、
ご飯さえも食べないので、
私は残り物の冷ご飯を温めて食べることにして
今日は思い切って餃子だけにしました。
ジュースが染み出してくるのがわかりました。生地の中でブクブク煮立つジュースを
見るだけで食欲がそそられました!
皮が破れたのはジュースが出ちゃったかなと思いましたが、いやいや、
具にからまって噛む度にジュワ〜っと旨みが。
この「はじめてのおつかい餃子」
うちの定番になりそうです
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大変ご無沙汰しておりました。
人生いろいろありますが、だからと言って毎日くよくよ過ごしていても仕方ない。
前向きに、張り切っていきましょう!!
さて、昨日は今シーズン最後のプレミエ、ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」の初日でした。
3月から本格的に音楽稽古&ロシア語の発音練習を始めて3ヶ月、道程は長かった。
ひとつひとつの単語の意味がわからないので、
とにかくひたすら呪文のように繰り返し、覚える、覚える〜〜〜。
私は自分の独自の「カンニングペーパー」を作成、「総カタカナ書き」。
隣で歌っているロシア人同僚と
「母音の感じが違うな〜かなり日本語なまりなんだろうな〜」と、自覚症状ありながらも・・・・その辺は無視です。
そんな細かいこと、いちいち気にしてたら
全部覚えきれないし(爆)。
このカンニングペーパーも角がなくなって、
ボロボロになるまで使いました。
おもしろいのは、舞台稽古中にちょっと歌詞を確認して
いたりすると、他の人が寄ってきて、
「え〜ちょっとあそこの歌詞、どうだっけ・・」と、
私のカンニングペーパーをのぞいて・・・
「・・・????」と目をパチくりさせながら
「あぁ・・そうだった・・・(汗)。」
(アンタのは日本語なのね・・ロシア語よりもっとわからんわい)
と、笑いながら去ってゆくことが何度もありました(爆)。
お役に立てず、すいません・・・
さて、恒例の楽屋見舞い工作。
赤い紐、たこ型の巨大グミ、
メッセージカード。
これが出来上がり図。
舞台でたこ釣りしてるんじゃありません。
たこをくくって・・30個。
タッパーに満タンできました。
仲良し同僚のCh.は、
今回「居酒屋の女主人」役で、
ソロを歌ったのですが・・・・
演出で食材の鴨の上に乗って、
自慰行為をするというハードなシーンが
ありまして・・・・
特別に「鴨ちゃん」をプレゼント。
メッセージカードには、
「かもの口にはめてください。
アンタが卵を産み始めたら困るので・・・・↓」
と添えました。
下の袋部分に何が入っているかは、
ご想像にお任せします・・・
(ただし18歳以上の方のみ・・・
はい。これが衣装姿の私。
主人公ボリスのモノローグで、
彼が幻覚を見る・・・という場面があるんですけど、
その場面で女声合唱は黒尽くめの衣装で、
バルコニーに15分、無言でずーーーーっと立っていて、
最後にお腹に隠していた血だらけの赤ん坊を取り出し、
おもむろにボリスに見せて、
バルコニーからぶら〜んと赤い紐にぶら下げて、
ゆっくり下ろして行く・・・という、かなりホラーなシーンが
楽屋見舞いの「たこ釣り
そのシーンをちょっと風刺したような感じになっています。
みんな笑ってくれましたよ
そして・・・まだまだ続く工作。↓
今シーズンを最後に、別の劇場に
移ることになった劇場支配人氏に、
合唱団からお別れのサプライズプレゼント
として贈る、写真の額。
この10年間で、
彼の演出した演目の合唱団の写真と、
メンバーからのメッセージを張り合わせる
という作業を請け負っています・・・・(汗)。
完成間近!!
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