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まさに、二ヶ月ぶりの更新です。ご無沙汰しておりました。
6月25日に日本に帰国、8月15日にまたドイツに帰ってきました。
その間、なんと50日!!振り返ってみればあっという間でしたが・・・。
ブログをお休みさせていただく前も、人生何があるかわからない・・っぽいことを書いておりましたが、
やっと落ち着いて書く気分になれました。事の詳細を一からお話しすることにいたしましょう。
思えば・・・6月1日に2週間ぶりぐらいで実家の母に電話して、
いつもどおり「ご無沙汰でした〜どぉですか〜?お父さんも元気?」から始まりました。
母の答えはしかしいつもと違って「ううん・・元気じゃないよ、今日入院した。」でした。
青天の霹靂ってこういう瞬間のことを言うのですね。
その日は詳細もわからず、
ただただ「昨日かかりつけ医の定期診断に出かけていって、
黄疸が出ているから緊急で大きな病院に即行けと言われたが、
あまりにも急なので次の日朝一番で行って、入院した。」というだけでした。
その二日後に内視鏡検査で「進行性の胃がん」が2つ見つかりました。
そのまま手術かと思われましたが、血液にも問題があり・・・その検査の結果が出るまでに何日かかかり、
状態が取り合えず落ち着いたので一旦退院したと思ったら、次の診察でまた血液に「ありえない数値」が出て、
また病院に舞い戻りました。
かなり端折って書いておりますが・・・この間、母との電話と兄との電話&メールで毎日交信する以外、
私には状態を知るすべがなく、時差もあってなかなかしたいときに電話できないし・・・・
仕事をしながらも不眠と胃痛に悩まされる日々が続きました。
Bさんの支えがなかったら、あの時点で私のほうが壊れていたと思います。
休暇前の一週間、休暇を取って予定より早く帰ることにしましたが、
その後また父の治療の予定が二転三転し・・・もう、精神的にも我慢の限界だった私は、
再度フライトを変更、一週間早め、一週間の無給休暇を追加してもらって6月25日、日本に飛びました。
空港から病院へ直行。
2年ぶりの両親との再会がこんなに辛かったことはありません。
ただ、その翌日一時退院した父と母と3人、実家で過ごした4週間のなんてことない日常は、
私にとって宝物のようなすばらしい時でした。
手術の日程が決まってからは、兄の運転する車で家族四人、
一泊で温泉旅行に行きました・・・なんと日比家、まさに35年ぶりぐらいの家族水入らずの旅行。
4人部屋で川の字になって寝ました。
がんに罹ったら誰もが一度は通る道・・・と、後から聞かされましたが、
ある朝、起きてきた私に笑いかけながら「やっぱり、もう手術やめるわ」と言ってきた父。
開いた口がふさがらないってよく言いますが・・・・実感したのは生まれて初めてでした。
父の意見を尊重するべきか否か・・・家族での密かな討論が続きました。
家族全員で「胃がん」について猛勉強しました。
ただ単に手術を強要するのではなく、何が今、父にとって最善の方法なのか・・・。
最終的に手術一週間前、
術前診断で執刀医と話したときに、手術を受けることを決断してくれていた父がいました。
83歳の英断、脱帽です。
結果的に父の「胃全摘出手術」は成功しました。
術後は腸閉塞に悩まされ回復が遅れましたが、
昨日無事退院、大好きな我が家へ帰ってくることができました。
胃がなくなった父の目下の仕事は、一日5回の分割食を胸焼けと戦いながら食べること。
人間の基本的欲求の一つ「食」が、生き延びるための苦痛の時間でしかない。
その苦しみは私たちには計り知れません。
それをわかりながらも手を替え品を替え、毎日無理にでも食べさせていかないといけない、母。
本当はこれからが一番大変なんだろうなぁ・・・。
帰ってきてしまった今は、残念ながら遠くドイツからエールを送ることしかできないけれど、
そうやってがんばって人生に真っ向からぶつかっていってくれる勇敢な両親の下に生まれてよかった。
普段あんまり交流のなかった兄とも、一致団結して家族で一つのことに果敢に立ち向かったこと、
後まで重く深く心に刻み込まれる2012年夏になりました。
最後に、予約していた日本行きのフライトをキャンセルして、
私が居ない間50日間、一人で寂しい休暇を過ごさせてしまったBさん・・・ごめん。
毎日電話でその日一日の出来事を時には楽しく、時には泣きながら話せる時間が安らぎでした。
でもやっぱりこの夏を振り返って・・・・今一番言いたいことは、
「お父さん、ありがとう」です。
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日記
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昨日の日曜日は、Bさんのオケの
「100周年記念式典」でした。
土曜日はボリスゴドノフの本番で帰りが
遅かったので、朝11時からの式典に
間に合うように・・・しかも一応式典ですので、
身支度して(すっぴんで行くわけにもいかず)早起きして出かけるのは・・・地獄でした
さすがに100周年となると、来賓も豪華。
州知事やらなんやら・・・劇場支配人女史が挨拶で「来賓の・・・様、・・・様・・・」というのが、
エンドレスに数分間続くのがだんだん可笑しくなってきました。
結局歴代の州知事が5人勢ぞろいしたみたいです。
日曜の朝から・・・政治家も大変ですね(爆)。
せっかくの上岡さんの指揮を楽しみにしていましたが、
演奏はあんまりなくて、挨拶やら、オーケストラ100年の歴史・・のお話ばっかりでした。
ま、でもドイツの弱小州のたった一つの州立劇場オケにもいろいろ歴史はあって、
そういうつまらない話を面白おかしく話す話術に長けている人が多いのがこの国。
予想に反してかなり興味深く、時には客席大爆笑!!
特に音楽カバレッティスト(寄席芸人?)バイキルヒャー氏の話は、最高でした。
創立の1912年当時は、考えてみれば「リヒャルト・シュトラウス」だって、
新進気鋭の現代音楽作曲家だったわけで、
作曲家のパウル・ヒンデミット氏がヴィオラ協奏曲をここのオケで初演した時、
ヴィオラのソリストが
「先生、この作品はどのように演奏させていただいたらよいのでしょうか?」
と、恐る恐る緊張して訊ねたら、
「なんでもエエから、最後まで通して弾いたって・・」
みたいな事をコテコテのライン訛で言ったとか(笑)。
「こんなフランス国境の僻地まで、クラシック音楽が浸透するには時間がかかったんですねぇ・・」
とか、ご当地風刺ネタも多く、予想以上に楽しめた2時間でした。
しかし、やっぱり上岡さんの
「タンホイザー序曲」はよかったですね〜。
もう、来賓の挨拶はエエから、
このまま続きやって〜〜と思いました。
←ここにBさんがいます。
私の席からは、
この横の装飾のカーテンが邪魔で、
チューバはほとんど聞えませんでした(泣)。
式典の後は、
ロビーでのコンサートや、
舞台での劇場のほかのセクションからの
オケへのお祝いの出し物など、
盛りだくさんでした。
午後からは外での催し。
いいお天気に恵まれて、
久しぶりに以前の同僚さんたちやら、
オケの人やらとおしゃべりして
楽しかったです。
オケの人は夕方17時までが拘束時間でしたが、結局ここで18時過ぎまでみんなビールを飲んで談笑していました。
顔見知りの大道具さんの奥さんが受付にいたので、
しゃべっているうちにまんまと
「100周年記念誌」を買わされました。
こんなん、オケのメンバーにはタダで配れよ・・・と、
ちょっと思いましたけど・・・
定価 22.90ユーロ。
劇場関係者価格 16.70ユーロ。・・・高い
帰ってペラペラめくっていたら、
創立からの歴代のメンバーの名前が載っていたのですが、
100年間でBさんは歴代4人目のチューバ奏者。
なんか思ったより少ないですよね。
あと、1914年に辞めている人が多くて、
中には1922年頃にまた舞い戻っているのは何で?
と思ったら「第一次世界大戦」だったんですよね。
1935年にもたくさんの人が辞めているんですけど、
これはナチの政策でユダヤ人の音楽家は全員追い出されたんですね。
ちなみにこの二日前に「100周年記念コンサート」があって、
100年前の創立時とまったく同じ演目を演奏したそうです。(いいアイデアですよね
Bさんは「降り番」(チューバのない曲目)だったので、同僚に
「100年前の僕の同僚もそのコンサートの日は休みだったんだねぇ・・へへへ。」
と言ったら、
「いや・・・当時は彼はコントラバスを弾いていたに違いない」・・と言われたそうです。
なるほど!!
昔はそうだったんですよね〜〜。
チューバは歴史の浅い楽器ですから、チューバとコントラバスは兼任だったんですよ。
今考えると「弦楽器」と「金管楽器」全然違うのに、
「取り合えず低い音出す人」・・・やったんですかね?
←プログラムに載っていた、
創立メンバーと現メンバーの写真。
人数もそうですが、
2012年・・・女の子が多い!!
1912年は、真ん中のたった一人、
ハープ奏者(やっぱり!)が紅一点だったのに、
2012年は全体の3分の一の団員が女性。
時代ですねぇ・・。
なんだかこの100年間が、
長いような短いような、
遠いような近いような・・・・
妙な感覚を味わった一日でした。
楽しかったけど疲れた・・・・
昨日夜のサッカーのドイツvsデンマーク戦も最後はウトウトしながら観てました
ま、なんにしろ勝ってよかった。
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先週のことですが・・・
半年以上前からずーっと探していた、念願の一軒家が見つかりました。
・・・あ、誤解のないように・・・借家です(爆)。
家を買うようなお金はどこを探してもありませんから・・・・(汗)。
ザールブリュッケンに住んで・・・ま、始めカイザースラウテルンにアパートを借りて
2重生活していたこともありましたが・・・約10年。
今も大好きな街で、本当はここを離れるのはとても心苦しいのですが、
やはり長い目で見てずっとこの遠距離通勤生活を続けるのは無理だし、
Bさんが家で心置きなくチューバの練習ができる、音の出せる一軒家は私たちの夢でした。
今は私が毎日片道72kmの距離を往復していますが、
今度引っ越す家はホンブルク(ザール)というところで、
ザールブリュッケン・35km・ホンブルク・42km・カーザースラウテルンという立地条件。
大体2つの街の中間です。
家からアウトバーンまでは3km。
Bさんの通勤時間が約20分、私の通勤時間が約30分。
電車の便もよく、駅まで徒歩10分弱。
結局いろいろ探していましたが、
アウトバーンからお互いが同じ道程を10km以上走る物件はNG。
音の出せる一軒家(いわゆる「2戸いち」はNG。)じゃないとだめ。
庭があるところ。
家賃があまり高くないところ(笑)。
・・・など、条件が厳しいので物件探しは困難でした。
別に急いでいるわけではないので、毎日ネットで不動産情報をチェックする程度でしたが、
2軒ほど見学に行ったところはどうも立地が悪かったり、立地がよくても物件の状態が最悪だったり
そして・・・・ほんの2週間ほど前ですが、
ネットで「新情報!」のマークがついた物件を見つけ、良さそうだったのでその場で即電話、
次の日に見学に行って〜〜〜〜二人とも気に入ったので、その場で決めました
・・・と言っても、大家さんがOKしてくれるまでは少し不安でしたが、
音楽好きの老夫婦、自分達が昔住んでいた家を大事に住んでくれる人なら・・ということで、
3日後には「契約成立」となったのでした。
その家が・・・こちら↓
印刷を写真に撮ったので、
画像は悪いですけど、
1950年代の築、
手入れが行き届いていて、
私たち2人には
ちょうどいい大きさです
キッチン↓ 浴室(二階)↓ 階段↓
↑テラス ↑庭
なんと言っても私が一番気に入ったのが、テラスからの眺め。
目の前に広がる広大な庭はうちの分だけで800㎡。
ミラベルとりんごの木、たくさんのもみの木。花壇
そして、隣の敷地内に住む大家さんのお庭はその3倍ぐらいの広さがあり、
間に垣根がないので・・・もう、見渡す限りの緑・緑・緑
グーグルで見ても、周りは住宅地で静かですが、
特に大家さんの敷地は庭面積が大きく、
緑の部分がバァ〜ンと目に付きます。
←賃貸契約書を手に、どや顔のnaochanです。
あれ以来、毎日Bさんとニヤニヤしながら、
「あれをどこに置く?・・これをどうする?」
「畳の部屋をつくろうか・・?」
など、楽しい計画は底をつきません。
最近うちで流行っているのは・・・
「ねぇねぇ・・知ってる?
Bさんとnaochanは一軒家に引っ越すんだよ。」
「え?ほんと、すごいね!!」
・・・という、くだらない会話です。
・・・すいません。
あまりに急な展開に浮かれている、
傍から見たら気持ち悪い40代のおっさんとおばはんの会話です(爆)。
夏休み後、9月に引っ越します
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なぜか今週は、毎日いろんな演目の稽古&本番がごっちゃ混ぜで、
頭の回転が着いてゆかず・・・気力、体力ともにどんどん消耗してゆきます。
先週は「仮面舞踏会」(伊語)の最終公演でしたが、その前後から、
基本的には来週末初日の「Verkuendigung=告知」というモダンなオペラ(独語)の稽古と、
「ボリス・ゴドノフ」(露語)の音楽稽古が同時進行で、
今週は、「ハロー!ドーリー」(ミュージカル・独語)出張公演、
「マダム・バタフライ」(これも今日が楽日・伊語)、「パルジファル」(ワーグナー・独語)。
それぞれ中日とか午前中に別の演目の稽古があったりするので、もう頭んなかゴチャゴチャ
劇場に着いてから「えぇ・・っと、今から何歌うんやったかいな?」
楽屋に下がっている衣装を見て「あぁ、これか・・・」みたいな(爆)。
さて、4月も半ば過ぎたのに「花冷え」状態がずいぶん長く定着しているドイツ。
本当は「一雨ごとに・・・」なんていいますが、
私の体感では「一雨ごとに・・・・寒なってるやんけっ!なんでや?!」って突っ込みたくなる。
そんな気候ですので、うちの前の通りの八重桜、咲き始めから満開状態になるまで、
例年になくものすご〜〜〜〜くスローテンポでした。
ぼんぼりさん(大阪弁?)みたいに、
真ん丸に咲いてゆくのがカワイイ
春だけど、
やっぱり陽射しが弱いです・・肌寒い
本当に、本当に・・・・
歩道にコロンっと、
「naochan・・・拾って〜〜ん
とばかりに転がっていたので、
持って帰ってきました。
しつこいようですが、
本当に手折ったわけじゃありませんっ!!
一気に食卓が春色
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まんまとはまっています、
「パン焼き沼」
今日街に出て、気がついたら、
強力粉、ライ麦粉、ドライイーストなど・・・
買い物かごに入れていました。
ほとんど無意識に・・・・
帰ってきてせっせとこねて、
できました。
「ヴァイツェン・ミッシュブロート」
(白パンにライ麦がちょっとだけ入ってる)
晩御飯、普通に「から揚げ定食」を
作って食べた後に焼き上がり・・・・
・・・・早速試食
うまぁ〜〜〜〜い!!
今度は何焼こうかな〜〜???
これは深いぞ・・・パン焼き沼
・・・・ズブズブ・・・・
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