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今日は、三国志ファンなら誰でも知っている、中国三国時代の蜀の大軍師、諸葛亮孔明の命日である。
西暦234年8月23日、第5次北伐の五丈原の地で、志半ばにして54年の生涯を遂げたのである。 孔明は、蜀を建国した劉備玄徳に生涯にわたって忠誠心を貫き、劉備死後も後主劉禅を助け、蜀の丞相として尽くしている。 「三国志演義」では、劉備が物語の主人公ではあるが、特に孔明は物語後半の主人公といえる。 孔明が死んでまもなく物語が終わるのである。 兵法家であり発明家でもある孔明。 この時代の中国は、先進国であった。 では、ここで一句。 「孔明の 夢散る秋風 五丈原」 |
三国志
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昨日のブログで、久しぶりに三国志ネタを書いたら、福島県いわき市に住む友人からメールが・・・
「今度は曹操ネタもよろしくお願いしますm(_ _)m」
ということで、今日のブログは三国志の曹操ネタを・・・ 今から1800年前の中国は、後漢王朝が崩壊し乱世の時代へと移り変わり、中国国内に魏(初代皇帝:曹丕=曹操の子)・呉(初代皇帝:孫権)・蜀(初代皇帝:劉備)の3つの国が成立した。 この時期を三国時代と呼び、その三国時代について書かれた歴史書を「三国志」という。 「三国志演義(三国志の歴史の物語)」の中では、劉備が主役で曹操は悪役のように書かれている。 自分は蜀を起こした「劉備」の生き様が好きだけど、客観的にみると曹操は三国志きっての「英雄」だと思う。
なんといっても、賢臣を集め、明晰な頭脳で次々と奇策を生み、残虐な面も多かったが、一代であの広い中国の北半分を平定し、魏の国の礎を築いたのである。 屯田制を全国に広めたのも曹操だし・・・ 「治世の能臣、乱世の姦雄」と呼ばれた曹操は、まさに「天才」である。 では、ここで一句。
「三国志 劉備もいいけど 曹操も・・・」
そういえば、三国志関連の本は、100冊は読んだな〜!!
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「大事をなすには 必ず 人をもって本となす」
今から約1800年前の、中国『三国志』時代の名言。 三国志の英雄・劉備が曹操に攻められ、いよいよ危うくなったとき、家臣たちが劉備だけでも脱出させようとた。 そのとき、劉備は「大事を済す(なす)には 必ず 人を以(も)って本(ほん)と為(な)す」と言ったのである。 もし自分だけ助かっても皆を失えばなにもできない。 だから、だれ一人見捨てない、という意味で使った言葉でである。 何か事業を起こすときには、それを支える人を大切にしなければ何もできない。 人が大事なんだよ・・・と。
人の心は、強制力や財力で買うことはできない。 仕事をする上でも、人生を生きていく上でも、人が大切である。 「大事をなすには 必ず 人をもって本となす」 この言葉をいつも肝に銘じて・・・ では、ここで一句。 「孔明も いいけどやっぱり 劉備かな!!」 |
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ブログのネタに困ったとき、「苦肉の策」として、自分が好きな歌の歌詞を書いている。
「苦肉の策」
今では「苦し紛れに・・・」「思いつき・・・」という風に使われることが多いが、本来の意味は違う。
「自分自身の身体を犠牲にして敵の信頼を得る、捨て身のはかりごと」を意味する。
今から1800年ほど前、三国志最大の決戦となった「赤壁の戦い」のさなか、呉の武将・黄蓋(こうがい)が味方の前で呉の総大将・周瑜(しゅうゆ)に対し、志気をそぐような発言を繰り返したため、周瑜は黄蓋を50回のムチ打ちの刑にした。 黄蓋の背中の皮は破れ、血が滴り落ちる。 味方の誰もが、黄蓋を哀れに思い、涙を流したという。 この様子を見ていた敵方(魏の曹操)のスパイは、こと細かく曹操に報告した。
しかし、実はこれは全て、周瑜と黄蓋の芝居なのである。
その後、黄蓋が曹操に対し降伏を申し入れ、曹操を信じ込ませたのである。
黄蓋は偽りの投降を装い、曹操の陣営に近づいて火を放って曹操軍を焼き尽くし、呉軍は大勝利を得たのである。
これこそまさに「苦肉の策」なのである。
では、ここで一句。
「何書こう 苦肉の策で 歌ばかり」 |
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私の好きな言葉。 |





