|
館山・那古 平成19年8月7日、平成20年8月5日 毎年恒例の友達との海水浴(と言う名の飲み会ですが)で岩井海岸に行くので その帰りに館山により参拝してきました。 ここは以前にも雨で泳げなかったときに参拝に行ったことがあり、平成19年の 時で2回目です。 この時は、観音堂の修復工事中で上には行けず、下の納経所で参拝、御朱印をいただきました。 これで結願なのですが、これではあまりにも・・・ そのため、翌20年の夏も海水浴の帰りに寄りました。 駐車場に車を停め、坂を登ります 仁王門 仁王像 参道を行くと 鐘楼 藤原期の作と伝える木造阿弥陀如来の座像を祀る阿弥陀堂 多宝塔 宝暦11年(1761年)に地元那古寺や周辺の大工によって建てられたそうです。 観音堂 「圓通閣」の額は老中松平定信の揮毫 八大龍王 雨乞いの神として祀られています 中腹の潮音台からの眺めです 眼下には館山湾(鏡ケ浦)が広がります 下に降りてくると 納経所 この建物の前が駐車場になります 那古寺は真言宗智山派 御本尊は千手観世音菩薩。開基は行基菩薩。 養老元年(717年)開創 補陀洛は よそにはあらじ 郡古の寺 岸うつ浪を 見るにつけても 御朱印 目の前に広がる浦賀水道を越え、鎌倉に行くと一番札所です。 これで2年余りかけて回った坂東札所も結願になりました。 集中して回れば3,4日で結願するのですが、のんびりとマイペースで回りました。 自分ではもっと掛かるだろうと思いましたが、目標を19年の8月(毎年館山方面に行くから)としたので19年の5月から一気に回り那古寺にたどり着くことが出来ました。 この後は秩父三十四札所をまわりたいと思っていますが、かれこれ1年以上経っても
重い腰が上がりません。 暖かくなってきたらそろそろ行こうかと思います。 |
坂東三十三観音札所
[ リスト | 詳細 ]
坂東三十三観音札所訪問記です。
|
夷隅・岬 三門 仁王門 仁王門より四天王門を臨む 四天王のうち「広目天」と「増長天」 風神・雷神 本堂 なぜか赤穂四十七士像 清水寺は天台宗 御本尊は千手観世音菩薩。開基は慈覚大師円仁。 大同二年(807年)開創 濁るとも 千尋の底は 澄みにけり 清水寺に 結ぶ閼伽桶 御朱印 さて、いよいよ次は結願です
|
|
長南・笠森 平成18年6月22日 この日は那古観音を除く残りの房総の札所すべてを巡ろうと思い 朝早めに実家を出発。 国道409号線を八街から東金に抜け、茂原から房総横断道で笠森へ向かいます この日の行程は母親と一緒だったのでなにかと・・・ 仁王門 四方懸崖造りの本堂 それぞれ長さの違う61本の柱で支えられています 本堂にある鐘です 境内を見下ろすと 長元元年(1028年)後一条天皇の勅命で飛騨の匠、一条康頼と堀川友成が 棟梁となって舞台造りの本堂を建てたが、焼失。 現在のものは安土桃山時代の再建のものではないかと言われている。 岩山の上に縦横に組んだ柱の配列がこれを建てた匠の並々ならぬ腕の冴えが 感じられる。 拝観料を払い、高さ約30メートルの廻廊に昇ると緑濃いその眺めは素晴らしい。 まさに雲上の浄土のような感を抱くだろう。 笠森寺は天台宗 御本尊は十一面観世音菩薩。開基は伝教大師。 延暦三年(784年)開創 日はくるる 雨はふる野の 道すがら かかる旅路を たのむかさもり 御朱印
|
|
木更津・矢那 平成18年6月22日 この日は那古観音を除く残りの房総の札所すべてを巡ろうと思い朝早めに 実家を出発。 順番が入れ違いますが笠森観音を参拝後、房総横断道路を木更津に向け走り 高蔵観音へと向かいました。 仁王門 鐘楼 観音堂 1526年に再建され、縦・横・高さがそれぞれ約20m、高床式で床の高さが 約1.8m、16面取り柱が88本ある珍しい作りです。 この観音さまの霊験はこの地を治める猪野長官に現れた。 40歳になっても子が出来ず、嘆いた長官がこの観音さまに百日参拝の願をかけ 祈ったところ一女を授けられた。喜んだ長官はこの子を「子与観」と名づけた。 子与観は心清く親切な良い娘に育ったが、器量があまり良くなく二十歳を過ぎても 良縁に恵まれず困っていた。そこで長官が再び観音さまに願ったところ、ある夜 「鹿島へ行きて日天を拝せよ」とのお告げをいただき、そのとおりにして結婚、 めでたく男子を得たが、これぞ藤原氏の祖「藤原鎌足」であったという。 (かつてこの辺りは鎌足村と言っていた) 高蔵寺は真言宗豊山派 御本尊は正観世音菩薩。開基は徳義上人。 用命天皇の御世に開創 はるばると 登りて拝む 高倉や 富士にうつろう 阿裟婆なるらん 御朱印 |
|
千葉・千葉寺 平成18年12月6日 この日は友達の誕生日で、忘年会を千葉で行うので 昼間に千葉寺を参拝することにしました 上野から京成電車で千葉寺へ。子供の頃は千葉に住んでいましたが この辺もすっかり変り、なんとなく感頼りでお寺へ 千葉寺は大網街道沿いにあります 仁王門 天保12年(1841年)に再建 鐘楼 文政11年(1828年)建立だそうです 昭和に再建された観音堂 十八間四面の観音堂は永歴元年(1160年)落雷のため焼失し、文政11年に建立されたものの 昭和20年の戦災で焼失。その後現在の観音堂が建てられた。 天然記念物の銀杏 乳柱が垂れているが、これを煎じて飲むと母乳がよく出るという 「千葉寺縁起」によれば和銅二年(709年)僧行基がこの地に来られ「池の中に茎一本に花二つ開き、千葉の青蓮華あり、其の花の中に弥陀如来、観音大士の二尊並びましまして説法し玉ふ」という瑞蓮を見て、丈六の観音像を刻み奉安したのに、この寺は始まるという そして聖武天皇の勅諚により海照山(現在は海上山)千葉寺と称した 中世には、この地に勢力を張り、源頼朝の旗揚に大きな力を与えた豪族千葉氏の祈願所として栄え、源家を再興し得たのはひとえにこの観音さまの冥助なりと頼朝は千葉常胤に命じて「運慶」作の愛染明王像を寄進している 戦国の世、豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏と共に千葉氏は滅亡。それはそのまま千葉寺の衰運につながるが、徳川家康が朱印百石を寄せ、秀忠の参詣も再度に渡り徐々に再興。江戸、房総、東金、大多喜、佐倉の諸街道は、札所の順序にかまわずに千葉寺へ歩をはこぶ巡礼者で賑わったことが想像できる 千葉寺は真言宗豊山派 御本尊は十一面観世音菩薩。開基は行基菩薩。 和銅二年(709年)開創。 千葉寺へ 詣る吾が身も たのもしや 岸うつ波に 船ぞうかぶる 御朱印 参拝後、友達に駅まで迎えに来てもらい、友達のマンションへ。そこで車を置いてモノレールで忘年会の店へ向かいました
|






