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根室市内の中心部では、毎日、朝8時と午後3時の2回、懐かく、どこかで聞いたことのあるメロディが流れます。 (なぜ午前8時と午後3時かは不明。小学生の通学時間??) 職場の人が『「ここに幸あり」ですよ!』とヒッソリと教えてくれました。 (恥ずかしいことに知らなかった。) 「ここに幸あり」(高橋掬太郎作詞・飯田三郎作曲) ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険(けわ)し 君をたよりに わたしは生きる ここに幸あり 青い空 誰にもいえぬ 爪のあと 心に受けた 恋の鳥 ないてのがれて さまよい行けば 夜の巷(ちまた)の 風哀(かな)し いのちの限り 呼びかける こだまのはてに 待つは誰 君に寄り添い 明るく仰ぐ ここに幸あり 白い雲 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ なぜ陽気でもない、どちらかと言えば寂しさを感じるこの歌なんだろうと思ってました。 この歌は、根室出身の高橋掬太郎(作詞)と飯田三郎(作曲)のゴールデンコンビ作だかららしい。 二人のことをいろいろ調べてみると、 【飯田三郎(いいだ・さぶろう 1923〜2003)】 根室生まれの作曲家。 戦後、高橋掬太郎とのコンビによる「ここに幸あり」に続き、次々とット曲を発表。 宗教音楽の作品も多くあるが、根室を愛し、根室のために多くの曲を残した。 市歌「根室市の歌」や根室漁民の歌「根室っ子」も飯田氏の作曲によるもの。 代表曲の交響組曲「北国讃歌」(1968)は、根室市の開基100年周年記念のための作られた。 根室市図書館2階に飯田三郎資料展示室がある。 亡くなったときは市内で追悼音楽会も開催されたよう。 【高橋掬太郎(たかはし・きくたろう 1901〜1970)】 根室の国後島生まれの作詞家。 初めは根室新聞社の記者だったようです。 「酒は涙か溜息か」(昭和6年)に発表後、歌謡曲の作詞家として活躍。 若手作詞家、作曲家の育成にも力を注ぎ、多くの作家を輩出したそうです。 三橋三智也に多くの詩を送ったようです。 どんな曲かはしりませんが、一本刀土俵入り、草笛の丘、古城、北海の終列車、石狩川悲歌、ああ大阪城などがあるようです。 簡単にはこんな感じです。 二人の功績を称え、その栄誉を永く後世に伝えるため、音楽記念碑が昭和60年8月に市役所前に建立されています。 音楽碑の真ん中には、ハマナスや、白鳥と流氷、根室市の花ユキワリコザクラ、七色の虹を配し、根室の四季を表現したステンドグラスがはめ込まれています。 散歩して初めて気が付きました。 市のHPには何も書いていないけど根室っこはみんな既にご存じなのでしょうか? |
根室風物詩
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初めて知りましたよ。ぽち!
私が根室の夜を千鳥足の頃、既にあったのですか!!
尚、熊の湯の画像ではお世話になりました。
2010/11/15(月) 午前 7:54
S60完成ですから以前からあるようです。
2010/11/15(月) 午後 6:31 [ 北のかもしか ]