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2月7日は北方領土の日です。 由来は江戸時代に日魯通好条約により国境が確定されたことからのようです。 根室では毎年盛大なイベントが開催されるのですが、今年やっと参加することができました。 場所は総合文化会館で続々と人が集結しています。 受付でパンフ、記念品、たすき等を受け取ります。 会場は開始前から熱気むんむんで、凄いです。 イベント名は「2011北方領土の日根室管内住民大会」 パンフの裏です。12時から約3時間。 中学生による弁論大会も開催されます。 アトラクションは根室の味覚観光大使で平成のイケメン?の山内恵介。 北方領土の解説パンフもあります。 歴史的な背景が分かりやすく解説されています。ふむふむ。 そして「返せ北方領土」のはちまき。 「島を返せ」たすき。 何とはちまきとたすきは回収されるようです。 まあもらっても使えなさそうだからよいけど。 記念品はカステラでした。 職場に戻って女性にプレゼント。 いよいよ始まりました。 長谷川根室市長は東京の大会に出席しているようで脇羅臼町長があいさつ。 来賓の挨拶が長々と続き、ウトウトしかけた頃に第二部弁論大会。 管内市町から中学生2名ずつが代表として登場。 みんな一生懸命で素晴らしいのですが、ちょっと異常な雰囲気かも。 そしてお目当てのアトラクションとなり山内恵介が登場。 会場が一気に盛り上がります。 年配の女性陣に絶大な人気です。 アンコールに新しれとこ旅情を会場と一緒に合唱し、10分近く予定時間を超えて終了。 そして最後は弁論大会の成績発表。 一位は中標津中2年の四ツ屋春歌さん。 二位は根室市厚床中3年の武隈未希さん。 三位は別海町中西別中2年の盛合樹さん。 女子が上位を独占しました。 みんなおめでとう。 会場から外へ出たら、凄い吹雪でした。
今日は朝から暖かくて、随分解けていたのに残念。 家に戻ってすぐに除雪です。 |
根室風物詩
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日本支援へ北方領「即時返還を」 ロシア大衆紙がコラム
【モスクワ共同】「クリール諸島(千島列島)の四島を今すぐ、無条件で日本に返さなければならない」―。
ロシア大衆紙モスコフスキー・コムソモーレツは18日、東日本大震災に見舞われた日本人の悲しみを和らげ、日本への同情を示すため北方四島を返還すべきだと主張する異例のコラムを掲載した。
メドベージェフ大統領の昨年11月の国後島訪問以来、ロシアは現地での軍備増強を指示するなど日本へのけん制を強めていたが、大震災発生後にそうした動きは影を潜めていた。同紙の記事は被災した日本を支援すべきだとのロシア社会の雰囲気を反映している。
筆者は同紙政治評論員のユリヤ・カリーニナさん。日本には北方領土100+ 件返還を求める法的権利はないとし「私も、日本が順調だった時には返還に反対だった」と心情を明かした。
その上で「しかし大地震と津波が全てを変えた。破滅的被害の前では(ロシアの)国益など小さいことだ」と指摘。広大なロシアのほんの一部にすぎない北方四島を日本に慈善目的で引き渡すことが「それほど惜しいだろうか」と問い掛けている
2011/3/20(日) 午後 5:50 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ]
標津の歴史
・1700年(元禄13年) 松前藩が元禄御国絵図を江戸幕府に献上。この図に「ちべ内」と記載。標津が文献に表われた初め。
・1701年 厚岸場所の奥地を分離して、霧多布場所を設ける。
・1774年(安永2年) 霧多布外3場所を飛弾屋久兵衛に請負わす
・1785年 幕府派遣のえぞ地分検隊が標津を通過。
・1786年 9月7日夜、幕府派遣の「神通丸」が標津沖で、「五社丸」は西別沖で暴風のため沈没。
・1789年(寛政元年) 国後、目梨のアイヌ反乱。和人70人を殺害。飛弾屋を免じ、村上伝兵衛に場所請負を命ず
・1794年 運上屋をノッカマップより根室へ移し、根室領と称す。
・1796年 小林宗九郎、熊野屋忠右衛門、根室場所請負人となる。
・1859年 道東の開拓権を与えられた会津藩が陣屋を置く
・1879年(明治12年) 4月に戸長役場を標津に設け(標津町の開基)、標津と伊茶仁の2ケ村を統治し、6月には標津郡戸長役場となる。
・1880年(明治13年) 標津・目梨両郡戸長役場となる
2018/12/23(日) 午後 1:04 [ 公徳心を高めよう ]
公徳心を高めようさん、訪問ありがとうございます。
標津の歴史、詳しいですね。
勉強になりました。
2018/12/25(火) 午後 8:58 [ 北のかもしか ]