北のかもしかの山歩き

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ヘルベチア・ヒュッテ

朝里岳・白井岳の帰路、夏は木々に隠れているヘルベチア・ヒュッテが国道から見えました。
写真に写そうと車を止めて、よく見ると人がいるのが分かりました。
折角だから、中を見せてもらうことに。

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ヘルベチア・ヒュッテは、2011年(平成23年)4月28日の北海道新聞によると、テイネ・パラダイス・ヒュッテ(26年建築、94年に再建)、空沼小屋(28年建築)とともに、日本に数多くの建築物を残した建築家、マックス・ヒンデルが設計した小屋です。
1927年(昭和2年)に、現地に密生していたシラカバを建築用材に使い、への字型の切り妻屋根を持つスイス風小屋として建築されました。
宿泊定員は12人とこじんまりとした山小屋で、「ヘルベルチア」はスイスの古名。
34年に北大に寄贈され、山岳部が管理し、85年には部分的に改修工事が施されたものの、当時の姿のままで今日に至っています。

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小屋の最初の所有者は、アーノルド・グプラー、山崎春雄、マックス・ヒンデルの3人。
アーノルド・グプラーは、1925〜32年、北大予科のドイツ語教師。
山崎春雄は、スイス留学を経て21年に北大医学部に赴任した教授、
マックス・ヒンデルはグブラーの前任ドイツ語教師の義兄で24年に札幌に設計事務所を開いたスイス人建築家。
この3人が札幌の地においてスイスつながりで意気投合し、グブラーはスイス山岳会会員で登山家だったこともあり、山崎教授・ヒンデルともども学生らと交流を深め、山へ出向くようになります。
やがて、山の拠点として、3人の共同所有の小屋としてヘルベチア・ヒュッテを建築しました。
ここを拠点として、白井岳、朝里岳、余市岳、百松沢山などを周辺の山に学生らとスキーツアーに頻繁に出かけたそうです。
当時は小屋近くを通る今の国道はもちろんなく、山を越えて、一日がかりで小屋へ来たそうです。

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アーノルド・グプラーは帰国後、スイス東部のバレンシー湖畔に家族のために別荘を建て、「セカンド・ヘルベチア・ヒュッテ」と命名し、いつも札幌の小屋と比較していたそうです。
その息子さんのベルンハルト・グプラー(70)がインターネットでヘルベチア・ヒュッテが今もあることを見つけ、訪ねてみたいと北大に手紙を送り、当初2011年4月12日に小屋への訪問が予定されていましたが、東日本大震災の影響で延期となり、昨年秋に無事訪問が実現されたようでした。

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個人の荷物があり、内部の写真は取れませんでしたが、本当にこじんまりとした狭い小屋でした。
電気やガスはもちろんありません。
水は以前は川の水を利用していたそうですが、国際スキー場が出来てからは、近くの沢に変更したようです。
こんな小屋ですが、歴史だけでなく、山スキーが好きな皇族も宿泊したことがあるという由緒ある部屋のようです。
たまたま小屋にいた女性は、ご主人が北大関係者のようで、この小屋でのんびりと週末を過ごしているようでしたが、山には行かないとのことでした。
今度、是非、泊まって見たいものですね。

閉じる コメント(2)

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へえ〜素敵な小屋ですね
こうして歴史を教えてもらうと楽しさが倍増します
山小屋っていいですね

2012/5/23(水) 午後 2:36 tity-mama

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札幌近郊にはいろいろ山小屋があるのでいいですね。
そういえば冷水小屋の学生さんにビールを返さなくちゃ。

2012/5/23(水) 午後 10:24 [ 北のかもしか ]


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