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元同僚が退職して再就職。仕事の関係で留萌に来てくれたので一緒にランチしました。 うに丼が食べたいというので、丸喜寿司でランチしました。 注文したのは、ミニウニ丼付きランチです(1700円) しけの関係で残念ながらウニは地元産ではありません。 バフンウニとムラサキウニのミックスのようです。 握りも七貫あり、量も十分。 野菜サラダとホタテ稚貝のみそ汁もついていました。 お客さんも十分満足してくれたようです。 ごちそうさまでした。 〔my評価〕総合17点(20点満点)
○味 ☆☆☆☆★ 4点 ○ボリューム ☆☆☆☆★ 4点 ○価格 ☆☆☆☆☆ 5点 ○雰囲気 ☆☆☆☆★ 4点 (及第点は3点) |
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(「その1」から続きます。) あと2kmの標識です。 あと200mのところで舗装はお終いです。 木々が生い茂り、今でも本当にクマがでそうな道路を進んでいくと「三毛別熊事件復元現地」でした。 案内図です。 解説です。 現地碑です。 実際の事件はこれより数100mほどさきのようですが。 ここに林道(六線沢)のゲートがあり、これ以上先へ行けないので仕方ありません。 クマの像。どうしてこれがここにあるのか意味不明ですが、実物大という意味でしょうか? 現地には大正時代の開拓期の様子が復元されています。 開拓小屋です。 クマに襲撃された小屋の内部が復元されています。 そして、襲っているクマがこれです。 うわ!デカ! これが全景。 怖さは実感できますが、これだと鼻のさきからお尻まで、間違いなく4m近くあります。 実物大とは言いますが、デカすぎでしょう! 帰り際、田んぼにエサ(カエルかな?)を狙うアオサギがいました。 あの時代にもこうして存在していたのでしょうか? 人間がクマの住む地域に近づきすぎた教訓として、語り継がれていってほしいですね。 お疲れ様でした。 |
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留萌管内苫前町では、まだ北海道開拓期の大正時代に、熊の獣害としては日本史上最悪と言われ、7名の死者と3名の重傷者出したかの有名な「三毛別熊事件」が起きました。 事件が起きて約100年が既に経過していますが、事件が風化しないよう、またあの事件を教訓として人間と野生動物が平和に共生できるよう町内のあちこちに、いろいろな慰霊碑等が設置されています。 国道を北上すると、まず目にするのが苫前町の役場前にある巨大な「とままえ・だ・ベアー」です。 どうみても実物大とは思えない巨大さと、「だベアー」と語尾さえつけるとどこの町でもよさそうなネーミングにはちょっと閉口してしまいますが、これを見ると「事件があった町なんだ〜」とつい思い出してしまうインパクトは強烈なものがあります。 事件の詳細は「苫前町郷土資料館」で展示された資料から伺うことができます。 郷土資料館には、役場前から古代ロマンロードを通って行くことができます。 古代というだけあって入口の両側にはハニワのモニュメントがあります。 といっても、この苫前町で縄文時代のハニワが見つかったわけではなく、古代の化石や続縄文時代の遺跡が数多く発見されたことから命名されたと思われます(たぶん)。 この古代ロマンロードをまっすぐ進みます。 突き当たりを左に折れるとすぐに郷土資料館です。 ちょっと怖いクマの看板があります。 小さな町の郷土資料館はどこもそうですが、ここも多分に漏れず旧役場庁舎を活用しています。 もしや入館料無料?と期待しましたが、しっかりと町外の大人料金@300円を徴収されました。 中に入るとすぐに目に入るのが巨大熊「北海太郎」の剥製です。 体重500kg、身長2.5mという巨大クマです。 剥製になったので痩せていますが、実際にはもっと体格がよかったと思われます。 事件を起こしたクマの大きさは、体重340kg、身長2.7mということですから、このクマよりもう少し身長があったようです。 ちなみにクマの身長は立った状態ではなく、四つん這いになって鼻の先からお尻の先までを計測するそうです。 館内にはクマに襲われた様子の再現模型もあり、その迫力の一端を感じることができます。 事件を映画化した「熊嵐」の映像(約40分も希望すれば視聴することができます。 ちょっと画質もいまいちですが、事件当時の様子を知るにはよいでしょう。 実際の事件の現場は苫前町本町から古丹別という集落に向かい、古丹別からさらに約20km近く進んだ事件後無人となった山の奥です。 古丹別からさきは「ベアロ−ド」と命名され、あちこちにかわいいクマの親子の看板が設置されています。このかわいい看板からは事件の悲惨さは感じることはできません。 5kmごとに標識も設置されています。 途中にあった三渓神社。 ここには事件当時の区長であった人の息子さんが事件に遭遇した村人を鎮魂するため建立した「熊害慰霊碑」があります。 ちなみのさきほど博物館で見た「北海太郎」はこの人の息子さん、つまりは区長のお孫さんに当たる人が仕留めたといわれています。 親子三代にわたって、この事件のことを悔やんでいたようです。 ちょうど現地まであと5km地点が、事件のクマが仕留められた場所になるようです。 橋は「射止橋」と命名され、標識も設置されています。 橋の欄干にある名前です。 流れる川は、ずばり「三毛別川」です。 (「その2」へ続きます。) |
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