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留萌での社宅アパートは繁華街に比較的近く、少し高台にあり、周囲にお寺等の古い建物がたくさんあります。 通勤途中でアパートから坂を少し上がると法國寺の石段があります。 石段を上がると右手に法國寺。 左手には聖徳太子堂。 この聖徳太子堂が気になって休みの日に立ち寄ってみました。 聖徳太子堂の全景です。 後ろには留萌神社があります。 聖徳太子堂の近景。 聖徳太子堂の由来説明板もありました。 太子堂の右手奥が法國寺ですが、なんか陰が薄い感じです。 太子堂の横に法然上人のかわいらしい像がひっそりとありました。 デフォルメされている像も珍しいような・・・。 像の後方には子育地蔵堂がありました。 お堂を覗くと、内部に何やらカラフルなお地蔵さんが見えました。 これが子育て地蔵なのかな? この聖徳太子堂では6月に留萌の三大祭りの一つ「聖徳太子祭」が行われるようです。 しかも聖徳太子は大工の神様で、大工さんの祭らしい。 でも一番最初に行われるので、留萌の夏を告げるお祭りとして市民に親しまれているようです。 お祭り好きの私としては今からとても楽しみです。 |
留萌風物詩
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仕事の帰り道、スーパーで食料の買い物をしたり、ツタヤでDVDレンタルしたりと街をブラブラしています。 大好きな本屋は街中ではなく、少し離れた地区にあるので、チャリでもあれば別だけど帰りに立ち寄りのは無理です(涙)。 あるときに偶然ですが、閉店のお店のシャッターに絵画を発見。 地元商店街が展示している郷土留萌の版画家「阿部貞夫」氏の木版画の複製のようです。 阿部貞夫氏については知りませんでしたがネットで調べると、 旧制留萌高校の第一期生(S4卒)で、卒業後上京して洋画を学び、戦後留萌へ帰郷します。 その後、知人を頼って何と釧路へ行き、そこで版画を学んだという。 (大げさですが私とは)奇遇な巡り合わせです。 その後、札幌を拠点に美術展に次々と出品し活躍しましたが、 S41に母校・留萌高校での開校記念日に講演を行い、その3ヶ月後に59歳で急逝してしまいました。 とすると私も今年死んでしまうのかという不安にも襲われますが...(汗)。 展示されているのは以下の三点。 「黄金岬の夕照」。 「鰊(にしん)沖場」。 「初冬の港」。 帰路、全景です。 どれも厳しい北国の自然と風土を詩情豊かに描かれていて、素晴らしい。(受け売りですが) こんな企画もなかなかよいかも。 留萌市内の中央公民館にも本物があるようなので機会があれば見てみたいです。 |
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職場からの帰り道にJR留萌駅に立ち寄りました。 平成28年12月に増毛線(留萌〜増毛間)が廃止され、JRからは留萌線(留萌〜深川間)も赤字路線として廃止検討の対象として地元市町村と協議が継続されています。 過去に仕事で札幌から何回か利用したことがありますが、最後はバスが多かったかな。 時間は若干かかるものの、深川で乗り換えがなく料金が安い分、JRには悪いけれどバスの方が利用しやすい。 駅舎の二階左手には地元FM「もえる」がありました。 駅舎の一階です。 夕方のせいかガランとしています。 かってどの駅にもあったキオスク(構内販売店)も無くなっていました。 広い待合室にも人はいません。 駅舎を出るとちょうど夕日が沈む時間でした。 留萌では黄金岬、ゴールデンビーチというくらい夕日の美しさで有名ですが、この日も空が夕日でゴールドに染まっていました。 ついでに駅のホームものぞいてみました。 一両編成の各駅列車がホームに到着していました。 各駅列車には高校生の姿も見えません。 釧路での高校生時代、汽車通学していた私には懐かしさとともに、一抹の寂しさを感じた一瞬でした。 |
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天気のよい夕方、仕事が終わってから黄金岬にある日和山を散歩しました。 海のふるさと館の駐車場です。 このときはまだ残雪が残っていました。 遠く暑寒の山並みも見えました。 波も穏やかでよい天気でした。 海のふるさと館の建物です。 建物の横に日和山と烽火台跡の碑がありました。 江戸時代にはここが北前船の目印となったことでしょう。 海側の通路を通って、建物の反対側へ。 こんな物がありました。 石碑の文字はよく見えなかった(汗)。 三角点「留萌」がひっそりとたたずんでいました。 頭を少しきれいにしてあげました。 モニュメントがありました。 終戦後、謎のソ連潜水艦に撃沈された樺太からの三隻の引揚げ船の平和慰霊碑でした。 この冬、荒波で灯台が破壊された防波堤も見えました。 正面を通って駐車場へ戻ります。 海のふるさと館は冬期休業中でした。GWからかな。 立派な冬期休業中の看板。 こんなもの、もって手加減してもよいかも。 GPSログです。 お疲れ様でした。 |




