|
先日、路面貨物・若松市営軌道線の写真を紹介しましたところ、杜夫さんからコメントを頂き、昭和38年・日活映画「狼の王子」のワンシーンを見せて頂きました。何度も映像を眺め、ロケした場所を確認してみました。私本人の撮影記録によれば、若松駅〜中川通7丁目分岐点〜車庫間を歩いたのみです。確証は持てませんが、ロケ地はおそらく、若松駅〜中川通7丁目分岐点間の緩やかなカーブ辺りではないかと思われます。映画に登場する貨物列車は、随分長い編成で、撮影のための特別編成であったような気が致します。貨物列車が進む先に写っているのは若戸大橋と思われます。キリンビールと表示した建物も確認出来ます。鉄道ピクトリアル誌、私鉄車両めぐり 第10分冊〔1969年12月〕。谷口良忠氏による投稿記事に掲載されていた路線図、路線キロ程を加筆して添付しておきます。商店街を避けた計画路線も表記されています。
写真1枚目、筑豊本線の折尾駅を発車するD50 205牽引客車列車。運炭鉄道主要幹線であった筑豊本線。この頃は、SL牽引列車が何本も見られる非電化路線でありました。黒崎〜直方〜桂川〜原田間を平成13〔2001〕年に電化。短絡線である篠栗線を含めた黒崎〜直方〜桂川〜博多間が、“福北ゆたか線”。桂川〜原田間は、“原田線〔はるだせん〕”。非電化区間のまま残されたされた若松〜折尾間は“若松線”と呼ばれ、当時とは運行形態も随分様変わりしてしまいました。白黒No.219−(21)・昭和45〔1970〕年8月21日(6:49)撮影。
写真2枚目、路上に放置されたトキ18213。中川通7丁目分岐点付近と思います。8:22に長い貨物を牽引して若松へ向った5号電機は、商店街を8:47にトキ18213を1両牽引して戻ってきました。何故、この場所に残されたものかは理解出来ません。写真後方、消防署の火の見櫓付近が映画ロケ地でなかったのか? キリンビールと表示した建物らしき物が確認出来ます。映画のロケから、これらの写真撮影の間、7年が経過しています。 白黒No.219−(36A)・昭和45〔1970〕年8月21日(8:52)撮影。
|
細かく調査していただきまして、ありがとうございました。
こうして図面をいただけるとありがたいです。
昨日本屋で立ち読みしていたら、宮脇さんがJTBで発刊した廃線跡めぐりの本に ↑が取り上げられているのに気がついて 即座に買いました。
2007/10/10(水) 午前 10:15
杜夫様。こちらこそ、貴重な映像を見せて頂きありがとうございました。当時の記憶はおぼろげなのですが、残した記録や他の写真から、当時の自分の行動が少々蘇りました。他の人から話を伺うことで、別の観点でこの路線を考察出来ます。
2007/10/10(水) 午後 2:57 [ hideki_kobyakawa ]
あずさゆみです。私は黒崎で生まれて、半年後折尾に来て育ちました。もう半世紀住んでますよ。祖母は若松駅のそばにいましたので、若松は身近に感じます。貴重な資料ありがとうございます。モリーさんに感謝です。
2007/10/11(木) 午後 11:38
あずさゆみ様。いつもコメントありがとうございます。北九州線の砂津〜黒崎駅前間が廃止間近の頃、大阪南港からフェリーで北九州を目指しました。何とか黒埼駅前まで辿り着いて、“そごう”デパートで土産を購入して帰って来ました。この時は家族同伴でしたので、それなりの記憶は残っています。折尾・若松を訪ねた37年前の記憶は、ほしんど残っていません。年はとりたくないものです。
2007/10/12(金) 午前 1:05 [ hideki_kobyakawa ]
なつかしい。路面貨物。私は現在大阪におりますが、かつては若松区に住んでおりました。もちろん現役の頃をみてましたよ。商店街の中をのろのろ走ってた。丸樫百貨店の前に踏み切りっぽいのがあって、ブザーがなると、ロープが下りてきて。裸電球が上向きに取り付けられていて、それが間抜けな絵で好きだったなぁ。
茶色の凸字型の電気機関車が路駐(?)しているところがあって、こっそり忍び込んだことがあります。運転室内は真っ白にペイントされていました。
また、分岐点だったかどうかはわかりませんが、路面線と専用線の境目に小屋というか東屋っぽいものがあり、そこに綱引きで使うような太いロープが置かれており、そこで遊んでいて服がオイルまみれになり、母に大目玉を食らったのを覚えております。いやぁ、懐かしい。
2007/10/22(月) 午後 11:56 [ - ]
tapminou様。リアルな体験談をお聞かせ頂き、ありがとうございます。
若い時、若松に降り立ち、ほんの一時を撮影したのみです。残念ながら、当時の記憶は残っていません。
ひょっとしたら、観覧車・飛行塔を備えた百貨店が“丸樫百貨店”なのですか? 頂いたコメントから推測すると、デパートの玄関前に遮断機が存在した事になるのですね。現在ならば、その光景は、絶対に撮影します。
世間一般常識からして、してはいけない事をしたり、他人から注意されると、意外に記憶に残るものです。路上の貨車トキに上がって、中でも撮影しておけば、もう少々印象が違っていたかも。
2007/10/23(火) 午前 1:38 [ hideki_kobyakawa ]
明治街商店街(ここは死神博士こと、天本英世翁が徘徊していることで有名でした)を抜けると丸樫デパートがあったと記憶します。
商店街とデパートの間の道の横断歩道の上にありまして、せっかく信号が青になっても、ブーとブザーがなるとワイヤーが降りてきて、通れなくなるんです。で、奴がやってくる(笑)。
商店街を抜けて、私の家の前の道に、よく路駐してましたね。転轍機とか、普通に道ばたにあったし。ものすごく重くて動かせなかったけど。
2008/2/3(日) 午前 2:27 [ - ]
tapminou様。お久しぶりです。楽しいコメントを頂きありがとうございます。
当時のご自宅前に路上駐車していたのは、写真の様な貨車のことですよね。前回のコメントから想像すると、軌道線沿線にワンパク坊主がチョロチョロしているので、悪さをされないようにポイント転轍機、ロックされていたのでは?
また折を見て、車庫で撮影した機関車の写真でも処理してみます。あまり枚数は撮影して有りませんので、期待はしないで下さい。
2008/2/3(日) 午前 2:55 [ hideki_kobyakawa ]