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NHKの「新日本紀行」で、昔、羽後交通雄勝線が紹介されたことが有りました。山の高い位置にカメラをセットして終着駅に到着する電車をズームインするシーンから番組が始まります。最後のシーンは、最初とは全く逆でした。終着駅を湯沢に向って発車する電車走行シーンをズームアウトしながら終了しています。白黒テレビで1度だけ眺めた映像なのですが、強烈な印象が残っています。「梺〔ふもと〕駅を見下ろし撮影された映像では?」 もう一度、眺めてみたいのですが、当時の映像は残っていないようです。
羽後交通雄勝線は、奥羽本線の湯沢駅から梺駅までの間を結んだ11.7kmの電車線でした。西馬音内〔にしもない〕〜梺間の2.8kmは、昭和10〔1935〕年2月13日に延伸開業された区間ながら、昭和42〔1967〕年12月1日、全線廃線以前に部分廃止となっています。
撮影出来たのは、湯沢〜西馬音内間の8.9kmのみでした。雄物川の鉄橋以外、全線の多くは水田の中にレールが続く平坦な路線でした。所々の集落外れに駅が存在しています。雄物川の鉄橋脇辺りからでも、終点西馬音内を発車する電車が眺める程見晴らしの良い路線でした。
写真1枚目、貝沢駅に到着した混合列車の湯沢行。デハ7+ホハフ5+ワフ1。No.288−9・昭和46〔1971〕年3月23日(15:47)撮影。
写真2枚目、貝沢駅を発車した、デハ7+ホハフ5+ワフ1。ホハフ5は、昭和25年に日立電鉄から譲り受けた電車。日立電鉄デハ7→羽後交通デハ4として活躍した後、電装が解除され客車として使用されていました。横サボは「ゆざわ行」と表記されています。No.288−10・昭和46〔1971〕年3月23日(15:47)撮影。
写真3枚目、湯沢へ向う、デハ7+ホハフ5+ワフ1後追いカット。黒に見えるかも知れませんが、ワフ1の塗色はチョコレート色です。No.288−11・昭和46〔1971〕年3月23日(15:47)撮影。
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富田勲の「新日本紀行」テーマ曲を思いうかべながら、写真を眺めさせていただきました。
貝沢駅の風情といい、混合列車にスカスカの?車輪といい、昭和40年代の空気を感じることのできる良い写真ですね(*^_^*)
2008/9/20(土) 午前 6:21
ed731003様。「新日本紀行、再び?」で残された映像を、たまに眺めますが、羽後交通は登場しません。花巻電鉄軌道線も登場したことがありますが、この映像も出てきません。「新日本紀行」を検索してみたところ、古い映像が残っていないとのことです。拍子木を打ち鳴らすテーマ曲も途中から変更になっているようです。
奥羽本線のSL三重連と木曽森林鉄道の映像〔再放送〕は録画しました。何れもカラー映像でした。番組スタッフがSLマニアであったことは、後に知りました。
2008/9/20(土) 午前 9:44 [ hideki_kobyakawa ]
レトロ色あふれる写真ですね。
車輪のスカスカなところが好きです。
再放送がNHKのアーカイブスなんかであるといいですね!
2008/9/20(土) 午後 7:29
越前蟹小三郎様。ポール集電ですから、よりレトロですね。
「新日本紀行」の初期の映像は、残っていないようです。フィルムで撮影した映像のようですから、残っているものと思えるのですが、当時はビデオが高価のため、ビデオテープに残っていないというニュアンスの表記でした。
2008/9/20(土) 午後 8:52 [ hideki_kobyakawa ]
昭和40年代というのは、ローカル私鉄にとって分岐点だったのだと思いますね。
こういうレトロな車両って、今の時代にあったら思わずリラックスムードになるかも知れません。
2008/9/21(日) 午前 3:50
アツ様。昭和30年代には輝いていたローカル鉄道が、昭和40年代には次から次へと消えています。自家用車が安価で購入出来るようになり、のんびり走行する鉄道線が消えてゆく運命に至ったと思っています。
確かに、車は便利な乗り物なのですが、車が増えて、人の気持ちはかえって閉鎖的になってしまったような気がしてなりません。
2008/9/21(日) 午後 2:51 [ hideki_kobyakawa ]
かわいいミキストなのに車掌室があるんですね。
客車の灰色の窓はトイレか何かでしょうか?
客車より電車の方がお客さんが多い理由が気になります。
2008/9/23(火) 午後 3:57 [ かふん ]
かふん様。ご無沙汰です。
気にもしていませんでしたが、ワフですから車掌室が付いていたのですね。車掌さんは、ポールを操作しなければなりませんから、先頭の電車に乗務していたものと思います。
ローカル私鉄でトイレ付きの車両は記憶に有りません。ホハフ5は、窓枠が破損したために、板で目張りしてあるものと思います。
2008/9/23(火) 午後 6:14 [ hideki_kobyakawa ]
この雄勝線の最初の記憶は、学校に上がる前の幼い日に母に連れられて湯沢に出かけた日だと思います。窓の外をゆっくり流れる田園風景が今も蘇ります。
廃線になる直前の高校時代の3年間、西馬音内と湯沢を毎日往復した私の通学電車でもありました。昨年お載せになっている雪掻車の奥にも写っていますが、茶色い木造の、特にオープンデッキつきの車両が、私が好んで乗った思い出の車両です。
お話の「新日本紀行」は私は観ることができませんでしたし、廃線決定後にNHK仙台が東北向けの番組でも放映しましたが、後者も姉の結婚式と重なり観ることができませんでした。1970年11月12日の朝の番組で、タイトルバックに車内の私がずっと映っていたと学友たちに教えられました。
人は嬉しくても懐かしくても涙が出るんですね。今日は検索をして大正解でした。ブックマークに入れて、また泣きに寄らせて頂きますね(笑)
恐らくすでにご存知かもしれませんが、他の車両の写真も下のサイトに載っていましたよ。
http://6.pro.tok2.com/~haasan55/ugokoutuu.htm
2008/11/13(木) 午前 3:47 [ oba*o_9* ]
obako_95様。私の鉄道の原点は、豊橋市内電車とお袋実家がある静岡県の三島ですね。obako_95さんと同様の気持ちで、現在の歳になってしまいました。
雄勝線の電車は、兎に角、遅かったですね。通勤・通学時の大型ボギー客車を牽引している時などは尚更でしたね。男子生徒と女子生徒が、別々の客車に乗車する事は趣味誌で知りました。
2軸の古典客車は、訪ねた時、常時庫の中で上手く撮影は出来ませんでした。現在でも3両が犬山明治村で活躍しているようですが、こちらは、いまだに撮影していません。
はーさんの写真は、私が撮影出来なかった時代です。むーさん、宮さんは、ひょんな事からお世話になる結果となりました。むーさんに、はーさんのことを伺ったのですが、具体的なことは教えて頂けませんでした。気になる方ではあります。
2008/11/13(木) 午後 1:35 [ hideki_kobyakawa ]
はじめまして。私も子供の頃に新日本紀行を観て強烈な印象が残っています。
ピク誌の私鉄車両めぐりで見ていた遥かな情景がテレビの映像となった衝撃は忘れられません。
昭和43年9月9日の放送ですね。フィルムは残っています。
NHKがアーカイブス事業を始めるきっかけとなったフィルム再生プロジェクトの初期にこの巻が選ばれ修復保存されています。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2000/h000806.html
地上波でも新日本紀行ふたたびの前にやっていた日曜深夜のアーカイブス番組の第一回で放映され私は奇跡的に録画できました。
デハ6もしくは7が意外にも通常の速度で且つ悠然と田圃の中を一直線に走る様は至宝の映像です。
40年前は白黒テレビで観ていたので 実は番組がカラー放送だったことは驚愕でした。
貴重なお写真まことにありがたく拝見させて戴いております。
2010/2/17(水) 午前 7:23 [ sut**u810* ]
sut**u810* 様。ありがとうございます。羽後交通雄勝線のカラー映像が、新日本紀行として残っているのですか。深夜のアーカイブ番組で、奥羽本線と思いましたが、峠の三重連は録画しました。木曽森林鉄道も録画しました。羽後交通は気付きませんでした。
新日本紀行がタイトルですから、これ以前に日本紀行があったのではと、勝手な解釈をしております。録画された映像、山の高い場所から俯瞰撮影されたシーンではありませんか? そこから番組が始まれば、新日本紀行であったと言うことになります。
この頁の写真もデジタル化して汚れ除去〔スライドマウント糊〕に苦労しました。空と雪の箇所は白ですから、何とかなっています。
2010/2/17(水) 午後 1:41 [ hideki_kobyakawa ]