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栗原電鉄M18形M181の写真を前回添付しましたが、今度はM18形M182・M183です。何れも、幼稚園児であった息子が撮影した写真です。この時、初めて1眼レフを手渡したものと思います。
撮影の主目的は、旅客営業を終了してしまう岩手開発鉄道のディーゼルカー撮影でした。東京から豊橋の妹宅に置いてあるワゴン車を取りに行き、盛までの1往復にトライしています。僅か数カット撮影のために、6日間を要し、元旦に豊橋へ帰省する形になりました。栗原電鉄は、往復の途中で少々撮影したといった感じです。
M181に続く形で増備されたM182・M183は、元福島交通飯坂西線に投入された貫通扉付の両運転台車でした。飯坂線が昇圧されたことで、余剰となり栗原電鉄へ譲渡されています。福島交通モハ5318→栗原電鉄M182。福島交通モハ5319→栗原電鉄M183。M181とは、前歴もスタイルも全く異なる車両です。M182・M183、福島交通でも、栗原電鉄でも、あまり撮影出来なかった電車です。
写真1枚目、M183「はくちょう」。大岡〜谷地畑間にて。後方に東北新幹線が眺められました。この時、私が使用していた1眼レフ。確か寒さで電池が働かず撮影出来ませんでした。走行写真は息子の写真が残った感があります。NCNo.384−(16)・平成3〔1991〕年12月29日(12:50)撮影。
写真2枚目、栗原電鉄若柳車庫のM18形M182「くりこま」。写真右手の凸型機関車はED201。撮影後、高速道路をひたすら走行。東京へ戻って銭湯へ飛んで行った時はNHK紅白歌合戦が終る頃でした。NCNo.385−7・平成3〔1991〕年12月31日(14:30頃)撮影。
写真3枚目、1〜2枚目写真を撮影したカメラマン。私が使用していたレンズは、標準50mmと135mmの2種のみです。一寸遠目は、135mm2段重ねカメラを三脚にセット。エアーレリーズを使用して1カット撮影。50mm標準レンズを装着した2段重ねカメラは、首からぶら下げて前後を撮影したものです。エアーレリーズを上手く踏まないと、標準レンズでの撮影もタイミングを外してしまいます。4台のカメラで撮影するためには、準備に10分程は必要でした。NCNo.384−(14)・平成3〔1991〕年12月29日(12:50頃)撮影。
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栗電、母の実家の近く走ってました。懐かしいです。
母が石越駅前の金野屋旅館に居た頃、瀬川暎子の父が泊まったそうです。
2009/1/17(土) 午前 1:14
茶美様。今度は石越駅の写真でも探さないとダメですね。でも、駅前風景は撮影していないと思います。どちらかと言えば、奥地を歩きましたので…。
車で豊橋から栗原電鉄は遠かったですね。
2009/1/17(土) 午前 1:35 [ hideki_kobyakawa ]
またまた懐かしい...福島交通時代に、よく乗った車両です。
個人的には丸っとした風貌の車両のほうが好みだったのですが
なぜかこれによく当たり、毎回がっかりしてた記憶があります(笑)
普段は連結されて運用されてましたが、早朝深夜には単行でも
使えたので、重宝されてたんでしょうね。
見た目よりも出力が大きい車両で、変電所が脆弱だったくりでんでは
取り扱いに苦労した、という噂もあったように記憶しています。
2009/1/17(土) 午前 6:55 [ tomtom ]
とても幼稚園児が撮影した写真とは思えないですね。
あの錆び付いた電車の元気な姿ですね〜!
平成といえば、つい最近のように思えますが、平成生まれの子供が今年成人式ですからね。
そういえば、「栗原電鉄の遺産」の連載を終えてから若柳駅に行ってませんが、どうなっていることやら…。
2009/1/17(土) 午前 8:31
tomtom様。調べてみますと、写真の電車、福島交通時代は連結された運用が多かったようですね。軌道線の廃線から10年程経過した後、飯坂線を少々撮影する機会がありました。東北本線との平行区間で撮影した電車は単行であったと思います。もう一度、写真を眺めないことには、はっきりした事は言えませんが…。
この頃、貫通扉付の両運転台車、それ程見る機会は少なかったような気がします。日本車輌の標準型の流れであったのですかね?
2009/1/17(土) 午後 4:12 [ hideki_kobyakawa ]
アツ様。確かに貴方のブログで紹介されている車両を眺めますと、寂しい思いが致しました。やはり、電車は元気に走っている姿が良いですね。
息子も、既に成人式を済ませ、酒呑む歳になりました。1枚目の写真は覚えていないそうです。2枚目写真の記憶は、おぼろげに残っているようです。
2009/1/17(土) 午後 4:19 [ hideki_kobyakawa ]