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加越能鉄道高岡軌道線〔万葉線〕の撮影に出向き、料理旅館“鯰温泉”に宿泊した事は、前回表記したとおりです。“鯰温泉”へ宿泊予約が叶ったことで、以降は安心して万葉線を撮影しています。その際、終点の越ノ潟付近に1軒の簡易旅館を見付けましたが、時既に遅し。そこで、翌日の宿泊を“簡易旅館みゆき”に予約することにしました。
話は戻って“鯰温泉”。5月4日、“鯰温泉”を出発すると富山市五福の知人宅を訪ねています。父親の趣味仲間が原点で、その後、お互いに行き来する間柄となっていました。そのお宅へ勝手に押し掛けたのは、私が20歳の頃でした。以来、北陸地区の撮影拠点として何度もお世話になっています。この日は、実に20数年ぶりの訪問となりました。午後1時過ぎまでお邪魔して、昔同様、お宅の前を走る地鉄市内線も撮影しました。
ワゴン車で高岡駅前へ戻り、万葉線に1往復乗車してビデオ撮影。夕方6時、“簡易旅館みゆき”に到着しています。旅館の駐車場へ車を入れようとバック。松並木越しに見える“海王丸”を眺めつつ後進させたため、ワゴン車左後輪を側溝へ落としてしまいました。到着早々、旅館の奥さん、宿泊客男性2人のお手を煩わす結果となりました。ジャッキアップして後輪を浮かせ、側溝のグレーチング1枚を外して車輪下に設置。これで何とか側溝からワゴン車を出すことが出来ました。
“簡易旅館みゆき”の奥さん、「体がキツイから、晩飯は用意出来ません」との事。そこで、その後は新湊へ出向いて中華料理店で食事を済ませています。缶ビールも購入して旅館へ戻り、宿泊客の男性2人に手渡しました。当地建設作業のため宿泊している男性のようです。
宿泊に使用させて頂いた部屋は、万葉線軌道側、2階の2間〔10畳間?×2室〕でした。「他のお客がいませんから、2部屋を自由に使って下さい」と言われました。翌朝は、この2間の窓を全て開け広げて万葉線を撮影しています。越ノ潟を発車した電車を東側窓から撮影。部屋の中を駆け抜けて、西側窓から後追い撮影。越ノ潟へ向かう電車は、この逆。用意して頂いた朝食を済ませると出発しています。
その後、みゆき旅館の姫野喜美子さんからは、年賀状を頂き、しばらく年賀状を交換していましたが、何時か年賀状も届かなくなりました。当時の写真を取り込んだことで思い出が甦りました。“簡易旅館みゆき”で検索したところ、当時と電話番号が異なるものの、“簡易旅館みゆき”は健在でした。夕食も用意してくれるようです。確か、息子さんが茨城在住と姫野喜美子さんから伺いましたので、「代替わりして、息子さんが営業されているのかも?」 チャンスがあれば、また訪ねてみたいお宿です。
平成21〔2009〕年8月4日追記:8月9日、息子と一緒に宿泊予約しようと思い“簡易旅館みゆき”に電話。「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」という結果でした。つい先日まで開けていたHPも開けませんでした。
写真1枚目、越ノ潟を発車して高岡駅前へ向かう万葉線デ7060形デ7061〔既に廃車〕。“簡易旅館みゆき”さんの2階部屋東側窓から長男が撮影した写真。後方に薄っすらと立山連峰が眺められたようです。電車の屋根に搭載されているのは、Zパンタのみ。写真を眺めて初めて気付きました。NCNo.541−13・平成7〔1995〕年5月5日(7:48)撮影。
写真2枚目、越ノ潟を発車して高岡駅前へ向かうデ7070形デ7076後追いカット。“簡易旅館みゆき”さんの2階部屋西側窓から撮影。後方に見えるホームは、かつての越ノ潟口? 海王丸電停が別の場所に開業したことで使用しなくなった電停と記憶しています。NCNo.541−14・平成7〔1995〕年5月5日(8:21)撮影。
写真3枚目、“簡易旅館みゆき”さんを裏側から撮影。海王丸〜越ノ潟間。NCNo.541−34・平成7〔1995〕年5月5日(9:55)撮影。
写真4枚目、海王丸〜越ノ潟間を越ノ潟へ向うデ7070形デ7075後追いカット。“簡易旅館みゆき”さんの建物と重なってしまいました。かつては富山地鉄の路線。射水線の新港東口〜四方間と沿線風景が似ています。NCNo.541−36・平成7〔1995〕年5月5日(9:57)撮影。
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残念ですが、“簡易旅館みゆき”は破産手続きに入っています。
2010/1/15(金) 午後 4:17 [ www ]
www様。そのような状態なのですか。それは残念です。本日未明に富山から帰って来た息子と話題にしていたところです。
この次に富山へ出向く時には、是が非でも宿泊しようと思っていました。辺鄙な場所であることは間違いありませんが、穴場の宿屋さんと思っていました。旧新湊市に銭湯もみつけましたので、セットでなどと考えていました。
2010/1/15(金) 午後 5:36 [ hideki_kobyakawa ]