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昨年末、横浜での事務所忘年会終了後は、社長と京急蒲田へ戻りました。社長さんと別れると、スナック2軒を梯子。2軒目のスナック、先客さんとママさんを撮影して以降は記憶がありません。何時スナックを出て、ホテルまでどの道を歩いたものかが思い出せません。行動した概要は、所持しているミニノートに記録するのですが、ノートに残した文字は書いた本人が読めませんでした。
それでも、ホテルでの目覚めは午前7時。今回の主目的である“ひたちなか海浜鉄道”の阿字ヶ浦駅を目指します。JR蒲田駅「みどりの窓口」で蒲田−勝田間往復乗車券+指定席特急券を購入。7000円也。上野10:00発の「スーパーひたち15号」に乗車することになりました。走行シーンは数回眺めているものの乗車するのは初めてです。上野を発車すると水戸までの約1時間はノンストップ。「やはり、新しい特急車両。快適な走りっぷりだ!!」などと思いながら車窓を眺めておりました。
東京での生活は23年間。その後、当地へ戻って、そろそろ18年が経過します。品川駅の長い地下連絡通路を抜けて、品川駅港南口の客先へは何度も打ち合わせに出向きました。品川駅地下道に貼られた「スーパーひたち」デビュー直前の大きなポスターは、大層印象強いものでした。そのためか、「スーパーひたち」として活躍する651系特急電車は、今でも新車と思っています。あのポスターを眺めてから、既に21年でしたか。
写真1枚目、上野駅特急専用16番ホームに停車中の「スーパーひたち15号」。原ノ町側は4両編成で、先頭車両はクハ651−102。DNo.469−57・平成22〔2010〕年12月24日(9:37)撮影。
写真2枚目、同じく、上野駅特急専用16番ホームに停車中の「スーパーひたち15号」。LED表示の「スーパーひたち15」と「原ノ町ゆき」を交互に表示させながら走行するシーンは、ビデオカメラ向きですが、残念ながら撮影したことはありません。DNo.469−61・平成22〔2010〕年12月24日(9:44)撮影。
写真3枚目、7両+4両の11両編成最後部車両が指定席。柏通過後のクハ650−7〔1号車〕車内。DNo.469−72・平成22〔2010〕年12月24日(10:20)撮影。
写真4枚目、取手通過後のクハ650−7〔1号車〕車内。取手〜藤代間では、直流から交流に切り替わるためデッドセクションを通過します。一時、室内灯が消えた瞬間です。元旦にやって来た息子曰く、「北陸本線を走る現在の車両は、デッドセクションを通過する時、室内灯が消えない」。「フレッシュひたち」として活躍するE653系も室内灯は消えないようです。時代は様変わりしています。DNo.469−74・平成22〔2010〕年12月24日(10:27)撮影。
写真5枚目、常磐線勝田駅で下車。乗車した「スーパーひたち15号」のクハ650−7〔1号車〕を見送ります。帰りは、E653系「フレッシュひたち」に乗車出来ればと思っていましたが、結局、651系「スーパーひたち」でした。鉄道趣味誌の最新号によれば、平成24年の秋には、上野発着の常磐線は、全てがE657系特急型交直流電車に統一とあり、完成予定イラストが紹介されています。今回が最初で最後の651系「スーパーひたち」乗車になりそうです。DNo.470−6・平成22〔2010〕年12月24日(11:12)撮影。
写真6枚目、勝田駅ホーム横に留置されていたリゾートエクスプレス“ゆう”。写真手前は、クロ484−2。平成3〔1991〕年、183系電車などの改造により誕生と記されています。中間車も撮影したかったのですが、湊線の発車時刻が近付いておりましたので、先を急ぎます。DNo.470−11・平成22〔2010〕年12月24日(11:14)撮影。
写真7枚目、ひたちなか海浜鉄道の終点阿字ヶ浦まで乗車したのは、このキハ222でした。DNo.470−13・平成22〔2010〕年12月24日(11:19)撮影。
写真8枚目、元茨城交通湊線の全線に乗車して思った事。「この様な路線だったかなー?」。昔撮影した当時の思い出は何も蘇りませんでした。そこで白黒写真の取り込み。勝田駅1番ホームに到着するキハ221。写真左手貨物ヤードの奥には、貨車移動機の姿が確認できます。白黒No.799−(15)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。
写真9枚目、国鉄勝田駅2番ホームを発車した上野行DC急行ときわ?後追いカット。白黒No.800−(2)・昭和48〔1973〕年2月20日(9:15頃)撮影。
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写真3枚目と4枚目は何が違うの?と思いましたが、説明を読み、理解できました。私が福井に住んでいた30数年前には北陸本線の長浜あたりで交流・直流の切り替えのため、車内は真っ暗になったように記憶しております。ところで写真7枚目8枚目に写っている車両のフロントガラスにある丸いものは何でしょうか?路面電車にはこのような物は見たことがありません。
2011/1/21(金) 午前 7:47 [ nakama365 ]
アップ、ありがとうございます。
いろいろ変わってきてますので、ぜひ再訪を。
(吉田)
2011/1/21(金) 午前 8:56 [ ひたちなか海浜鉄道 ]
nakama365様。7枚目と8枚目写真の車両は、かつて、北海道の羽幌炭鉱鉄道を走った車両です。7枚目は現役で、8枚目のキハ221は廃車になっています。運転台の窓に備えられているのは、旋回窓だそうで、以下が説明書きです。
旋回窓(せんかいまど)は、船舶や鉄道車両などのフロントウインドシールド(主に操縦席前面窓)の表面に付着した水滴や雪などを弾き飛ばし、乗員の視界を確保するための装置。
ひたちなか海浜鉄道のキハ222は、現在、旅客扱いする車両で唯一旋回窓が備えられた車両となっています。ラッセル車には付いています。札幌市電のササラ電車にも備えられています。
2011/1/21(金) 午後 2:23 [ hideki_kobyakawa ]
ひたちなか海浜鉄道吉田様。日立電鉄、鹿島鉄道の二の舞かと案じられましたが、第三セクターで残されてやれやれです。
今回が阿字ヶ浦37年ぶりの再訪でした。白黒写真当時は、チョコレート色に白帯でした。カラースライドが取り出せるような状況にありませんので、白黒フィルムを取り込んで、追々、37年の時間差を比較してみたいと思っています。
再び訪れる時には、「スーパーひたち」の走行シーンをビデオ撮影したいです。でも、もう行けないと思っています。
2011/1/21(金) 午後 2:36 [ hideki_kobyakawa ]
ここがデットセクションだと実感する事は無くなりました。常磐線・東北線以外、箱根登山鉄道でも………。営団地下鉄銀座線や丸の内線でも、ポイントを渡るたびに車内灯が非常灯に切り替わりましたが………これも、昔話になってしまいましたね。
2011/1/21(金) 午後 6:05 [ とりぬまぐみ ]
とりぬまぐみ様。箱根登山鉄道にもデッドセクションがあったのですか、これは知りませんでした。
営団の銀座線は、確かに懐かしいです。
今になると、国鉄時代のデッドセクションは懐かしいですね。室内灯が消えると、車内がざわついたと思います。
2011/1/21(金) 午後 7:14 [ hideki_kobyakawa ]
箱根湯本駅の登山線ホームに入る手前が、デットセクションになっていたと思います。車内灯が消えたかは記憶にありません。
名鉄にも田神線から各務原線に入る手前にありましたね。一旦停車してから、渡り線を渡っていたような………。
2011/1/21(金) 午後 8:41 [ とりぬまぐみ ]
651系スーパーひたちは名車でしたね。
当時最高速度130km/hが斬新でした。
今でも、新鮮さを失っていないです。
常磐線から引退しても、どこかで別の第二の人生を歩んでほしいものです。
2011/1/21(金) 午後 10:39
とりぬまぐみ様。箱根登山と名鉄美濃町線は電圧切替のためのデッドセクションですね。
名鉄の場合は、新岐阜を発車して各務原線は1500V区間。田神で分岐後も少々1500V区間。名鉄岐阜工場手前の鉄橋の所がデッドセクションでした。惰力で走行中に電圧切替を行なったハズです。
とりぬまぐみさんは、新岐阜へ向かって走る時のことを書かれていると思います。岐阜工場横が市ノ坪電停。乗務員の交代もこの電停で行なわれたと思っています。市ノ坪電停を発車すると、直ぐの所にデッドセクションが存在しました。
犬山モノレール撮影の帰りに、各務原線電車の中から岐阜工場跡地を眺めましたが、更地の草原でした。鉄橋だけは残っていました。
2011/1/22(土) 午前 1:16 [ hideki_kobyakawa ]
とも様。来年秋に車両を置き換える理由が分からない程、651系は快適でした。流石はブルーリボン賞受賞車両と思いました。
ロングレールが多いようで、レールのジョイント音をあまり聞きませんでした。松戸や馬橋を何時通過したのか分かりませんでした。後悔しているのは、建設中東京スカイツリーを車内から撮影出来なかったことです。気付いた時は、後の祭でした。
2011/1/22(土) 午前 1:42 [ hideki_kobyakawa ]
夕方は歯科医まででかけていて不在で失礼しました。携帯も電源が切ってありました。旋回窓の説明をありがとうございました。漁船等の窓にはよく見かけます。札幌のささら電車にはこれが装備されていますね。日本で旋回窓のある車両はこれだけ!と思うとたいへん貴重な写真です。今夜は九州新幹線用の車両が陸送されるようなので、後ほど様子を見に行ってきます。S9編成2号車1号車のようです。
2011/1/24(月) 午後 11:03 [ nakama365 ]
nakama365様。豊橋鉄道O氏の紹介で、以前「大人の名古屋」のため田口線写真を提供しました。「謝礼は発生しません」という条件でした。
先日、鉄道週刊誌を編集している方から電話を貰いました。これもO氏の紹介だそうです。今回は少々条件が異なるようです。「大人の名古屋」の時は、白黒写真として掲載されましたので、今度は何とかカラーで採用して貰える様、昨日電話したばかりです。5月10日発売まで決まっているようです。既存のローカル民鉄・公営鉄道が対象のようですから、福島交通軌道線をアピールしておきました。
昨日の中日新聞夕刊に名古屋吹上ホール?でフリマがあるようで、広告が出ていましたね。おの中にも豊橋鉄道市内線と明知鉄道の運転体験が掲載されていましたね。
2011/1/25(火) 午前 1:00 [ hideki_kobyakawa ]
ひたちなか海浜鉄道は地震の被害を受けたようです。明日、19日からバスによる代行運転をすると………。
2011/3/18(金) 午後 10:31 [ とりぬまぐみ ]
とりぬまぐみ様。全てが最悪の大惨事に関しては言葉もありません。常時自宅引篭りですから、地震発生以降のNHKテレビニュースは、あらかたブルーレイのレコーダーへ録画しながら眺めています。
鹿島臨海鉄道の線路脇道路には亀裂が走っていました。大洗も津波の被害があるようです。でも、この辺りはテレビで紹介されることは少ないです。
勝田駅今昔で更新することも考えていましたが、自粛することにしました。ひたちなか海浜鉄道は、昨年、阿字ヶ浦から殿山まで歩いて、地形は再確認していますので、この先が案じられます。
岩手開発鉄道、とりぬまぐみさんがブログで載せた2枚窓切妻DC写真撮影場所は、採石場に近い場所ですよね。でも、大船渡も大津波被害が甚大ですから、湾に近いセメント工場、ヤードのあった盛駅は津波の被害を被っているものと思われます。ですから、岩手開発鉄道は既に波にさらわれてしまった鉄道と思っています。
三陸鉄道は、高千穂鉄道に同じでは?。
2011/3/19(土) 午前 2:09 [ hideki_kobyakawa ]
ここ東京でも、あれだけ揺れたのですから、………。地震から一週間たっても、余震と思われるちいさな揺れを感じます。今日は停電がないとの事で、ほっとしています。
思い出しました。そう、盛駅は川沿いにありました。川を渡ってセメント工場から帰ってくるホキを撮っています。
2011/3/19(土) 午後 2:11 [ とりぬまぐみ ]
とりぬまぐみ様。今までの日本の歴史を大きく変えてしまった大震災ですね。日本のこの先、全く読めません。
周遊券で東北を巡った昭和44年、盛駅周辺を少々撮影してあります。地震の被害で廃線になった南部鉄道の譲受車を車庫で撮影してあります。正面2枚窓の切妻DCは、当時はまだ新車であったと記憶しています。盛を発車して盛川のコンクリート橋梁を渡るシーンを後追いで撮影したはずです。
20年程前、子供達を連れてワゴン車で出向いた時には、盛川の築堤道路へ車を留めて、貨物列車2本を撮影したものと思います。盛〜セメント工場間の長いコンクリート橋梁を走行するシーンでした。この時、ワゴン車内でお湯を沸かしてカップラーメンを食していますので、こちらの思い出の方が強いです。フィルムとは別に、Hi8ビデオ撮影もしています。ビデオ撮影はカミサンに任せていました。
2ヵ所の橋梁、「形をとどめているかなー?」と思っています。
岩手開発は、この2回撮影したのみです。
2011/3/19(土) 午後 6:20 [ hideki_kobyakawa ]