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ウイークディの午後2時5分から、NHKのテレビ番組“お元気ですか日本列島”が始まります。仕事のため職場へ行き来される方々は、あまり眺めることのない番組と思います。金曜日を覗く毎日、この番組の終盤には、“ことばおじさんの気になることば”コーナーが設けられ、梅津正樹アナウンサーが登場します。視聴者から寄せられた疑問を抱く言葉の中から、ある言葉を選択して梅津アナウンサーが解説してくれます。
作図依頼がソコソコあった、随分以前のことです。ラジオ代わりにテレビを付けていて、つい見入ってしまった事がありました。「電車の横に書かれたクモハとは何?」といった視聴者の質問であったと思います。説明を聞いて、「あれー、そうなんだー!!」。
「クモハの意味分かる」と数人に質問。若い知人は、モが電動車であること以外、ク・ハに関しては知らないそうです。そこで彼に説明しました。「クは制御車のことで運転台の付いた車両。ハはイロハのハで3等車の意味。イが1等車、ロは2等車。3等車が無くなってしまったから、現在は普通車がハで、グリーン車がロ。昔はマイテといった1等展望車も存在したのですよ」。
番組を眺めていただけですから、梅津アナウンサーの説明全てを覚えている訳ではありません。上記の様な説明もあったものと思います。意外であったのは、「制御車が何故、クなのか」という事です。「車両メーカー等に聞いてみましたが、はっきりしたことは分かりません」と前置きした後、「モーター付車両の前にくっ付けることから、クになったようです。車両と車両の間に差し込むから、サ」といった説明であったと思います。
国鉄飯田線を走った電車の中には、クモハユニなどと表記された車両も実在しました。形式表記にクモハを使用したのは、基本的には国鉄電車であったと思います。
熊本電鉄北熊本車庫で撮影したモハ72白黒写真を取り込む際、一緒に取り込んだのが今回の写真です。撮影したことすら覚えていません。今になって、「これは何なの!!」と見入ってしまいました。架線を点検するための車両と思います。理解出来ないのは、「どの様な経緯で、このスタイルになったのか?」という点です。
写真1枚目、熊本電鉄北熊本車庫側線に留置されていた“コ1”。写真右手が当時の終点であった菊池方面です。白黒No.1793−(11)・昭和55〔1980〕年10月12日(11:10頃)撮影。
写真2枚目、熊本電鉄“コ1”、菊池側正面。白黒No.1793−(12)・昭和55〔1980〕年10月12日(11:10頃)撮影。
写真3枚目、1枚目写真の“コ1”、反対側面を写しています。ボディー上部に形鋼アングルを巻いて補強し、アングル上に足を立てて屋上ステージが備えられています。妻面に取り付けられたタラップ、1段目はやや高い位置です。この梯子で屋上へ上がり、架線の点検等に使用されたものと推測しています。架線柱に渡されたビームの一部は、ホームセンターで売っているような木製角材で、車庫構内のビームは途中で継ぎ足されていますので、ビームの釘打ち作業に使用されたのかも知れません。近年発売された鉄道ピクトリアル誌に熊本電鉄が紹介されていましたが、現在でも木材ビームが使用されているようです。連結器と、連結器写真右斜め上に「工作車」と表記されています。白黒No.1793−(13)・昭和55〔1980〕年10月12日(11:10頃)撮影。
写真4枚目、ヘッドライトが備えられた“コ1”菊池側を部分撮影。「ひょっとしたら、これは制御車?」。妻面に出ているのは、手動ブレーキのロッドのようですからマスコンが載っている気配は感じ取りません。ヘッドライトのON−OFFスイッチは、オープンデッキの木製仕切り壁上部に備えられています。車検有効期限は55−7。このまま廃車になったものと思われます。白黒No.1793−(15)・昭和55〔1980〕年10月12日(11:10頃)撮影。
写真5枚目、上熊本側〔藤崎宮前側〕の妻面にもヘッドライトが備えられていますが、オープンデッキは塞がれた状態です。こちら側には梯子がありません。しかも妻面1枚窓には×状に板が打ち付けられています。白黒No.1793−(16)・昭和55〔1980〕年10月12日(11:10頃)撮影。
写真6枚目、上熊本駅で撮影した“ヤ1”。国鉄の有蓋貨車はワ、無蓋車はト。熊本電鉄の有蓋車はヤで、無蓋車はムでした。「屋根のある貨車がヤ?」。車体の幅は、アーチバータイプ台車の最大幅にほぼ同じです。白黒No.211−11(11)・昭和45〔1970〕年8月17日(9:50)撮影。
写真7枚目、鉄道ピクトリアル誌、昭和37〔1962〕年9月号〔No.136〕に掲載されたグラフ1頁下半分の写真です。「私鉄車両めぐり 熊本電鉄」として谷口良忠氏が執筆されています。写真右下は、昭和33〔1958〕年2月9日に、北川亮三氏が宮園車庫で撮影された“コハ32”。“コハ32”の成れの果てが、“コ1”では?と思えるのですが……。
客車不足を打開するために、有蓋貨車を改造した客車で、昭和24年4月竣工。客車当時は、車体は木製、丸屋根、端面非貫通切妻形で、窓配列はD8D(Dは引き戸、窓は1枚下降式)、車室は間仕切りで区画し、板張ラック仕上、一端に手制装置、台車はオリジナルのアーチバータイプ(1473mm)のものを備えていたと表記されています。
貨車を改造して客車に変身。その客車の側窓を鉄板で塞ぎ、再び貨車に戻す。更に手が加えられ、工作車“コ1”が誕生と勝手な解釈をしておりますが、真実は定かではありません。
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架線の保守・点検のための車両なのに『コ』というのは………謎ですね。架線保守用車両は太平洋炭鉱の専用線で見ましたが、………。保守作業が昼間から夜間に行われるようになったため、見る機会が無くなったのでしょうか。日立電鉄では電車の屋根に足場を作って架線保守に使っていました。作業用車の多くはトラックに代わってしまったようですね。
2011/1/28(金) 午前 11:48 [ とりぬまぐみ ]
とりぬまぐみ様。お待ちしておりました。貴方にお聞きしたかったのが、この車両なのです。理解不能のため、ブログに載せるのは暫らく躊躇っていました。
不可解なのは、ヘッドライトが備えられているところです。そこで質問なのですが、ジャンパー栓を接続することで電源も供給出来ますか?。
夜間の点検作業の時には、電車に押されて走行するものと思っています。その時にヘッドライトを使用?。その時は係員がデッキに立って、ランプで後部の電車運転士に合図を送れば可能ですかね。これが制御車とは思えません。反対側のヘッドライトは、更に理解出来ません。
コハの流れで“コ”になったものか、工作車で“コ”になったものかも理解出来ません。古いピクトリアル誌には、2軸の電車の屋根にステージを設けた点検車両が掲載されています。コ1は、その後に誕生しているようです。
2011/1/28(金) 午後 3:54 [ hideki_kobyakawa ]
見れば見るほど不思議な車ですね。ジャンバ栓が見当たらないので、制御車でない事は確かだと思います。ヘッドライトというより作業灯だったのでは………点灯させるためにバッテリーか発電機を積んでいたのでは………。電動車を切り離して双方の車の間で作業すれば、反対側のライトも活用できるのでは………。
どんな使い方をしていたか想像するのも楽しいですね。
2011/1/29(土) 午後 2:48 [ とりぬまぐみ ]
とりぬまぐみ様。貴方でも解析不可能ですか。
私も「発電機を載せていたのかな?」とは思いました。ヘッドライトを備えているものの、上熊本側のオープンデッキを塞いだ理由が分かりません。もし、この車両が元コハ32としたら、腰板中央を切断して、そこに鉄製扉を増設。切り取った板でオープンデッキ下半分を塞いだ感じです。上部は鉄板を使用して塞がれています。
電動車を切り放して、双方のヘッドライトを灯すという発想は思い付きませんでした。電車に牽引されて点検現場へ向ったと考えるのが妥当でしょうね。列車交換可能駅まで移動すれば、機回しは可能になりますから。
2011/1/29(土) 午後 5:50 [ hideki_kobyakawa ]