平成23〔2011〕年6月20日、消滅した客先会社OB会へ出席するため、箱根登山鉄道大平台駅を目指した当時の続編です。ブログ上で年内に大平台駅へ到着出来るものかは確信持てません。
若い頃、登山電車が急勾配区間を上り下りするシーンを撮影しようと思い立ち、箱根湯本駅から1号線を強羅方面へ歩いて撮影可能な場所を探してみました。結果は、ありませんでした。別の日に彫刻の森駅付近の道路沿い区間で少々撮影した記憶が残る程度です。「箱根登山鉄道もヨーロッパの登山鉄道同様に車窓から大パノラマが楽しめる鉄道であったならば‥」と思ったものです。結局、箱根登山鉄道の車両を撮影するのであれば、箱根湯本駅の小田原寄りになってしまいます。現在、小田原〜箱根湯本間を箱根登山鉄道車両が営業運転されませんので、登山電車を外から撮影可能な場所は、箱根湯本〜強羅間の駅構内か踏切程度ですね。
80‰の急勾配に挑む登山電車はビデオカメラならば撮影可能と思っておりますが、車内が混雑して運転台後が確保出来なければ撮影は出来ません。側窓から木立が後方へ走り去るシーンを撮影しても仕方ありません。今回はベストポジションを確保しました。デジカメ使用で、ビデオカメラに近い光景が記録出来たものと思っております。
写真1枚目、箱根湯本駅で撮影した1002号と108号。1002号は山を下って来た編成で、早速、前面下部のタンクに水を補充しているところです。乗車するのは写真右手の108号。7DNo.31−66・以下全て、平成23〔2011〕年6月20日撮影(16:21)。
写真2枚目、1枚目写真撮影場所で振り返ってパチリ。箱根湯本を発車した強羅行電車は、即、80‰急勾配に挑むことになります。7DNo.31−69・16:21撮影。
写真3枚目、108号のロングシート最前部を確保。仲間さんに以前指摘された補助ブレーキの大きなハンドルをまず撮影。現在では中々お目に掛かれる代物ではありません。7DNo.31−72・16:24撮影。
写真4枚目、箱根湯本〜塔ノ沢間の地蔵山隧道内から次のトンネル〔隧道名称は記録出来ませんでした〕を撮影。7DNo.31−78・16:27撮影。
写真5枚目、箱根湯本を発車して塔ノ沢駅到着間近。箱根登山鉄道でなければ撮影出来ない光景です。「フィルムカメラでは撮影出来ず。デジカメ使用でやっと撮影が叶った」。7DNo.31−79・16:28撮影。
写真6枚目、塔ノ沢駅では1003他編成が列車交換待ち。7DNo.31−80・16:28撮影。
写真7枚目、塔ノ沢駅を発車して再び急勾配を上り、出山信号所を目指します。杉山隧道内から撮影した早川橋梁。7DNo.31−87・16:30撮影。
写真8枚目、杉山隧道を抜けると直ぐに早川橋梁。早川橋梁を渡ると、再びトンネルに突入。こちらのトンネル入口表記は「出山隧道東口」となっておりました。7DNo.31−89・16:31撮影。
写真9枚目、「出山隧道東口」と表記されたトンネルを抜けると、更に杉山隧道を抜けます。最初のスイッチバック出山信号所到着間近です。スイッチバックした後は、写真右手の勾配を上って行きますので、出山信号所発車以降は大平台到着まで後方を眺めながら乗車することになります。7DNo.31−93・16:32撮影。
写真10枚目、出山信号所に到着した108号車内から、先程渡った早川橋梁を撮影。僅かの距離を走行する間に随分高度を上げました。この間に電車は180度近く方向転換した感じです。7DNo.31−97・16:33撮影。
写真11枚目、列車交換のため、出山信号所に進入する107号他。側窓を目一杯開けて108号車内から撮影。補助ブレーキを拝めるのみならず、この様な事が可能なのは古い電車ならではです。乗車した108号と写真の107号では塗色方法が少々異なっています。7DNo.31−99・16:36撮影。
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お早うございます。私はその9日前に娘の結婚式で箱根を訪れました。鉄道は湯本‐小田原を往復しただけで後はレンタカーでの移動となったので登山鉄道は乗らずじまいで残念な思いをしました。沿線にアジサイが咲いてますが、その頃はアジサイ電車をPRしてた記憶があります。
2011/11/1(火) 午前 6:00
昔、一回乗ってます。懐かしいです。近くにありながら運賃が高過ぎてなかなか乗れません。
友達と行く場合はこの沿線は車で行く方が速くて近いので。 ( ^∇^)
2011/11/1(火) 午前 6:42
あ、ホントだ、107と108で塗り分けが違っていますね♪
昔、外観上にこういう大雑把というかチャランポランというか、無秩序さがチラチラ見えるところが私鉄の車両にいまひとつのめり込めない理由でしたが、いまや旧官鉄(笑)がその最たる存在になってしまいました。御贔屓の筈の仙台市交通局でも、同じモハ100なのに101-102,105は海自の哨戒機のような濃緑色で103-104は陸自のトラックのような草色、てんで統一性がなく『手近にあったペンキで間に合わせたんじゃねーのか?』なんて勘ぐったものでした(苦笑)
善意に解釈すればおおらか、その逆だと野放図、ってことなんでしょうか。塗装なんて実害ありませんからどうだっていいといえばどうだっていいのでしょうけど、でも、その事業所の【制服】ですもんねぇ…(再び苦笑)
2011/11/1(火) 午後 0:44
のりだー様。お久しぶりです。
6月20日、小田原駅で700系新幹線から下車。この700系を追い抜いていったのが300系でした。先日、二川西の跨線橋で300系を少々待ってみましたが、来ませんでした。300系は現在、1日に3本のみのようです。激減してしまった感じです。例のマンション屋上から、もう少々撮影しておけば良かったです。
娘さんがいらっしゃったのですか。しかもご結婚とはおめでとうございます。式場は老舗ホテルであったのでしょうか?。
当時は確かに紫陽花が旬でしたが、現在は紅葉シーズンなのでしょうか。ブログでOB会場へ到着する頃、箱根は雪化粧しているかも知れません。
2011/11/1(火) 午後 2:04 [ hideki_kobyakawa ]
茶美様。言われてみれば確かに。
ご自宅は箱根登山道の三島側上り口に近い所ですから、わざわざ三島駅まで出向いて小田原から箱根へ上ること自体意味がありませんね。
カミさんとのデートコースで箱根を選んだこともありましたし、子ども達と一緒にケーブルカー・ロープウェイに乗車したこともありました。そこそこ登山鉄道は利用していますが、今まで車内から前面光景を写すことは中々出来ませんでした。
2011/11/1(火) 午後 2:33 [ hideki_kobyakawa ]
まつしま様。箱根登山の旧型電車は、時々、塗色を変更しましたが、結局、この塗装に戻されました。昔から馴染みの塗り分けです。ペーパー製自作HOモデルは、107号の塗り分け。真鍮製キットを組み上げた車両は富山地方鉄道の塗装にしてあります。
ラッピングでベタベタの電車・バスに比較したら、箱根登山鉄道の塗色は落ち着いた感じがしますね。
2011/11/1(火) 午後 2:48 [ hideki_kobyakawa ]
五十鈴拓磨・父です。まつしま様も来られてたんですか……知らなかった。さて、箱根登山鉄道は、私の故郷、神奈川県の鉄道ですが、あまり縁はなく、故郷を離れてからはいちども乗った事が無いので、まだ100番台の車が居たのは感激です。
小田原〜箱根湯本は、路線は箱根登山なのに、走る車は全部小田急になってしまったようで、小田原で箱根登山の電車を見ることが出来ません。
撮影対象として、あまりスカーッと開けたところはなく、やっぱり「天下の険」の電車ですよ。ここは。
2011/11/1(火) 午後 10:15 [ 五十鈴 拓磨 ]
五十鈴拓磨氏のお父上殿。まつしまさんとは、?年程のお付き合いといったところでしょうか。ご本人は直接存じませんが、仙台、福島の路面電車が登場しましたので、少々コメントしたのがスタートであったと思います。
30年間、名古屋在住と拝読しましたが、現在は高崎線沿線がお住まいなのでしょうか?。
昔は国鉄小田原ホームに立っていれば、箱根登山、小田急の電機・荷電なども撮影可能でした。やはり、あの頃が懐かしいです。
私は車両を撮影するというより、路線として撮影を目指しています。箱根登山鉄道は、全線全区間を撮影出来る路線ではありません。
国鉄→JRは距離が長いこともあり、あまり撮影の対象とはしませんでした。地元の飯田線などは乗車することもないですね。これが開業当時の民鉄のままであれば、4社線の全線全区間の撮影を目指したかも知れませんね。
ハーフ判カメラでカラー撮影した箱根登山の貨物電車〔単車〕の写真をもう一度眺めてみたいですね。江ノ電の極楽寺車庫にいた貨物電車より、はるかに大雑把な車両でしたね。
2011/11/2(水) 午前 3:20 [ hideki_kobyakawa ]
五十鈴拓磨・父、ご返信ありがとうございました。
名古屋に居たのは昭和55年4月から昭和59年2月までの4年弱、以後各地を放浪(使い物にならずタライまわし)し、高崎線の北上尾に居を構えて8年が過ぎました。
箱根登山の貨物電車、というのが、私の見た物と同じものなのかどうか、風祭の車庫で写したものがありますので、いずれお目にかけます。
2011/11/2(水) 午前 8:56 [ 五十鈴 拓磨 ]
五十鈴拓磨氏のお父上殿。昨日は息子と出掛けてしまいました。
江ノ電を撮影された当時の写真を拝見して、想像していた以上に年齢が近いと思いました。江ノ電に引き取られた元山梨交通車両の2扉時代を極楽寺車庫で撮影されていますね。
江ノ電の貨物電車も単車であったと思います。でも運転室は備えられていました。箱根登山鉄道の車両は、マスコンの前に風除けの板があったのみと思います。屋根はありませんでした。集電装置は1本ポールでした。荷台中央に太めの支柱を立てて、その上にポールが載っていた車両であったと思います。ハンドブレーキで、良くあの勾配を上り下りしたものだと思ったものです。細かい所までは忘れてしまいました。入生田車庫で撮影したと思います。現在では、発表されることがありませんので、是非、眺めてみたいものです。
ボギー車の貨物電車も存在し、晩年は強羅駅側線に留置されていました。その後は知りません。
2011/11/3(木) 午前 1:22 [ hideki_kobyakawa ]