連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

万葉線、簡易旅館みゆき

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 ある方のブログを拝見しましたところ、懐かしい電気機関車の写真が掲載されています。それならばと思って取り込んだのが今回の白黒写真です。今になって考えると、「この電気機関車は何をしていた?」。
 
 ウィキペディアによれば、『庄川水力電気庄水3号形電気機関車は、電力会社の庄川水力電気により、専用鉄道での資材輸送列車牽引用に製造された電気機関車である。庄川水系の小牧ダム建設工事に伴い、1925年に製造され、工事資材輸送に充当された。ダム工事の終了後は、順次北陸地方の各私鉄へ譲渡されて後年まで長く使用されたことと、凸型車体前後のボンネット中央部に通路を設けた独特の車体形状で世に知られる。』と表記されています。4両製造され、内1両が加越能鉄道の電気機関車として廃車になったようです。
 機関車誕生の経緯は、現在活躍中の岳南鉄道ED402403と似た感じです。でも今春には、岳南鉄道の貨物列車は運転を終了してしまいます。十和田観光電鉄も廃線。ローカル私鉄で活躍する電気機関車の台数は如何程になりますかね?。
 
 鉄道ピクトリアル誌通巻223号<昭和441969〕年4月臨時増刊・全日本路面電車現勢>を開いてみました。加越能鉄道軌道線デキ6501に関しては、「新湊港線・新湊〔現:六渡寺〕−越ノ潟間は、貨物輸送も行なっているので、駅舎がある」と表記されています。更に、車両の現勢として「鉄道線の貨物輸送用として、6500形式6501なるBB凸型の電機があるが、米島口の基地へは入ってこない」とも記されています。路面電車の特集のためかデキ6501の写真は掲載されておりません。
 
 初めて加越能鉄道高岡軌道線を訪ねた折、新湊〔現:六渡寺〕留置のデキ6501を撮影しましたが、その次訪ねた時には、デキ6501の姿はありませんでした。誠に摩訶不思議な加越能の電機でした。製造直後は庄川上流で活躍し、晩年は庄川河口付近で活躍して生涯を閉じたようです。
 
平成25〔2013〕年6月11日〔火〕追記:ある方のHPを拝見したところ、米島口車庫に留置されたデキ6501の写真を見付けました。納得し難いP誌の記述でしたが、やはり検査時には、米島口車庫へ入場したものと思われます。1〜2枚目写真の単線併用軌道上を特異な凸型電機がゴロゴロと走行したことになります。
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、万葉線、中伏木〜新吉久間を走行するMLRV1006−AB越ノ潟行後部。息子に運転を任せ、「電車の後を付いて行って…」と話し、ワゴン車の中から撮影したカットです。D100No.288150・平成212009〕年810日(1409)撮影。
 
イメージ 2
 
 写真2枚目、1枚目写真から少々走った所。万葉線、中伏木〜新吉久間を走行するMLRV1006−AB越ノ潟行後部。単線併用軌道区間が終了する場所です。この先、終点の越ノ潟までは専用軌道を走行することになります。左にカーブして専用軌道へ進入すると、次は右方向にカーブします。昔、このS字区間を走行し終えると、軌道線レールは新湊〔現:六渡寺〕まで貨物線と平行する区間でした。D100No.288153・平成212009〕年810日(1409)撮影。
 
イメージ 3
 写真3枚目、六渡寺〔旧:新湊〕で列車交換するMLRV1006−AB越ノ潟行とMLRV1004−AB高岡駅前行。六渡寺を発車したMLRV1006−AB越ノ潟行は、右方向にカーブした後、勾配を駆け上がり長い鉄橋で庄川を越えて行きます。六渡寺停車中MLRV1006−AB越ノ潟行の写真奥に側線が存在し、そこに留置されていたのが次の白黒写真です。D100No.288220・平成212009〕年810日(1542)撮影。
 
イメージ 4
 写真4枚目、加越能鉄道高岡軌道線の新湊〔現:六渡寺〕に留置されていた凸型電機デキ6501。白黒No.428442)・昭和461971〕年53撮影。
 
イメージ 5
 写真5枚目、135mmの望遠レンズで撮影した新湊〔現:六渡寺〕留置のデキ6501。堤防道路辺りから撮影したものと思います。写真左手、フェンスで仕切られた工場内へも貨物線が延びていました。写真右手は貨物線ヤードでした。このヤードから分岐して、更に港の埠頭へ延びる貨物線も存在。八島倉庫横の廃線跡は、「高岡のDL貨物」で紹介済です。貨物ヤードへ到着した貨車の一部を越ノ潟まで牽引する役目を凸型電機が担っていたものと想像しています。臨時増刊P誌の「BB凸型の電機があるが、米島口の基地へは入ってこない」の表記、「車両検査は、何処で実施された?」。米島口車庫へ向うのであれば、デキ650112枚目写真の併用軌道を走行することになります。中伏木電停付近には貨物専用線の車庫も存在し、専用線DLの写真も撮影してありました。これら写真を取り込まないと、当時の状況は見えてきません。「デキ6501の検査を貨物専用線車庫で行なうかなー????」。白黒No.427−(41)・昭和461971〕年53撮影。
 
イメージ 6
 写真6枚目、万葉線庄川口〜六渡寺間の庄川橋梁を走行するMLRV1004−AB越ノ潟行。六渡寺〔旧:新湊〕電停は写真右端辺りです。凸型電機デキ6501が数両の貨車を牽引して、この鉄橋を行き来したものと思います。デキ6501を撮影して暫らくすると、庄川橋梁の一部は水害により流されてしまいました。新湊〜越ノ潟間は廃線の危機を迎えることになります。デキ6501は活躍の場を失ってしまったため廃車になってしまったのでは…?。D100No.288191・平成212009〕年810日(1513)撮影。
 
イメージ 7
 写真7枚目、万葉線越ノ潟終点の7073号。凸型電機デキ6501が越ノ潟まで貨車を牽引したのであれば、越ノ潟には機回し線が存在したものと思われます。使用されず撤去された線路を眺めてもデキ6501が、やって来たであろう当時の光景はイメージ出来ません。D100No.288243・平成212009〕年810日(1629)撮影。

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いつ更新されるのか?待っておりました。7日は消防出初め式がありましたが、行ったのでしょうか?この日私はDYが今年初めて走るとの事で米原駅まで行きましたが、DYが米原駅通過時は上り線・下り線共に停車車両があり、アウトでした。一枚目の写真の万葉線よいですねえー。私は未だに万葉線は撮影した事がありません。乗った事もありません。新幹線が有る熊本や鹿児島のほうが私には近く思えてしまいます。

2012/1/9(月) 午前 6:14 [ nakama365 ]

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ここの電車はよく乗りました。今はライトレールですが
以前は古い形の車両でした。懐かしいです。

2012/1/9(月) 午前 9:55 [ harborlight ]

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おおっ! ピクトリアル誌の写真ではみることができなかった角度からバッチリ写っている1枚、見せて頂くことができてすごく嬉しいです!

2012/1/9(月) 午後 1:15 まつしま

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nakama365様。今年も宜しくお願い致します。
7日はDY追い掛け、わざわざ米原でしたか。しかもアウトとは、ご苦労様でした。Tさんは渥美線「なのはな」を撮影していたようです。新聞記事を見て初めて気付きました。私は豊橋公園の出初式へ出向きました。自宅へ戻ろうと思った時、「おでんしゃ」がやって来ましたので、更に追い掛ける結果となってしまいました。風邪を悪化させてしまいました。

1〜2枚目写真の後方側に仲間氏曰く「危険電停」が存在します。新吉久電停は、交換可能な危険電停ですね。
NHKの「金トク・豊橋・高岡・福井」路面電車映像を覚えていますか。鉄橋を潜る時、頭を低くしなければならない箇所は、6枚目写真の右端です。

2012/1/9(月) 午後 3:24 [ hideki_kobyakawa ]

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harborlight様。コメントありがとうございます。よく乗車されたのは、万葉線でなく加越能高岡軌道時代と想像致します。
この路線は沿線風景が変化に富んでいますので、好きな路線です。初めて訪ねた時には、伏木への路線もありましたが、越ノ潟同様、伏木も撮影出来ませんでした。今でも後悔しています。
高岡駅前が単線で、途中区間が複線。しかも、専用線との平面交差が2ヵ所ありました。当時の新湊〔現:六渡寺〕は貨物ヤードを斜めに横切るような路線配置でした。

2012/1/9(月) 午後 3:53 [ hideki_kobyakawa ]

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まつしま様。本年も宜しくお願い致します。
白黒写真で6カット撮影してありましたが、3カットは現像をミスりまして使い物になりません。「カラーが何枚撮影してあるか?」ですね。
このELは黒塗りでした。横から眺めると凸型機関車ですが、正面から眺めると凸凹機関車ですね。珍しいタイプであったと思います。富山地鉄でも撮影したと思いますが、はっきり覚えていません。京福福井は撮影していません。

2012/1/9(月) 午後 4:10 [ hideki_kobyakawa ]

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hideki_kobyakawa様:

まさに!おっしゃるように凸凹機関車ですね♪

というか、こんな妙な姿カタチの機関車は(私の知識が浅薄なせいもありますが)他所では見聞した記憶がありません。

蒸機だと、その歴史的な背景から、見た途端に腰を抜かしたり顎を外したりししそうな変テコリンな機関車がモゾモゾしている感じがしていますが、電機は工業化と規格化の時代を忠実に体現しているような印象が強いように思われ、この手の『え゛っ!?なにそれ??』みたいな外観というのは本当に珍しい存在ではないかと思っております♪

また、こちらに初めてお邪魔した北九州市営の電機をピクトリアル誌で再確認し、こちらで拝見した写真の方によりドキドキさせられたことを思い出して、これまた嬉しさを再確認しました!

2012/1/9(月) 午後 10:10 まつしま

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まつしま様。この手のスタイルの電機は他では見ませんでしたね。細かい汚れや擦り傷がありましたので、それなりに処理しています。画像を拡大して処理するのですが、所々気になる箇所もありました。
その1つはタイフォンの向きです。屋根のカーブに沿った形で取り付けられています。雪を考えた結果なのでしょうかね?。

若松市営の電機の特徴は救助網が備えられていた点です。京都市電創業当時、先走り少年が転倒した時、運転士が咄嗟の判断で網を倒して少年をすくいあげるのが救助網取り付け理由であったハズです。若松の路面電機救助網、あれも1つの時代でしたね。

2012/1/10(火) 午前 2:32 [ hideki_kobyakawa ]

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これはまた味のある機関車ですね。
貫通扉のための通路なのでしょうか?

忘れかけた感覚がよみがえる気持ちになりました。

今年もよろしくお願いします。

2012/1/12(木) 午後 9:17 [ きょーいち ]

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きょーいち様。お久しぶりです。こちらこそ宜しくお願い致します。

ご指摘の点は、気になっていました。再度、正面を撮影した現像ミス白黒ネガを確認してみました。当時はベルト現像したものと思います。乳剤面と光沢面が接触していたようで、接触面に現像液が回らない状態で仕上がってしまいました。全てが見えない訳ではありません。

貫通扉は無いですね。凹んだ箇所は、ボンネットの点検通路になっているだけのようです。運転室への出入りは側面の扉を使用するものと思います。

2012/1/13(金) 午前 0:40 [ hideki_kobyakawa ]

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親父の方です。出張から一時帰宅して、ブログ拝見しました。以前書かれていたのはこのことですね。
出張から本格的に解消されたら、富山地鉄の同形機も掲載します。
まあ、4月ころには、落ち着いていると思います。

2012/2/5(日) 午後 7:26 [ 五十鈴 拓磨 ]

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五十鈴 拓磨氏のお父上殿。出張中のようで、お疲れ様です。貴方の写真を拝見した結果、白黒ネガを取り込んでみました。記事の整理が難しく、現在も理解出来ておりません。

庄川橋梁流失時の写真、眺めることがありませんでしたので、貴重な写真と思います。もっと長い区間が流出してしまったものと思っておりました。あの写真を撮影された時点では、デキ6501は健在であったと想像しています。眺めた記憶はありませんか?。ただ、庄川橋梁流出時に、新湊〔現:六渡寺〕へ留め置かれていた保証もありません。

謎満載の電機ですね。

2012/2/6(月) 午前 2:48 [ hideki_kobyakawa ]

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再び親父の方です。残念ながら、この機関車を見た記憶がありません。まだフェリーを介して富山地鉄の射水線と繋がっていたころで、フェリーの時間があって、そそくさと乗り換えてしまったためか、あまり新湊で物を眺めておりません。

2012/2/6(月) 午後 9:56 [ 五十鈴 拓磨 ]

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五十鈴 拓磨氏のお父上殿。デキ6501を眺めたことはありませんでしたか。私もこの写真を撮影した時に眺めただけです。

富山県営のフェリーなのですが、港を跨ぐ道路が完成すると運航廃止になるそうです。越ノ潟〔写真後方にフェリー写っています〕を撮影した平成21〔2009〕年8月10日、フェリー職員さんが、「3年後、道路橋が完成したら廃止になる。橋を眺めるのにフェリー残せばいい」などと話していました。今年、港を跨ぐ道路橋は完成することになりますから、フェリーの今後も気になっいます。

2012/2/7(火) 午前 2:14 [ hideki_kobyakawa ]

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デキ6501懐かしいですね。子供の頃貨車を牽いて走ってたのを思い出します。因みにデキ6501は越ノ潟には来てません。東新湊駅に隣接する日本高周波鋼業への貨車を東新湊まで牽いて走ってました。東新港駅から専用線が分岐してました。最近まで万葉線で働いていた年配の運転士さんが若い頃運転してたと言っておられました。

2013/9/13(金) 午後 10:45 [ tatsuo ]

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tatsuo様。貴重なお話をありがとうございます。

デキ6501を撮影した白黒フィルムは現像をミスってしまいまして3カット程が見られる状態でした。カラーでも同時撮影していますので、カラースライドを確認すれば、もう少々別角度が確認出来ると思っているのですが、簡単に取り出せる状態ではありません。

加越線共々、加越能鉄道は頭が痛いですね。調べようと思ってウィキペディアを開くのですが、知りたい事に関して記述がありません。このデキ6501に関しても同じでした。出典があってのウィキペディアですから、趣味誌に記述がなければ、ウィキペディアにも記述は無いですね。

加越線と軌道線写真を掲載する予定でいるのですが、今頃になって当時の事を調べるのは辛いです。分からない事の方が多過ぎます。当時は何も考えずに撮影しただけで、しかも1回ぽっきりでしたから。

お気付きの事がありましたら、また是非教えて下さい。

2013/9/14(土) 午前 0:57 [ hideki_kobyakawa ]

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中新湊駅にも貨車がいました。現在でも構内に側線の跡が残ってます。
貨物用のホームもありました。越ノ潟寄りにレールが、高岡寄りの踏切手前に分岐跡が残ってます。又現在の駅へ行く歩道に沿って踏切までの間に短い側線がありました。東新湊駅構内にも側線跡が残ってます。踏切の中新湊寄りすぐの所とホームから越ノ潟寄りに少しいった所に分岐の枕木跡があります。越ノ潟駅手前にも側線跡がありますがこれはさすがにわかりません。昔砂利用の側線があったと聞いたこともありますが。分断前の射水線時代の話でしょうか。

2013/9/14(土) 午前 8:01 [ tatsuo ]

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tatsuo様。早々に再度のコメントありがとうございます。

初めて高岡軌道線を歩いた時、高岡駅前から庄川鉄橋の先まで歩いています。写真のデキだけは、先にスキャンしたのですが、デキの写真だけでは当時の状況が見えません。それで撮影順に取り込もうと思っているのですが、米島口の先まででストップしたままです。

ネガだけは眺めました。中新湊まで歩いたのでしょうかね?。列車交換可能の電停にしては、ポイント〜ポイントの間が長いですから、「これは貨物列車走っていたため?」などとは思いましたね。

現万葉線をかつて貨物列車が走っていた写真、眺めた記憶がありません。今となっては、デキ6501を撮影しただけでも儲けものと思っています。

2013/9/14(土) 午後 2:24 [ hideki_kobyakawa ]


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