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目指すのは、最初で最後の長野電鉄屋代線。木島線廃線間近の頃にも訪ねていますので、やはり屋代線も外す訳にはまいりません。豊橋から木島は遠い所でした。長野県北部で新潟県が程近い場所でもありました。帰りの高速道、名古屋より東京の方が近いと知って驚いたのが、約10年前ということになります。あの高速道を再び。
豊橋を夕方17時頃出立。長野自動車道の姨捨SA到着は22時頃。翌朝6時に目覚めれば、長野電鉄屋代線の屋代付近には、午前7時代に到着可能と目論んでおりました。
平成24〔2012〕年3月12日〔月〕、少々予定遅れの17:45自宅を出発。長野自動車道みどり湖PA到着は21:31。このPAに立ち寄るのは3度目です。「富山は雪。長野から富山へ来るのは、時間と諸経費が無駄では?」と息子からメール。今更、後には引けませんので、「屋代線撮影後は富山へ向う」と息子に電話し、22:18みどり湖PAを出発。松本を過ぎた豊科ICで道路会社係員さんがタイヤチェック。チェーン規制に引っ掛かってしまいました。
所持しているタイヤチェーンは20年前に購入して、これまで4回装着したバネットコーチ用の代物です。現在のワゴン車は、バネットコーチより幅広のタイヤを履いていますが、1度試しに装着してみました。「何とか使えそう……」。古いタイヤチェーンを装着した結果は、豊科ICから姨捨SAまでの32.4kmを走行する間に5回トラブル。側道へ止めたり、トンネル側道でチェーンの状況を確認します。揚句の果て、片側のタイヤチェーンフックが折れてしまい走行時はバタバタと喧しいです。騙し騙し走行して姨捨SAへの到着は0:40。寒さと疲労でヘトヘトでした。
平成24〔2012〕年3月13日〔火〕、目覚し時計は6:00にセットしておきましたが、聞いた記憶はありません。姨捨SAの売店が開いておりましたので、“きのこおろしそば”で朝食。NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が始まってしまいました。姨捨SAの出発は8:14。更埴ICを出たのが8:35。高速道でスリップ事故が多発したようで、更埴IC以北は通行止めでした。その分、一般道は渋滞しております。トロトロ走行している間にタイヤチェーンは更に異音を発します。コンビニの駐車場へワゴン車を入れたところ、タイヤチェーンは内側へずれてしまった状態でした。ここでタイヤチェーンを外します。下道に雪はありませんので、以降は普段通りに走行して、たまたま辿り着いたのが屋代線の雨宮駅でした。9:20頃の到着です。この日の午後は、新しいタイヤチェーンを探して403号線を行きつ戻りつの繰り返し。全く想定外の1日で終ってしまいました。
屋代線ロマン紀行!レールの上の想い出 長く伸びたレール。平沢はシャッターを切る。電車が走り去る。ここは長野電鉄屋代線。あの電車は来月にはもうここを走ることはない。
平沢は今日、屋代線の電車を見収めに来た。屋代駅。平沢はここから電車に乗ったことがなかった。屋代駅から電車に乗る。長野電鉄屋代線はかつて河東線と呼ばれた。1922年6月10日(大正11年)開通。地域住民の足として活躍してきた。急行「志賀」が上野駅から湯田中駅まで乗り入れた時期もあった。今、屋代・須坂間の90年間に幕を下ろそうとしている。車窓から見るこの景色ももうすぐ見られなくなる。 上記番組のためのロケであったと推測しております。番組を眺めたくとも、当地では長野朝日放送を視聴することは出来ません。「連写2眼の13号機を構える平澤幸子さん、オンエアーなりませんかねー」。何はともあれ、テレビ内で活躍する女性アナウンサーと会話して、直に撮影させて頂く事自体初めての経験です。タイヤチェーンに感謝です。7DNo.82−46・平成24〔2012〕年3月13日(9:33)撮影。
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こんばんは。かなりお久しぶりです。
屋代線には4年前の冬に乗ったことがあります。
夕方〜夜の乗車でしたが乗客が私と友人含めて4人くらいしかいませんでした。
車窓も町の明かりはほとんど見えず、ひたすら暗闇の中を走っているような路線でした。
廃線の話を聞いたときはやっぱりなと思いましたが、路線が廃止になるというのはむなしいものです。
2012/3/24(土) 午後 9:07 [ ですとろいあ ]
ですとろいあ様。はてはて、誰なのでしょうと思いましたが、しもさんでしたか。友人さんは、彼ですかね。
屋代線も木島線に似た雰囲気と思っておりましたが、想像以上に周辺が建て込んでいて、意外に撮影し辛い路線でした。
車両が更新されるのは、致し方ないとしても、レールが外されるのは確かに虚しいですね。
2012/3/25(日) 午前 1:43 [ hideki_kobyakawa ]
こんばんは、雪中行軍お疲れ様です、凄い根性ですね。
綺麗なお姉さんの後に鉄道画像を期待しているのですが、、、
やっぱり電車より綺麗なお姉さんですか?
2012/4/1(日) 午前 1:33 [ ふみきりマン ]
ふみきりマン様。昔、同様のルートで新潟交通を目指したこともあります。その時に比較すれば、楽であろうと想像してましたが、雪のお陰でトントンでしたね。
1枚目写真のようなタイヤチェーンは地元の人達は使用しないそうで、在庫が無くて往生しました。初日は、屋代線どころかタイヤチェーンのため走り回っていただけです。
屋代線は本数が少ないこともあり、満足に撮影出来ませんでした。当地へ戻ってからもせわしなくて、今だ撮影カットに名称を書き込む作業が終っていません。屋代線の写真は、皆さんの写真の方が見応えありますから、忘れた頃に気が向けば載せてみます。
綺麗なお姉さんは、ふみきりマンさんの方が得意分野と思っております。
長野朝日放送アナウンサーの平澤幸子さんは特別ですよ。ただ、撮影して頂いたカラー写真には、私の姿が写っておりませんでした。ショックでしたね。原因が分かりません。後は白黒フィルムを期待するしかありませんね。
2012/4/1(日) 午前 2:40 [ hideki_kobyakawa ]
高校時代までに長野電鉄はスキーに行く際かなり乗っているのですが
全く旧型車両を覚えていません。 寝ていたのかも。
東急5000系が移籍してから気にするようになりましたが
昨年久しぶりに2日間の観光をしました。
2012/4/1(日) 午後 0:39 [ ふみきりマン ]
ふみきりマン様。高校時代に長野電鉄を利用されているのですか。
屋代線は今回が初めてで、10年前は木島線廃線間近の頃でした。走っていたのは、何れも元営団のステンレスカー3500形でした。
その前となると、長野電鉄のオリジナル車が活躍していた時代です。最初のOSカーなどを撮影してあるはずです。信州中野で撮影した木島行電車は、川造タイプの車両でしたね。後に豊橋鉄道渥美線が譲り受けた車両も在籍していました。でも、どの様な写真を撮影したかは、ネガを眺めないと思い出せません。
2012/4/1(日) 午後 6:40 [ hideki_kobyakawa ]
子供の頃から野沢温泉・志賀高原に行きました。
飯山線を利用した時はC56、キハ07を見て写真も有ります。
長野電鉄はさっぱり覚えていません。
夜行直通ばかりだったと思うので寝ていたのでしょう。
2012/4/2(月) 午前 2:09 [ ふみきりマン ]
ふみきりマン様。私とは逆ですね。私は私鉄に気持がありましたので、国鉄は寝て移動するための車両でした。
C56と言えば、小海線のイメージですが、飯山線でも走っていたのですね。07DCも撮影していますか。国鉄時代の07は高校時代にハーフ判カメラでカラー撮影した樽見線の車両だけですね。地元の二俣線でも走行していましたが、こちらは見た記憶すらありません。既に東海道新幹線が開業していまして、二俣線の蒸機はソコソコ撮影しましたが、07はありません。その代わり、私鉄の07は撮影しましたよ。
2012/4/2(月) 午前 2:48 [ hideki_kobyakawa ]
こんばんは、父親はカメラを持ってスキーにいきました。
飯山線で帰るか長野電鉄で帰るかと聞かれると迷わず「飯山線」と答えました。
キハ07の後窓から景色を見ながら長野まで乗ったのは覚えています。
ネガが有るハズ、だが何処に、、?
2012/4/3(火) 午前 0:20 [ ふみきりマン ]
ふみきりマン様。時代を考えると、07はお父さんのカメラを借用して撮影したと言う事ですよね。国鉄時代の07気動車は、私世代では撮影出来ませんでした。
この長野電鉄から富山魚津駅に向う際、飯山線を跨ぎました。その後、何とか1列車だけは撮影しました。07ではなく、JR東日本のキハ111+キハ112です。
1度体験してみたいと思っていたスキーですが、未経験で人生終わりになると思っています。ゲレンデバックに撮影した写真はあります。
2012/4/3(火) 午前 2:29 [ hideki_kobyakawa ]
父親と飯山駅から乗る際、C56が停車していて写真を撮って、
交換で来たキハ07の写真を撮って乗車しました。
撮影画像は覚えているのですが、、ネガは何処へ、、、?
2012/4/3(火) 午後 6:41 [ ふみきりマン ]
ふみきりマン様。確かにネガを探すのは大変と思います。
私は撮影しただけで、多くの写真はプリントしませんでした。久々にネガを眺めると感動しますね。「へーっ!! こんな物が撮影してあった!!」と。
長野で撮影した写真処理が、まだ終っていません。デジカメ画像にカットごと名称を書き込んでいます。撮影場所や編成・車号をです。今処理しておかないと忘れてしまいますから。デジカメ画像が完了したら、次はフィルム画像もです。
仕事は無いですが、忙しいです。
2012/4/3(火) 午後 7:11 [ hideki_kobyakawa ]
まさか1Gのカードでも足らなかった廃止半月前の思い出。兎に角蠅たたきが生き残っているのが分かったから行ったのだが、設備のそこかしこが殆ど昭和30年代のままという所でした。
2012/6/16(土) 午前 7:50 [ 食卓塩 ]
食卓塩様。初めまして。
長野電鉄屋代線沿線に蝿たたきが残っていたのですか。気付きませんでした。主要な駅舎は、確かにレトロな印象でした。
廃線になってしまうので、もっと長閑な路線と思っていましたが、想像以上に沿線は建て込んでいましたね。
タイヤチェーンは想定外でしたが、全線1往復乗車しましたので、これで良しと思っています。
2012/6/16(土) 午後 4:57 [ hideki_kobyakawa ]
そうですか。蠅叩きとか、電信線群がそのまま残っている架線柱とか今では貴重なんですが。後、信濃川田駅の建屋外周を這いまわる電線とか本当に貴重なものを見て回りました。
2012/6/17(日) 午前 10:18 [ 食卓塩 ]
食卓塩様。屋代線は運転本数が少ないため、電車がやって来る合い間には、駅舎なども撮影しました。
信濃川田駅もそれなりに撮影してあります。印象的であったのは、駅前ロータリーでした。運良く長野行路線バスが到着しましたので、駅前のバスも撮影出来ました。
2012/6/17(日) 午後 4:27 [ hideki_kobyakawa ]
hideki_kobayakjawa様。信州川田駅には川崎初期鋼製車や長電の釣り掛け車や電気機関車も有りましたが、駅舎自体が非常に貴重なものであったと思います。通常ならやらない(と言うか出来ない)線路上を歩いて、屋代方にあった廃墟なんぞも撮りました。
綿内駅の待合室の時計はなかなかに面白いものでした。川田駅と同じようで微妙に違っていました。あそこは昔貨物輸送をしていた頃相当重要な駅だったのだと思います。
2012/6/17(日) 午後 10:27 [ 食卓塩 ]
食卓塩様。3月14日に信濃川田駅を撮影していた時点では、旧型車両はありませんでした。3月15日の早朝、フリー乗車券で須坂〜屋代間を1往復しています。この時、旧型車両を眺めましたので、須坂へ戻る際、信濃川田駅で途中下車しています。次の電車到着までの間、旧型車両を撮影しました。
信濃川田駅では、既に男性が旧型車両を撮影中でしたので、隣に立って撮影しております。川崎造船タイプの車両は、長野電鉄から上田交通へ譲り渡された車両を、再び長野電鉄が引き取って小布施で保存されていたようです。それら車両を14日夜間か、15日未明に信濃川田へ移動したものと思います。暫くして別の男性2名が到着。結局、皆さん長野電鉄の職員さんのようで、廃線間近という事もあり、職員さんはピリピリしていた印象です。
「旧型車両と一緒に信濃川田駅も保存されるのでは?」などと思っています。
2012/6/18(月) 午前 1:35 [ hideki_kobyakawa ]
なるべくなら架線柱ごと保存されるといいのですが。私が現地に行ったのは3月16〜17日でしたから、行き違いですねぇ。兎に角電車が来ないことをいいことに線路に降りて、構内のあちこちを撮りまくって居りました。川造の方はシートが被せられていたので床下機器ばかり取っています。
2012/6/18(月) 午後 11:31 [ 食卓塩 ]
食卓塩様。ニアミスだったのですね。保存車両は、既にシートで覆われていましたか。
モハ604〔パンタ無し川造〕+モハ1003〔長電オリジナル〕+No.3モーターカー〔2軸〕でした。ひょっとしたら若い頃に撮影しているかも知れませんので、さほどの感動はありませんでしたね。
2012/6/19(火) 午前 1:09 [ hideki_kobyakawa ]