東京都大田区蒲田界隈での生活が23年間。最寄駅が京浜急行空港線の糀谷駅であった時代は、晩年の8年間でした。
父親突然の他界。新婚生活を送った間借り部屋は、家主さんが家を建て替えるため、新たな住まいも探さなければなりません。これら事情で豊橋へ戻る事を決断しました。糀谷幼稚園を卒園した長男は、豊橋の小学校へ入学。長女幼稚園入園も豊橋からスタートしました。以来、来年で20年目になります。
糀谷〔こうじや〕間借り部屋から最も近くに存在した空港線踏切での写真を紹介します。一昨年、事務所忘年会へ出向いた時に撮影したカットです。自転車に子どもを乗せて萩中公園へ遊びに出向く際には、必ず横断する踏切でしたが、空港線の光景は激変しておりました。糀谷から豊橋へ引っ越す際には東京生活に未練もありましたが、久々に糀谷商店街を歩いて、「こんなにゴチャゴチャした所で生活していた!!。今なら、もうイイヤ」。
写真1枚目、京浜急行空港線の大鳥居〜糀谷間を走行する京急2028他上り急行新逗子行。本来は、写真右手が上り線、写真左手が下り線なのですが、ホテルエアーライン〔写真右手3階建て建物〕横にダブルクロッシングポイントが建設されました。羽田空港を発車した急行新逗子行は、上り線を走行した来た後、写真のポイントで下り線に進入して地表線を走行。第一京浜国道の踏切を横切り京急蒲田へ向かいます。京急蒲田でスイッチバックした後、下り列車として横浜方面へ向うことになります。D100No.471−63・以下全て平成22〔2010〕年12月25日〔土〕撮影。(10:33)。
写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。京急2021他上り急行新逗子行。写真右手の茶色フェンス横は細い路地になっており、昔はこの路地から3連の空港線電車が撮影可能でした。D100No.471−66・(10:33)撮影。
写真3枚目、2枚目写真と同じ方向を見ています。高架線から下る形で元々の上り線を走行する京急1401他下り急行羽田空港行。D100No.471−68・(10:34)撮影。
写真4枚目、3枚目写真の後追いカット。京急1484他下り急行羽田空港行。上り線を走行して来た下り列車は、ダブルクロッシングポイントで本来の下り線へ進入します。環状8号線〔写真右手側〕に面してホテルエアーラインは存在します。環8沿いにも随分高層ビルが増えたようです。D100No.471−69・(10:35)撮影。
写真5枚目、昔のように下り線を走行して来た京成3055他下り快速特急羽田空港行。D100No.471−71・(10:46)撮影。
写真6枚目、5枚目写真の後追いカット。京成3055他下り快速特急羽田空港行は、下り線をそのまま直進。D100No.471−72・(10:47)撮影。
写真7枚目、羽田空港からやって来た京成3701他上り快速特急青砥行。この電車は上り線を直進して高架線を走行します。DNo.471−79・(10:56)撮影。
写真8枚目、7枚目写真の後追いカット。京成3708他上り快速特急青砥行。D100No.471−81・(10:56)撮影。
写真9枚目、撮影時点の糀谷駅時刻表。羽田空港へ向うのが下り列車。京急蒲田方向へ向うのは上り列車。昔は1番線(1F)が下りホーム、2番線(2F)が上りホームであったのですが、この時点では、1・2番線共上下列車が発着する形となっています。時刻表をしっかり確認しないと、1列車乗り損なう恐れもあります。糀谷在住の頃、糀谷駅は橋上駅舎に様変わりしています。蒲田方面へ向うためには、いちいち階段を上り下りしなければなりませんでしたので、面倒と思ったものです。今にして思うと、あの橋上駅舎は何であった。2層式京急蒲田駅高架工事完成の暁には、糀谷駅高架工事も完成するものと思われます。京急蒲田駅の糀谷寄りに設置されているダブルクロッシングポイントが使用可能になれば、大鳥居〜糀谷間のダブルクロッシングポイントは再び消滅するのでしょう。D100No.471−129・(12:01)撮影。
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京浜急行空港線の撮影した辺りは線路脇に高い塀があり、車両以外は塀とビルしか見えません。車両の形式写真と思えばよいですね。ケチを付ける訳ではありませんが、私の趣味としては、生活臭のある写真が大好きです。福島交通軌道線の様な写真が大好きです。
昨日はお疲れ様でした。本日の東日新聞一面にはのんほいパーク号発車式の記事があり、その横には「親子で市電ほっトラムに親しむイベント」の記事も載っています。東愛知新聞のほうは「のんほいパーク号発車式」の記事のみが載っています。参考にして下さい。
2012/4/20(金) 午前 7:35 [ nakama365 ]
糀谷駅は 片側ホームが上下1階2階に並んでいて それぞれに上下線電車がやってくる運用をしているのですね。(単線の並列ですか)そんな運用してるとこ 初めて知りました。そんな運用をしないといけない事情が 肌身に分からないものですから・・・
不便だなあ・・位しか思えないです。
2012/4/20(金) 午前 10:17
nakama365様。都会の電車で、福島交通軌道線のような風景を求めるのは無理ですね。
東京で生活していた頃の京急空港線は、日中、3両編成の2本の電車が京浜蒲田〜羽田空港〔空港ターミナルビルへはバス乗り継ぎ〕間を行き来しているだけの喉かな枝線でした。
羽田空港の沖合いを埋め立てて、新たな滑走路を増設したことで、空港線は様変わりしてしまいました。昔の本線は品川から湘南の海を目指す鉄道だったのですが、現在は、成田や都心部から羽田空港を目指す鉄道といった感じです。そこへ横浜方面からも直通列車が乗り入れ可能な路線に変更したため、難しい運転を強いられる形になってしまいましたね。
ガードマンの目を気にしながら、踏切遮断竿を脇に挟む様な姿で撮影しなければなりませんが、可能ならば、この踏切に1日立っていたいですね。京急車両のみならず、都営・京成・北総・元住宅都市の車両が次々に通過します。上下線のどちらを走って来るかが分からないところが面白いです。
2012/4/20(金) 午後 3:20 [ hideki_kobyakawa ]
杜夫様。撮影時点の糀谷駅は、地表ホームが1面。高架線がホームが1面での運転でした。京急蒲田駅2層式の高架ホームが完成すれば、糀谷駅も高架の相対式2面ホームに落ち着くものと思います。
京急蒲田駅は、地表ホームと2階高架ホームを使用して運転されていますが、最終的には、これをそっくり棟上して第一京浜国道踏切が消滅します。京急蒲田駅は、2階と3階のホームを使用して運転されることになりますね。品川方面電車の乗り場は、「2階?、3階?」の形は残ってしまいます。昔から慣れ親しんでいる京急蒲田駅でしたが、たまに出向くと券売機の操作からマゴマゴするだけの田舎オヤジに落ちぶれました。
2012/4/20(金) 午後 3:51 [ hideki_kobyakawa ]
この踏切に一日立っていたいと言うことは、この写真では判らない何か良い事が有るのでしょう?私も気に入った撮影箇所があれば、時間の許す限り、その場所で待つ事があります。昨日トイカ・マナカ相互記念カードを買いに行ってきました。私は買う気は無かったのですが、ほっトラムの命名者の方が3種類のカードを買うと言っていたのを家内に話したら、カードを買いなさいとお尻を叩かれる感じで、買いに出掛けました。我が家にはマナカが一枚あるので、二人で出掛けて地下鉄に乗る時には一人は切符を購入、もう一人はマナカでスイスイと不便をしていました。スイカカードが二枚あるので、これが将来豊鉄や地下鉄に乗れるようになるまで、待っている予定でした。
2012/4/22(日) 午後 9:46 [ nakama365 ]
nakama365様。先日クリニックへリハビリに出向き、東日新聞を確認しました。お陰様で帰りに新聞店へ立ち寄り、東愛知共々購入しました。
電車乗るのにICカードを使用する気持はありません。現在は電車に乗車するチャンスが無いですね。購入したのはテレフォンカードまでですが、最近は出番ないですね。ポイントカードや診察券が増えてしまい、カード探すのも楽ではありません。
2012/4/23(月) 午前 1:49 [ hideki_kobyakawa ]
続、nakama365様。字数オーバーでした。
この写真を載せた意図分かって貰えませんか?。
豊橋の市内線で説明してみますね。東田坂上の渡り線が、1枚目写真の様なダブルクロッシングポイントになったと思って下さい。駅前からやって来た赤岩口行電車をポイント切替で、駅前方向へ向う線路を走らせるようなものです。赤岩口から駅前へ向う電車は、逆に精文館東店側のレールを走らせて、坂上の渡り線で本来のレールに戻す。
運動公園系統だけは、従来通りの運転を繰り返す。仮にこの様な運転が行なわれたら、南側の東田電停で駅前行電車を待っていたら、北側の東田電停へ駅前行電車がやって来て、乗り損なう結果となってしまいます。
京急蒲田駅高架工事の関係で、京急蒲田〜糀谷〜大鳥居の間は、複雑な運転を余儀なくされています。
2012/4/23(月) 午前 2:03 [ hideki_kobyakawa ]
管理者様 ご丁寧な解説をありがとうございます。
さて、昨日3201号は朝の臨時で使用されました。よって臨時幕・回送幕を撮影、坂上の渡り線・側入さらに午後には側出まで撮影して、昨日の撮影は終了しました。マナカ等のICカードを使用しても割引等は無いので、私としては以前使用された紙の回数券が良いな、と思っています。マナカにはポイント制度も有りますが、乗車機会の少ない人には関係ないようです。
2012/4/24(火) 午前 7:39 [ nakama365 ]
nakama365様。晩年の東京生活でも家風呂は無い生活でしたので、夕方になると毎日銭湯へ通っていました。写真踏切の傍を連日歩いていましたよ。当時は3両編成800形の普通電車が行き来するだけの路線でしたが、今では8両編成の快速特急等が次々と通過します。京浜急行と相互乗り入れする鉄道会社が、東京都交通局・京成電鉄・北総開発鉄道・元住宅都市整備公団〔現在は北総に統合〕です。これら会社の種々な車両が、この踏切を通過します。全車両を撮影しようと思ったら1日でも足りないですね。しかも、どちらの線を走ってくるものかが現場では分かりません。日本の珍々踏切の1つと思います。撮影し辛いことは確かです。
昔の線路感覚ですと、1〜4枚目写真の赤い京急車両は、全て逆走しています。京成電鉄の車両が正当な走りですね。
21日は、町内組長+女性部ブロック長として、初めて公民館の総会へ出向きました。下準備のため女性部として早出、後片付け。最終的には役員さんらと酒呑みつつ雑談。呑み過ぎながらも、残った食料を掻き集めて帰ってまいりました。この間6時間でした。
2012/4/24(火) 午後 3:06 [ hideki_kobyakawa ]
続、nakama365様。またまた字数オーバーでした。
相変わらず、めまぐるしく活動されているようですね。当方は、まだ3月撮影のデジカメ画像の後処理が終りません。暫らくはおとなしくしていたいと思っています。
昔の土佐電鉄軌道線白黒写真を少々スキャンしてみましたので、後日投稿した際には、是非、現土電風景と見比べて下さい。
2012/4/24(火) 午後 3:19 [ hideki_kobyakawa ]
私が空港線を訪れたのは今から30年程前で、中小私鉄に手を染める前の話です。首都圏の国鉄から吊掛車が消えたので、次第に国鉄を離れて私鉄の吊掛車にシフトしていきました。
当時の空港線では湘南形400形が3連で走っていたと思います。羽田空港駅に降り立った時に思ったのは「空港は何処?」。そこには、航空機の姿はおろか、航空機の爆音さえ聞こえませんでした。「これって、詐欺じゃない」と思ってしまいました。
空港線が延長され、文字通り『空港線』になるまで何年かかった事でしょう。
あなた様の記事で過去の一コマを思い出しました。
2012/6/3(日) 午後 11:22 [ とりぬまぐみ ]
とりぬまぐみ様。お久しぶりです。つい先程、富山から戻ってまいりました。特急「しらさぎ」に乗車して全区間寝ていました。名古屋からは最終の「こだま」になってしまいました。初の新幹線N700系乗車ですが、「しらさぎ」も「こだま」もタバコ吸えません。
私が初めて空港線を撮影した時は、230形の3連でした。その後、正面3枚窓の400形、湘南顔の500形であったと思います。700形も1000形も入線しましたが、東京生活終わりの頃は、達磨顔の800形3連でしたね。
昔の羽田空港は自転車で飛行機の撮影に行きました。京急使用ですとバスに乗り換えなければなりませんので、京急を使用することはありませんでした。当時の羽田空港駅は、駅前が川で、使用されなくなった鉄橋が残っていました。近くは、東京モノレールが地下へ潜る場所でもありましたので、モノレールも撮影しましたね。当時はモノレールも4連でした。
2012/6/7(木) 午前 1:12 [ hideki_kobyakawa ]
もうこの記事を書いてずいぶん経たれるのですね。私は10代後半から20台半ばまでを羽田5丁目で過ごし、学校は都内へ、アルバイトは萩中のダイエーの近所でやっていました。
その後卒業して就職してもしばらくこの空港線と本線を乗り継ぎ都心部の会社へ通勤していましたが、あの赤錆と鉄の匂いのする空港線がずいぶんと見違えるようになっていてびっくりです。
20台半ばに大家さんが建て替えると言うので羽田から高円寺へと引っ越しましたが、グーグルで見ても、この記事の写真を見てもさっぱりわからない位変わりましたね。そう言えば萩中公園は当時羽田の下宿から糀谷のバイト先まで自転車で通った道筋でした。
2013/9/6(金) 午前 6:45 [ 5丁目 ]
5丁目様。遅くなりました。この2〜3日はバタバタしていまして、ブログ更新もままなりません。
私は、昭和44年から23年間、大田区蒲田界隈で生活しておりました。最初が雑色。次は南蒲田でした。その後、糀谷の糀谷神社付近へ引越しています。
2013/9/6(金) 午後 7:14 [ hideki_kobyakawa ]
5丁目様。字数オーバーのため追伸です。
職場事務所も最初に訪ねた時には、七辻付近にありました。仕事打合せのため自転車で穴守稲荷近くまで出向くのですが、帰りの道は萩中公園北側のバッティングセンターでバットを振り回して帰ったものです。
社長と2人でキャッチボールするのに、六郷川〔多摩川〕河川敷へ出向いたり萩中公園隣〔プール横〕のグランドへも行きました。事務所は七辻から京急蒲田駅傍のマンションに移転しました。社長とキャッチボールするのは、呑川沿いのマンション前道路になりました。後逸したボールが一度、京浜急行の踏切内まで転がってしまいまして、下り本線レールとガードレールの間にすぽっりはまってしまいました。拾いに向った時、遮断機が降りてしまいました。ボールの半分がレールの上に見える状態でしたので、この時は焦りましたね。「脱線したらどうしょう」と真剣に思ったものです。都営の急行電車がボールを割って走り抜けましたが、軟式ボールの割れる音はすざましいものでした。
羽田空港駅が川の手前でプッツンしていた時代が懐かしいです。230形3連が走っていました。
2013/9/6(金) 午後 7:26 [ hideki_kobyakawa ]