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ビジネス特急「こだま」が東海道本線にデビューしたのは、昭和33〔1958〕年11月の事ですか。当時は小学生でした。中学2年生になった昭和39〔1964〕年10月1日、東海道新幹線が開業。「こだま」の愛称名は新幹線に受け継がれ、在来線特急「こだま」は、昭和39〔1964〕年9月30日をもって運転終了。
豊橋付近の東海道本線で活躍する“こだま形特急電車”の記憶はオボロゲです。我が家から東海道本線までは、小学生の足では遠過ぎました。同級生と一緒に、一度だけ眺めに出向きました。子供用自転車使用であったと思います。向った先は、現在の向山アピタ南方辺りです。水田の中の砂利道を走ったはずです。線路脇の柵に腰掛けて、通過する列車運転士さんに手を振りました。EF15形牽引貨物列車の機関士さんは、手を振り返してくれましたが、“こだま形特急電車”運転士さんは、手を振ってくれませんでした。今にして思うと、子供目線では、運転台が高過ぎて運転士さんの姿が良く見えなかったという事なのでしょう。
東海道新幹線開業後、豊川放水路南方築堤に立っていても在来線特急電車などはやって来ません。優等列車として撮影出来たのは、僅かばかり残っていた急行列車でした。
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昭和47年カラー写真ですが発色も良く、カビ等も見えず良い写真になっています。ひょっとしたら取り込みカビとりに苦労したのでしょうか?ビジネス特急「こだま」は豊橋駅を通過していたと思います。子供心に豊橋は田舎なんだ!と思いました。東海道新幹線が開業した時に「こだま」が豊橋に停車するようになり、良かったと思ったことを思い出しました。もし現在もこの写真の場所で撮影が可能でしたら、同位置での現在の写真も出して欲しかったです。先週金曜日に電話をしてくれたようですが、留守番電話を入れずに不在にしていて失礼しました。昨日はDY撮影のため朝6時40分には家を出て、JR浜松工場横の踏切で待ちましたがDYの姿は見えず、午前10時には帰途につきました。同場所にいた新幹線撮影のN氏は会社を一日休んで来ているので、ずっと待っているとの事でした。午後からN700Aの構内試運転が行われヘッドライト・ロゴマーク・車両番号等が隠されたままの姿を写真に撮れたようです。私は午後6時頃にDYが出てくるとの情報を頂き、また浜松に向かいDYの出場シーンを撮影し、帰ってきました。
2012/7/25(水) 午前 8:54 [ nakama365 ]
nakama365様。毎度ありがとうございます。
これら写真を眺められる状態にするのは、苦痛です。やった者でないと分からないでしょうね。
在来線の「こだま形特急電車」の内、「はと」と「おおとり」は豊橋へ停車しました。当時の夜行急行列車も多くは豊橋を通過してしまいました。
現在、この場所へ立とうものならば、おそらく警察へ通報されると思います。仮に立ったとしても、ゴチャゴチャで、とても写真撮影可能な状態ではありませんね。「昔は良かった」と言う事です。
2012/7/25(水) 午後 2:51 [ hideki_kobyakawa ]
親父の方です。
辻堂駅から徒歩5分という所に住んでいながら、東海道新幹線の開業が小学校1年の9月。さすがに、自転車にもまだ乗れない頃で、駅は遠すぎました。従って151系の記憶は全くありません。
153系の急行は、「東海」や「伊豆」、「なにわ」などの記憶があります。快速列車が縞模様のヘッドマークを着けていた記憶もあります。「伊那」は、S47には「富士川」とともに165系になってしまったんですね。80系の急行運用にも、間に合いませんでした。
2012/7/25(水) 午後 6:20 [ 五十鈴 拓磨 ]
急行東海、153系と165系が混成されていた時代もあったのですね。
80系300番台のころの準急時代、何度か乗ったこともあったのですが…。
それにしてもきれいな保存状態ですね。ポジスキャンですか。
2012/7/25(水) 午後 6:32 [ 日本一周 ]
五十鈴 拓磨氏のお父上殿。昔は、こだま形・日光形・東海形・近郊形などと言っていましたね。月光形とも呼びましたよね。○○系になってしまった現在は、形式が頭に入りません。
母親の実家が静岡県三島でしたから、幼少期には、豊橋〜三島の間を何度も行き来しています。最初は、茶色客車の普通列車で、途中駅で30分停車といったこともありました。特急、急行のみならず貨物列車にまで追い抜かれました。こだま形電車も眺めているはずですが、あまり印象には残っていませんね。初めて準急「東海」に乗車した時には感動しました。「速い〜」。その後、乗車することになる新幹線「こだま」は損した気分でした。「もう少し、周りを眺めながら、ゆっくり乗車したい」と思ったものです。
2012/7/25(水) 午後 7:08 [ hideki_kobyakawa ]
日本一周様。私も80系準急「東海」には乗車したのでは?。はっきりは覚えていません。
母親の実家からは、伊豆箱根鉄道駿豆線が眺められました。幼少期には、80系3枚窓の温泉準急を眺めています。ヘッドマークには「いでゆ」などと表記されていました。
今回画像のカラースライドは、良いほうの部類なのですが、カビを発生させてしまい後始末には往生しています。保存状態が良いわけではありません。お見せ出来る状態にするため、かなりの時間を費やしています。白黒フィルムとて同じですね。
2012/7/25(水) 午後 7:30 [ hideki_kobyakawa ]
この場をお借りして失礼致します。
日本一周様、急行「東海」、昭和51〜52年頃の話しですが、一般型改造された155系や159系まで混結していました。165系の混結なんざあ、可愛いもンです。
kobayakawa様、JRになってから、たとえ各停でも、「貨物に抜かれる」ことは無くなりましたね。前に各停がジャマしていても、貨物はいつも黄色信号で徐行しています。小生の通学時代は、レベルの低そうな貨物に抜かれるために、熱海で7分停車とか、腹の立つことがたくさんありました。
2012/7/25(水) 午後 10:24 [ 五十鈴 拓磨 ]
五十鈴 拓磨氏のお父上殿。普通列車が貨物列車に抜かれたのは、1度だけはハッキリ覚えています。やはり熱海でもありましたか。
そう言えば、修学旅行専用車両を使用した列車もありましたね。若い頃は、写真の場所に何度も立っていますので、おそらく写してあると思います。今回は国鉄急行の写真を並べましたが、名鉄の旧型車両や飯田線の旧型国電もやって来ますので、ゴソッと撮影するのには、誠都合の良い場所でした。
2012/7/26(木) 午前 1:29 [ hideki_kobyakawa ]