平成25〔2013〕年5月26日に放映された“中京テレビ 遠くへ行きたい「清流・仁淀川と天界の山里」旅人:ベンガル”の録画映像を最近になって眺めました。番組のスタートは、JR土讃線の単行気動車走行シーンでした。車内のベンガルさんの話では、高知駅から乗車して伊野駅で下車します。ベンガルさんが降り立った伊野駅ホームの映像、以前、ブログで紹介した伊野駅発車のキハ58 96を撮影した方向と同じでした。駅構内、周辺景観共々、それ程雰囲気が変っていませんでしたので、「アッ!!」と思ったものです。土佐電鉄の伊野電停から西方へ500mも歩けば、清流・仁淀川の堤防道路です。全く知りませんでした。現在であれば、仁淀川に架設されたJR土讃線の橋梁も眺めたいものです。
土佐電気鉄道伊野線が、はりまや橋〜伊野間であることも知りませんでした。単線区間のみが伊野線と思い込んでおりましたので…。
レタッチ作業が終了した伊野電停付近の別白黒画像を紹介します。今回は側線にスポットを当ててみます。
写真1枚目、伊野電停、伊野待合所前に停車中の600形616+617の2連知寄町行。側線は写真左手方向に分岐します。白黒No.893−24(26)・昭和48〔1973〕年7月31日(7:20頃)撮影。
写真2枚目、伊野電停から分岐する側線を本線越しに撮影。この様な風景が私の好みなのです。「線路の先に何があるのだろー?」と思うと、心ワクワクします。可能であれば、この側線を走る車両を撮影したかった。白黒No.893−34(36)・昭和48〔1973〕年7月31日(7:20頃)撮影。
写真3枚目、側線横から撮影した600形616+617の2連知寄町行。白黒No.893−31(33)・昭和48〔1973〕年7月31日(7:20頃)撮影。
写真4枚目、伊野電停側線の末端は、この様な感じでした。写真後方、山の斜面、法面防護壁と思われる物は、国鉄伊野駅前から眺められた物に同じと思います。昭和44年のピクトリアル誌223号によれば、ここは「伊野車庫」と表記されています。車庫と言えば、車両の保守・点検を行う庫が存在するものという固定観念がありますので、車庫と言うより車両留置線と言った印象です。画像を取り込んで、「1番線から4番線までが存在。これ程、広かったー!?」。撮影当時のことは覚えておりません。構内広さの割りには、600形612号がポツリ1両。「ラッシュ時で、他の車両は出払ってしまったのでしょうか?」。仙台市電の長町車庫へ続く出入庫線は、ソコソコの距離がありました。それに比較すれば、土佐電鉄は短距離です。この様な線路形態を何と呼べばよいのか判断出来ませんので、取り合えず側線と表記しておきます。白黒No.893−32(34)・昭和48〔1973〕年7月31日(7:20頃)撮影。
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こんな立派な側線があったのですね。
私が行ったのは平成になってからでしたので、この側線は正直気がつきませんでした。
土讃線の仁淀川鉄橋もなかなかいい雰囲気でしたよ。
2013/8/30(金) 午前 11:00 [ 日本一周 ]
日本一周様。別の方から頂いたコメントでは、側線の面影は残っているようです。消滅してしまったことだけは確かです。
路面電車車庫多くは、道路横の広い構内といった印象なのですが、写真のレールは、車庫といった感じはしませんし、何とも不思議な雰囲気を持っていました。
土讃線の仁淀川鉄橋を撮影されていますか。羨ましいです。若い時であれば、「年内に出向いてみよう」と飛び出したのですが、現在はとても無理です。「今週も来週も病院へ行かなければ…」です。
2013/8/30(金) 午後 2:04 [ hideki_kobyakawa ]
先日、所用で高知に行ってきました。
帰りのバスを2時間待ったのですが、その間に伊野までいって写真を撮ってくればよかったとこの記事を見て思いました。
昔の写真で非常に貴重な写真ですね。
この塗装は今でも変わりませんが、伝統を大切にしている会社ですね。
2013/8/30(金) 午後 10:06
とも様。土佐電鉄の単線区間、中々趣きがありますね。伊野まで行かなくて、朝倉の方がお勧めです。狭い道路の単線併用区間が存在します。これは私の好みなのですが…。
最近、伊野発着の電車本数が減ってしまったと聞きました。
ご多分に漏れず、土佐電鉄の車両も広告電車が増えてしまった気がします。
2013/8/31(土) 午前 2:25 [ hideki_kobyakawa ]
ごぶさたしてます。
僕が見てきた所はここです。
見たい物をずばり見せていただきまして、感謝します。
列車本数が減ったとの事ですが、写真1枚目の右側線が現在使われてない事からも分かります。
写真奥のスプリングポイントを右に開いて固定し、列車交換できないのです。
写真2枚目3枚目の側線は、レールはそのままにアスファルト舗装され、地元民の道路になっています。
写真4枚目の車庫は、現在左の1線のみ残り、そこも含めて全てアスファルト舗装され、地元民の駐車場にされています。
電柱はコンクリート製が3本残されています。
右の側線は短いため、木製電柱の頃に撤去されたのかもしれませんね。
1番
2013/9/3(火) 午後 3:57 [ かふん ]
(すみません、途中で送信してしまいました)
1番左のレールのみ、最後まで車庫として使っていたのでしょうが、いつまで架線があったのかはさっぱり分かりません。
車庫に屋根がなかった事が分かり、大変すっきりしました。
整備などを行なう場所ではなかったのですね。
だだっ広い桟橋車庫があるのですから、こんな末端に経費をかけないのは当然ですよね。
ありがとうございました。
2013/9/3(火) 午後 4:19 [ かふん ]
かふん様。前回コメント頂きましたので、やっとお見せすることが叶いました。側線を撮影した写真は、これで全てです。2枚目写真に写る吉野外科、現在の周辺地図を確認すると存在しないようですね。
別のフィルムも取り込みたいと思っています。その中には、伊野電停の2両横並びも写してあったと思います。確か、1両は旧塗装でした。定着不備のフィルムであったり、カビが発生したりしていますので、躊躇したままです。他の路線へ気持ちが向ってしまいましたので、土佐電鉄は暫くありませんね。
2013/9/3(火) 午後 6:28 [ hideki_kobyakawa ]
かふん様。話は変りますが、先日、黒柳さん親子が冊子15冊を取りにみえました。“テレコ”次第で1500流出も近そうです。廃業して稼ぎない身の上ですから、助かります。
2年以上そちら方面へ出向いていませんので、出向きたい気持ちもあるのですが、三河田原の関係で中々決起出来ません。
その内、お好みの平面交差をお見せしますね。発表されたことの無い写真と思っております。
2013/9/3(火) 午後 6:41 [ hideki_kobyakawa ]