画像1枚目、東京神田の塔文社が発行した“ニッポン分県地図帖”の三重県ページ〔2頁見開き〕の一部。発行年月日は記載されておりません。高校生の頃、購入したものと思います。価格は800円。工事中の道路に「昭和39年2月完成予定」の表記がありますので、昭和35〔1960〕年頃を表示しているものと想像します。正に小学生時修学旅行の時代です。津市と松阪市を結ぶ国鉄紀勢本線の西側に位置するのが、近鉄の名古屋線・大阪線・山田線。紀勢本線の東側〔海寄り〕にも私鉄路線が表示されています。こちらは、昭和36〔1961〕年1月に廃止となった近鉄伊勢線。この路線の存在は今まで知りませんでした。三重交通神都線も不確実ながら記載されております。近鉄伊勢線、三重交通神都線は、ほぼ同時期に廃線になっています。
昭和36〔1961〕年1月19日限りで三重交通神都線は廃線。神都線の540形3両(541〜543)を豊橋鉄道が譲り受け。モ600形として営業運転を開始したのは、昭和36〔1961〕年3月26日。白井良和先生の記事に記載されておりました。となれば、豊鉄市内線、競輪場前電停井原側のカーブで初めてモ600形試運転電車を眺め「バカでかい電車が走って来た!!」と仰天したのは、小学5年から6年生に変わる次期になると思います。3ヶ月後に修学旅行で神都線廃線後のレールを眺めたことになります。
国鉄伊勢線〔現:伊勢鉄道〕の開業は、昭和48〔1973〕年9月1日とありますから、この地図では建設以前の状態です。
画像2枚目、近年のマピオン地図。一身田で修学旅行専用列車は運行不能。急遽チャーターされたバスに乗り換え近鉄の駅へ移動。大雨の影響で国鉄は不通。でも、近鉄が走った理由は理解出来ませんでした。この地図を眺めると少々納得出来ます。国鉄一身田駅から近鉄駅まで走ったバスから眺めた光景は、一面水浸しの水田ばかり。再放送された沢口靖子さん主演のサスペンスドラマ“西村京太郎サスペンス 鉄道捜査官”に、チャーターバスが走ったであろう道路を俳優さんが歩くシーンが登場しました。現在では、びっしり住宅が建て込んでおります。一身田の駅舎は当時のままのようです。
写真3枚目、押入れを物色していたところ出てきた小学生時修学旅行思い出の品。我が家には白黒テレビすら無かった時代です。カラー写真が欲しくて購入したのであろうカラー写真カード1箱。写真右手はスタンプ帳。大きさを比較するためにタバコを置いてあります。7DNo.267−34。
写真4枚目、スタンプ帳、最初のページ。7DNo.267−36。
写真5枚目、スタンプ帳、徴古館のスタンプ。徴古館へは行った記憶はありません。7DNo.267−39。
写真6枚目、スタンプ帳、内宮・外宮のスタンプ。36.6.26、伊勢到着の日?。7DNo.267−42。
写真7枚目、スタンプ帳、勾玉池〔まがたまいけ〕の3色スタンプ。駅に置いてあるスタンプとは異なり、1回幾らで押して貰ったハズです。女性であったような気がします。3つの色違いスタンプを慣れで押します。「ずれないよう上手く押すものだ!!」と感動しました。草書体文字は読めません。7DNo.267−44。
写真8枚目、スタンプ帳、鳥羽港と天の岩戸。天の岩戸は眺めました。海女さんの実演は現在まで眺めたことはありません。NHK朝ドラ、じぇじぇじぇの「あまちゃん」が懐かしい。7DNo.267−52。
写真9枚目、スタンプ帳、最後の1つ前。36.6.23?。日付を修正していなかった?。7DNo.267−53。
写真10枚目、スタンプ帳、最後のスタンプ。二見伊勢屋さんへ宿泊したのでしょうか?。現在も老舗旅館として健在のようです。修学旅行の時、米は配給制で持参しなければならなかったと、お世話になっている少々年上の理髪店旦那さんに伺いました。ウィキペディアの一文を拝借致します。『戦時中及び終戦後しばらくは、レストランなどの飲食店でカレーライスなどのように米を使っている食事を注文するときや、旅行で旅館に宿泊し米飯の提供を受ける際などは、現物を持参するか旅行者用穀類購入通帳を提出しなければならなかった』。………小学生の頃、自宅に米は当然あるものと思っていました。今にして思えば、母親三島実家から米を送って貰っていたのかも?。学校給食は小学生時のみ。給食に“ごはん”が出なかったのが不思議で仕方なかったのですが、今頃になって、やっと理解出来ました。7DNo.267−54。
写真11枚目、高校生の頃、バックナンバーで購入した鉄道ファン創刊号。昭和36年6月13日の日付と、昭和36年7月1日発行と表記されています。76ページの内容で、表紙以外のカラー写真は38〜39ページ見開きで名鉄パノラマカーの画像1カットのみです。価格は150円。修学旅行で伊勢へ向った頃、初めて書店に並んだことになります。昨年12月に購入した鉄道ファン誌634号は、200ページ強の内容で、特別定価1200円〔税込み〕。鉄道ファン誌は53年分を保有していることになります。修学旅行で許可されたお小遣い300円。現在の価格で2000円位?。
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御無沙汰しています。
私の小学校の修学旅行は名古屋市でしたので
奈良、京都で関西線は蒸機、東海道線はEF58?で
昭和33年の事です。
国鉄一身田と近鉄高田本山間は歩いた事がありますが
子供の足では大変でバスですね。
国鉄宮川橋梁は当時も今も同じガーター型?で
近鉄はトラスト?でこの差かも?
お米持参の事ですが私達は持参しませんでした。
スタンプですが内宮、外宮は今も変わりません。
勾玉池は舞妓さんがいて外人向け?この頃は
進駐軍(講和条約後で違うがそう呼んでいた)の
人達が良く来ていてらしい。
松阪の「和田金」「御木本島」「賢島観光ホテル」が
コースに入っていたようです。
天の岩戸は二見神社の境内のようです。
鳥羽港付近は近鉄鳥羽駅の新設で大きく変わって
います。次は「古市」か「朝熊」に向かう図か?
鉄ファン誌の150円は鉄ピク誌より高額で
中学生にはチョット辛かった。1500円位の感じです。
常夜燈
2014/1/23(木) 午前 9:09 [ kat*r*gi8*uman* ]
常夜燈様。ありがとうございます。
遠出しても小学生の頃は、写真も残っておりませんので、記憶は至って曖昧です。同級生から電話を貰ったことで、小学生当時の事を調べてみたのですが、一字一句全てが検索でした。人様に見て頂くというより、自らのために書き残しておきました。
スタンプは全てを撮影したのですが、ブログ容量の関係で一部のみになってしまいました。別のスタンプにも舞妓さんが登場します。夫婦岩を眺める舞妓さんスタンプもあります。意外なのは、所々、鶏が登場します。伊勢は修学旅行以外では出向いていませんので、昔と現在を比較しようがありません。
当地からですと、三重県、滋賀県は遠からず、近からずであまり出向いておりません。
近鉄伊勢線は知らなかったのですが、元は伊勢電気鉄道で宮川のトラス橋梁を移設したのが、豊橋の城海津跨線橋などといった表記があり驚きました。未だ現役なのですが、「インフラが危ない」状況なのでは?。
2014/1/23(木) 午後 3:42 [ hideki_kobyakawa ]
常夜燈様。字数オーバーのため、続きです。
“ニッポン分県地図帖”は何度も眺めました。趣味誌は購入出来ませんので、地図に表記された私鉄路線を眺めて「どんな鉄道だろう」などと思ったものです。北海道には沙流鉄道などと表記されていました。三重県の地図、松阪線は廃線となってしまいましたが、「湯の山線、志摩線がナローの三重交通であった頃を撮影したかった」などと思ったものです。無理でしたが…。
ファン誌は高値だったのですか。修学旅行のお小遣い300円は、現在では3000円相当ということですね。
仙台市電の写真を拝見し、撮影場所不明箇所を特定しようと思いましたが、年代と季節が変わるだけで分からないものです。
2014/1/23(木) 午後 3:51 [ hideki_kobyakawa ]
貴重な体験でしたね。
今は自動車社会ですので、豊橋・伊勢でしたらバス旅行になってしまうかもしれませんね。
私は学校行事で団体で鉄道を利用したのは、中学の修学旅行が唯一。
100系新幹線が登場して間もないころで、2階建てのグリーン車に忍び込んで怒られました。
京都・奈良を近鉄で往復。
奈良行きは団臨列車に、京都行は定期列車に乗りました。
そのころは私鉄の形式は全く分からず記憶にもありません。
2014/1/23(木) 午後 7:47
とも様。記憶がありませんから、貴重かどうかは分かりませんね。友人の話を聞いて驚いた次第です。
小学校時代は蒸機牽引列車。
中学校時代は修学旅行専用電車「こまどり」で品川へ。東京から日光まではバスでした。日光も雨でした。
高校時代は修学旅行専用電車「わかあゆ」処女列車で山口県へ向っています。名古屋から大阪までは、別の同級生と共々運転台に入れて貰いました。通過駅の駅員さんには、私が敬礼しましたね。現在であれば新聞沙汰でしょうね。いい時代でした。ただ、帰路途中で女子2クラスは集団食中毒で岡山の病院へ隔離されてしまいました。その他は予定通り戻っていますが、高校の体育館で全員が直接検便でした。出発時と帰った時は新聞報道されました。
新幹線を利用しての修学旅行なるものは、当時は想像も出来ませんでした。
2014/1/24(金) 午前 1:10 [ hideki_kobyakawa ]
鶏は「神鶏」で神様の使いです。内宮ですと
休憩所の前に沢山います。
伊勢電・宮川橋梁は今も近鉄名古屋線で
使われています。昨日も通過しましたが
大丈夫そうですヨ
常夜燈
2014/1/24(金) 午前 8:47 [ kat*r*gi8*uman* ]
こんにちは
自分がパノラマの模型を作った時にその鉄道ファンの図面をコピーしました。
ブックオフで100円でした。
300号の中にそのまま復刻版が挟まってます。
長さ80cmぐらいの図面です。
広告まで復刻してました。
他の記事も付いていてそっちの方がお買得です。希少価値は負けますが。
2014/1/24(金) 午前 10:55 [ azumashigechiyo120 ]
常夜燈様。「神鶏」なのですか。検索して確認しました。1つ勉強になりました。ありがとうございます。
伊勢電気鉄道の元宮川トラス橋梁は、近鉄名古屋線にも転用されたということなのですか?。
伊勢電気鉄道で検索した結果、ウィキペディアには、『宮川を渡る鉄橋のトラスの一部は豊橋駅を跨ぐ陸橋に転用されて現存しているが、宮川橋梁自体を偲べる構造物は大神宮前方にある橋台のみである。宮川堤駅から大神宮前駅までの路盤は線路に転用されている』とありましたので、豊橋の城海津跨線橋の「インフラが危ない」と思ったのです。昔の城海津跨線橋は絶好の撮影場所でしたが、現在はフェンスが設置されてしまいましたので、何も出来ません。
JR参宮線の宮川橋梁を撮影したい気持ちはあります。伊良湖から伊勢湾フェリーで鳥羽へ向う手はあるのですが、夕方5時代のフェリーに乗船しないと帰れなくなってしまいます。
2014/1/24(金) 午後 7:09 [ hideki_kobyakawa ]
東重千代様。鉄道ファン誌創刊号には、確かに1/60サイズの折込図面も添付されています。図面を引き出した状態でも撮影はしましたが、容量の関係で今回は割愛しました。
高校生の頃、豊橋にあった模型店のオジさん本人が真鍮で製作した名鉄パノラマカー先頭車1両と中間車1両を購入しました。同じ店で友人も同様にパノラマカーを購入しています。2人分を揃えると4両編成になりましたね。悔しいかな、友人が購入した模型の方が出来はいいですね。2両では様になりませんので、ケント紙で先頭車両もう1両を自作して3両編成にしました。
後に中村精密のパノラマカー真鍮製4両編成キットを購入しましたが、手付かずのままです。
豊橋から名古屋・岐阜へ向う時には、必ずパノラマカーの最前席を確保したものです。馴染み深い電車でした。でも乗車した回数では、京浜急行の1000形の方が多いと思います。こちらも真鍮製キットを購入しましたが、同様に手付かずのままです。
2014/1/24(金) 午後 7:33 [ hideki_kobyakawa ]
パノラマも京急旧1000も両方すきな車両でした。
あのデザインのままインバーターを載せて復活して欲しいです。
キットを組み立てないのも一つの楽しみかたですよね。
自分もアニメキャラのプラモ3つ手付かずです。
食玩で安いから勿体なくは無いですね。
いつでも買えると思うと購買意欲はなくなるし、いつでも作れると思うと 、、
2014/1/25(土) 午前 8:47 [ azumashigechiyo120 ]
東重千代様。模型で製作するのであれば、パノラマカーの両運転台単行車両を作ろうなどと思ったこともありますね。パンタグラフは何処へ載せましょう?。
パノラマカーの最前席へ乗車していた時、目前を子犬が横切りました。「轢かれてしまったのでは?」と思っています。
夜中近くの京浜急行1000形先頭車両に乗車。京急蒲田駅を発車した特急は一気に加速。間も無く雑色通過という頃、側面からバチッと火花が上がりました。以降はガタガタ音と共に走行。雑色ホームを過ぎた場所で停車。40分程車内に缶詰でした。飲酒運転の車が乗車していた先頭車両の中間付近に突っ込んで来たようです。この時は乗用車の2名が死亡しています。お陰で急行「銀河」の指定席券はパアーになってしまいました。
2014/1/25(土) 午後 4:12 [ hideki_kobyakawa ]
こんばんわ
凄い体験されてるんですね。
自家用車で事故するよりもましですが。
交通ルールを守って安全運転しましょう。
大阪では黄色は青と一緒で 、赤でも5秒間は行けると こだまさんが言ってました。
パノラマの両運転台 いいですね。
ワンマンなら車掌のスペースもいらないし。
2パンにしてエアコンなしで窓も開かなくて。
乗客には半殺しになってもらいましょう。
2014/1/25(土) 午後 7:58 [ azumashigechiyo120 ]
東重千代様。翌日、国鉄〔JRではなかったと思います〕蒲田駅へ指定席の払い戻しに出向いたのですが、「当日来て下さい」と言われました。京急から出して貰えず、アパートへ戻った時は日付が変わっていました。1週間後、同じ時刻の京急に乗車して横浜乗換えで大阪へ向いました。
豊橋でも一緒ですよ。黄色の道路信号で止まろうものなら、後続車両に追い抜かれ、「バカヤロー」などと罵声浴びせられます。大阪へ車で出向いた時には驚きました。信号機付き交差点の角に車が駐車していました。
2014/1/26(日) 午前 2:11 [ hideki_kobyakawa ]
伊勢電・旧宮川橋梁については拙作HPの
ローカル私鉄の今昔→西日本・伊勢電鉄
→その他を開くと画像がご覧頂けます。
銘板もUPしてあります。
豊橋から伊勢へはJRの青空フリーパスは
どうでしょうか?2500円で安いのですが
体力が必要かも?
2014/1/26(日) 午前 9:26 [ kat*r*gi8*uman* ]
常夜燈様。開き方が最初分かりませんでしたが、やっと理解出来ました。豊橋城海津の跨線橋は、スパン長い橋梁を持ってきたのですね。
伊勢電気鉄道どころか、近鉄そのものもあまり撮影してありません。路線全線を歩くことに目標を置いていましたので、名鉄や近鉄のように1路線が長いと撮影の対象にはしませんでした。走っている車両は何でもいいですから、全線全区間を撮影したいという気持ちを優先しました。
2014/1/26(日) 午後 7:11 [ hideki_kobyakawa ]