岐阜市内の徹明町で元三重交通神都線車両を撮影したことがあります。2両連結のニコニコ電車っぽい車両でした。ハーフ判カメラにカラーポジフィルムを充填して撮影しましたので高校生の時です。
名鉄美濃町線の終点美濃まで初めて乗車したのは、昭和44〔1969〕年8月5日になると思います。随分昔の事ですから、当時の記憶もすっかり薄らいでしまいました。この日撮影した画像の一部を無作為に取り込み、レタッチ。マウントを付けた状態で取り込んだため、マウントを外して再トライと思ったまま時間だけが経過してしまいました。この日撮影した画像の一部は既にブログで紹介しています。纏まりはありませんが、一旦処理を済ませた別画像を少々紹介しておきます。
岐阜駅前では8:00過ぎに撮影。徹明町での撮影が9:40頃。美濃駅での撮影は11:00頃となっております。豊橋を6:30頃発車するパノラマカー新岐阜行特急先頭車両に乗車して新岐阜へ向ったものと思います。岐阜市内線を撮影しつつ徹明町まで歩く。そして、美濃町線電車に乗車して終点を目指すといった運びであったと思います。
豊橋から美濃は遠い所でした。現在の豊橋鉄道市内線で“ビール電車”・“おでんしゃ”として活躍するモ3203を含む3両のモ3200形は元美濃町線で活躍したモ580形で、この日、モ580形も走行しておりました。新岐阜乗り入れ用複電圧車モ600形が誕生する以前の時代です。
写真1枚目、国鉄岐阜駅前で撮影したモ565。北陸鉄道金沢市内線用として6両製造されたモハ2200形なのですが、金沢市内線廃線を期に名古屋鉄道が譲り受けモ560形を襲名。岐阜市内線で活躍する姿です。北陸鉄道金沢市内線最後の新造車はモハ2300形2両。こちらは、豊橋鉄道が譲り受け。モ300形〔2代目〕として市内線で運用開始。その後、モ3300形に改番。岐阜市内線モ560形を、更に斬新にしたのが豊橋市内線モ300形でしたが、スタイルの基本は似ています。以下全て、昭和44〔1969〕年8月5日撮影。No.100−14(8:25)撮影。
写真2枚目、美濃町線で活躍していたモ510形とモ520形は、改造工事が施され揖斐・谷汲線直通車両として転属。岐阜駅前を発車したのであろうモ526急行揖斐行。金宝町〜徹明町間にて。揖斐・谷汲線直通運転を開始して、それ程時間が経過していない時期であったと思います。No.100−27(9:23)撮影。
写真3枚目、徹明町に停車中のモ504新関行。ダブルルーフでトラス棒を備えた古参電車も活躍しておりました。乗降扉の横に立っているのは車掌さんでしょう。モ504の後方にチラリと見えるのはモ580形と思います。No.100−34(9:40)撮影。
写真4枚目、赤土坂に停車中のモ521徹明町行。揖斐・谷汲線用として改造されることのなかった車両で、この年の12月には廃車になっているようです。モ500形同様、トラス棒を備えた古参電車です。No.101−28(15:21)撮影。
画像5枚目、平成17〔2005〕年3月31日〔火〕の中日新聞夕刊1面。岐阜の600V線が全廃になって既に9年が経過しますか。写真の真っ赤モ571も昔は美濃町線でも活躍しておりました。
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こんばんは。4枚目に背筋がゾクゾクッ!としました。興味を抱いて、岐阜を訪ねなくちゃ、と決心したときには、すでに見られなくなっていた塗色でした…。豊橋から美濃が遠いなんて、乗り換えなしで行けたところではありませんか。(でも、しじゅうピーピー云っていた高校生にとっては、確かに【定期券で乗れないところ】は全て【遠いところ】ではありましたね。)
2014/3/28(金) 午後 10:20
まつしま様。モ510・520形は、岐阜市内線→揖斐・谷汲線を走る時代を撮影した方が多いです。美濃町線で活躍する姿は、4枚目写真のモ521のみですね。私はモ500形に感動しました。古参電車なのですが、結構俊足でした。
豊橋からパノラマカーに乗車して新岐阜終点で下車。当時の美濃町線起点は徹明町でしたから新岐阜駅前→徹明町までは市内線2区間乗車するか、歩かなければなりませんでした。
市内線車両が赤一色になってしまったのはガッカリでしたね。モ510・520形までもが赤一色の時代もありました。晩年は2枚目写真の塗り分けに戻されましたが…。
2014/3/29(土) 午前 2:17 [ hideki_kobyakawa ]