3年程前、JR飯田線大海駅で撮影した写真を並べておきます。
豊川鉄道が豊橋〜豊川間で営業を開始したのは、明治30〔1897〕年7月15日。その後、新城までの延長期間を経て大海までレールが到達するのは、明治33〔1900〕年9月23日。明治時代の大海駅は豊川鉄道の末端駅で、以来114年の歴史ある駅なのです。大正12〔1923〕年2月1日、鳳来寺鉄道が、長篠〔現大海〕〜三河川合間を開業。これで大海駅は境界駅に変わっています。その後、田口鉄道も開業するのですが、計画当初の田口鉄道起点駅は長篠〔現大海〕でした。実現していれば、大海駅は私鉄3社の集う駅ということになります。
雑多な旧型国電が活躍していた国鉄飯田線の時代には、奥地〔日帰り最長水窪まで〕まで、時々、車を走らせたものです。旧型国電が消え、貨物列車も廃止。飯田線の主流電車が119系に置き換えられてからは、遠出しようという気持ちも失せてしまいました。
写真1枚目、JR飯田線大海駅プラットホームより豊橋方向を撮影。写真奥に見える踏切は何度も横切っていますが、国鉄時代を含めても大海駅に入った記憶はありません。踏切付近から旧型国電でも撮影してあれば、儲けものといった感じです。7DNo.61−61・以下全て、平成23〔2011〕年11月2日撮影。(14:26)撮影。
写真2枚目、JR東海、飯田線大海駅1番ホームの駅名標。7DNo.61−62・(14:27)撮影。
写真3枚目、大海駅構内のポイント。開いている側が緑色。閉じている側はオレンジ。ポイントと連動して風車のような装置も回転するものと思います。「JR西には無い」と息子が話していましたので、右に倣えで撮影しておきました。7DNo.61−65・(14:31)撮影。
写真4枚目、大海駅に到着する119系E8編成2連天竜峡行。7DNo.61−66・(14:33)撮影。
写真5枚目、4枚目写真より更に接近。7DNo.61−68・(14:33)撮影。
写真6枚目、島式ホームの2番線より撮影。現在は特急「ワイドビュー伊那路」も通過してしまう飯田線の途中無人駅です。7DNo.61−69・(14:33)撮影。
写真7枚目、1番線到着119系E8編成クモハ119−5031+クハ118−5023の2連天竜峡行。側面は通勤形車両もどき、好きになれない理由は正面窓回りが黒であること。京急1500形に同じ。えちぜん鉄道へ譲り渡された119系R編成〔ワンマン対応車〕は正面が改造されたこともあり、かえって新鮮な感じがします。一時期は国鉄車両でもあったわけで、飯田線から消滅してしまった現在、それなりに懐かしい電車ということにしておきます。7DNo.61−72・(14:34)撮影。
写真8枚目、大海駅を発車する119系E8編成2連天竜峡行後追いカット。クモハ119−5031側。7DNo.61−76・(14:34)撮影。
写真9枚目、JR飯田線大海駅舎と駅前広場。駅舎を出て階段を下った所にある物は、電話ボックスと郵便ポストのみ。無人駅であるため勝手にホームへ入り撮影していたのですが、この写真を眺めると駅舎内に駅員さん3人の姿が確認出来ます。「どの様な状況であった?」。忘れました。7DNo.61−83・(14:41)撮影。
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だいぶ昔に鳳来町の親戚を周り帰りに車で送ってもらったのが大海駅でした、一回だけですがこの駅から帰ってます。以後は大体新城まで送ってもらってますが
2014/10/2(木) 午後 2:27
お久しぶりです。お元気ですか。
竹倉温泉は何年前になりますかね。お袋もすぐ下の妹も歳相応の状態に陥ってしまいましたので、「竹倉温泉再び」は決起不能です。外泊もおぼつかなくなってしまいました。
昔の道路地図ですと、只持・布里地区辺りから道なりに走ると必然的に大海へたどり着いてしまいましたね。近年は新しい道路が建設されたこともあり、狭い大海の町中を通り抜けないルートを走行することが多くなりました。
2014/10/2(木) 午後 3:15 [ hideki_kobyakawa ]