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連写2眼1号機は、アサヒペンタックスSPの上にハーフ判カメラ“ミノルタ・レポ”を搭載。2号機は“コニカC35”を載せました。3号機は“キャノネットQL17”。4号機になって“キャノンEX EE”を搭載しました。4号機に至って、やっと1眼レフの2段重ねが完成しております。昭和46年のことでした。
1〜3号機使用の期間中は満足な白黒写真が記録出来ませんので、6×6版2眼レフ“ミノルタオートコード”を携えることもありました。ブロニーフィルムで撮影した白黒フィルムは60本程度と思います。
高画質フラットヘッドスキャナー、EPSON GT−X970を購入した理由の1つは、ブロニーフィルムの取り込みです。久々に花巻電鉄軌道線を撮影したブロニーフィルム1本を取り出し。ネガを眺めて汚れの酷さに愕然。カビクリーニング液とレンズクリーニング液でフィルム両面を擦ったものの上手くは処理出来ませんでした。試しにエプソンスキャナーで取り込んだところ、結果はそれ程悪くはありません。でも、拡大すると細かな汚れは無数に存在します。1カットのフィルム面積は35mmフィルムの比ではありませんので、レタッチ作業に費やした時間は半端ではありませんでした。気が向いた時に少しづつ処理して1ヶ月で終了すれば良しと腹をくくっております。12カットを取り込み2カットのみが終了。残りの10カットに関しては、考えただけで凹みます。
写真1枚目、新豊橋を発車して三河田原へ向う急行電車ク2402+モ1601の2連後追いカット。渥美線車両は、昭和43〔1968〕年11月1日に大改番。撮影の1年前には、ク1504+モ1201として走行していた編成です。写真奥の柳生橋駅は通過してしまいます。6×6白黒No.45−1・昭和44〔1969〕年8月11日(15:18)撮影。
写真2枚目、“コニカC35”で撮影。柳生橋駅に到着する普通電車モ1851+モ1801の2連後追いカット。貫通扉を備え乗降扉が2扉の時代です。柳生橋駅の時刻表が写っておりました。文字までは読み取れません。昼前後の下り列車、毎時1本は大清水止まり。もう1本が三河田原行であったようです。合間に通過する急行電車の運用は調べてみないと判明しません。昭和44年当時は、市内線の赤岩口終点同様、三河田原も僻地であったようです。貨物線の架線を支えているビームは、在り合わせの材料で工面したような代物です。白黒No.76A−10(10.11)・昭和44〔1972〕年11月1日(12:01)撮影。
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大変に貴重なお写真見せていただいてありがとうございました。
決して格好いいとは言えないク2402。
タイミング的には間に合ったはずですが、当時の自分には撮りに行くことはしませんでした。
今拝見するとすごく魅力あふれる電車ですよね。
2015/2/5(木) 午前 10:50 [ 日本一周 ]
> 日本一周様。毎度ありがとうございます。
神中鉄道のガソリンカー→相模鉄道時代クハ1504→豊橋鉄道渥美線でク1504〔改番後はク2402〕といった経緯のようです。相方電動車は元静岡鉄道の切妻タイプでしたから、ちぐはぐな編成でしたね。台車はガソリンカー時代のままと思います。
渥美線に流電は2両在籍しました。もう1両の方を寸法スケッチしたと思います。高師側線に留置されていた車両の床下に潜り込んで、床下機器も撮影したものです。
2015/2/5(木) 午後 2:25 [ hideki_kobyakawa ]