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この際ですから、前回に続いて福井鉄道鯖浦〔せいほ〕線を撮影した翌々日までの行動を再チェック。雨で濡れてしまったミニノートは読み辛くなっていますので、今回は表記内容全てを書き込んでおきましょう。
昭和47〔1972〕年8月4日、福井の旅館“桃屋”を出立。福井駅の一時預かり40円。京福電気鉄道越前線、福井−勝山間の運賃260円也。撮影記録では7:45〜7:50の間、京福電鉄の福井駅構内を撮影。9:25には勝山駅で撮影。この間に京福電車へ乗車して福井から勝山へ移動。勝山からは乗車区間を戻る形で小舟渡まで歩きました。当時、勝山−京福大野間の路線も健在でしたが、この区間を撮影することはありませんでした。後々、後悔する結果となってしまいました。勝山で冷し中華+かき氷180円。発坂でスプライト+アイス120円。小舟渡17:45発の京福電車で福井へ戻る。乗車運賃220円也。福井駅前で炒飯+餃子380円。セブンスター100円。福井駅でビール+つまみ190円。福井19:14発、急行「北陸1号」に乗車。金沢でコカコーラ+みかん220円。この日も糸魚川駅で下車しておりました。8月4日、出費総計1,710円也。
昭和47〔1972〕年8月5日、糸魚川駅の待合室で4:00まで眠っておりました。糸魚川5:13発の富山行に乗車。富山駅で下車すると富山地方鉄道の入場券も購入。30円也。富山駅でかき氷50円。寿司+サイダー400円。7:00〜8:20の間は富山駅〔地鉄含む〕構内で撮影。富山駅から小松駅まで北陸本線の列車で移動していますが、乗車時刻も下車時刻も記録無し。10:40〜12:25の間は小松駅で尾小屋鉄道車両を撮影。12:30〜12:40の間は小松駅で国鉄列車を撮影しておりました。小松でかき氷90円。コカコーラ等100円。この後、北陸鉄道小松線の電車に乗車して終点の鵜川遊泉寺12:59頃到着。乗車運賃80円也。鵜川遊泉寺から沿線を撮影しながら歩いて小松へ戻っています。途中の加賀八幡でコカコーラ等100円。ミニノート+タバコ120円。小松へ戻ると、かき氷+サイダー110円。パチンコもしておりました。100円使ってタバコ4箱入手。更に晩飯の炒飯180円+かき氷70円+サロンパスリニメント200円。この日は小松で宿泊しています。旅館名称の記載はありません。8月5日、出費総計1,630円也。
8月3日−福井鉄道鯖浦線の撮影。8月5日−北陸鉄道小松線の撮影。8月6日−尾小屋鉄道の撮影。8月7日−加越能鉄道加越線の撮影。8月10日−富山地方鉄道笹津線の撮影。昭和47〔1972〕年8月、周遊旅行で巡ったこれら5路線は、全てが見納めでした。
以前に紹介した時とは異なる鵜川遊泉寺駅での画像を並べておきます。
写真1枚目、北陸鉄道小松線、鵜川遊泉寺駅のモハ3004。下車直後の撮影です。No.437−4・昭和47〔1972〕年8月5日(13:00頃)撮影。
写真2枚目、鵜川遊泉寺駅舎越しに撮影したモハ3004。カバンを手にした女の子が電車に乗り込みます。No.437−10・昭和47〔1972〕年8月5日(13:15頃)撮影。
写真3枚目、発車間近のモハ3004と鵜川遊泉寺駅舎。終着駅ながら実に小ぶりの駅舎です。架線は路面電車に同じで直接吊架式。画像を眺め今になって気付きました。No.437−11・昭和47〔1972〕年8月5日(13:15頃)撮影。
写真4枚目、鵜川遊泉寺発車直後のモハ3004後追いカット。踏切を横切れば、直ぐに梯川を鉄橋で渡ります。電車に乗車した女の子が、窓から顔を出し、手を振ってくれました。No.437−13・昭和47〔1972〕年8月5日(13:15頃?)撮影。
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昭和の頃、友達と金沢に旅行に行った時に寄った北鉄野町駅で
路線図でこの駅を見てましたが、こんなのどかな駅だったんですね
2015/2/19(木) 午後 5:01
> 茶美王様。随分各地へ出向かれていますね。私も昔は日本各地を飛び回っておりましたが、昨今は自宅引き篭もりの生活です。母親のお陰で…。
昔撮影したままでプリントすることもなかった写真を処理していれば、時間を持て余すこともありません。
北陸鉄道小松線は、ひたすら田圃の中を走って僅かな時間で終点の鵜川遊泉寺へ到着してしまう感じでした。
2015/2/19(木) 午後 7:48 [ hideki_kobyakawa ]
私が北陸鉄道小松線を訪れたのは昭和59年。
この頃は情報も無くて廃止になる事を知りませんでした。
電車の写真を撮っただけに終わってしまい、乗っておけば良かったと後悔しています。
2015/2/24(火) 午後 9:47 [ とりぬまぐみ ]
> とりぬまぐみ様。遅くなりました。昨今はPCの前よりテレビの前に座っている時間の方が長くなってしまいました。「ぎん」の書き込み削除に苦労されていますね。
改めて調べてみると、北陸鉄道小松線の廃線は、昭和61〔1986〕年5月31日限りとありました。私が撮影してから13年半程は健在だったのですね。昭和61年頃は、仕事で雁字搦めになっていた時期と思います。
片道歩いて撮影した程度の記憶しか残っておりません。沿線風景に変化がありませんでしたので、何の印象もありませんでした。
2015/2/25(水) 午前 5:37 [ hideki_kobyakawa ]
小松線は大きな小松工場の壁の隣りをまっすぐ走っていた、という記憶しかないのですが
鵜川遊泉寺駅の側線が使われたことがあるのか気になります
延長計画もあったようですが、作らなくて無難でしたね…
2015/3/1(日) 午後 0:09
> LUN様。トラックバックありがとうございます。
取り急ぎウィキペディアを検索してみました。小松線は、元々、鉱山鉄道として開業したようですね。鉱山口−鵜川遊泉寺間は廃線になっていますが、大正時代の話でした。
鵜川遊泉寺駅構内脇の木造建造物が何であるかも不明です。
時にコメント頂く、常夜燈さんのHP“ローカル駅の庭坪”を確認してみましたが、国鉄との連絡線は写っていないようです。新小松駅で撮影された知らない時代の小松線車両が紹介されています。
2015/3/1(日) 午後 5:24 [ hideki_kobyakawa ]
小松駅の国鉄連絡線は、必要になった時に適当に敷いていたようですよ。
3000系が金石線から転属してきた昭和46年の鉄ピク誌には、国鉄側を向いて左に連絡線があるのが確認できます(…すみません。号数は失念しました。)
応急的に線路を敷設した状態と、普段とがあまり違わないです(笑)。
なんとも適当さ丸出しなのが、当時の北陸鉄道の魅力だった…と言ったら、関係者の方々には失礼でしょうか…?
2016/7/22(金) 午後 11:11 [ rus***** ]
> rus*****様。一度に多くのコメント頂きありがとうございます。撮影当時の記憶が残っていませんので、返信コメント書き込むのにも往生します。
小松線も沿線を一度歩いただけです。沿線風景が単調で、鵜川遊泉寺駅の雰囲気が良かっただけの路線でしたね。
2016/7/23(土) 午後 1:33 [ hideki_kobyakawa ]