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東京都大田区で下宿生活を始めたのは、昭和44〔1969〕年4月。東京での生活に見切りを付けて故郷豊橋へ戻ったのは、平成5〔1993〕年3月28日〔日〕。この間、約24年間。でも、昭和44〔1969〕年当時は学生運動が決起盛んな時期で10月まで授業はありませんでした。豊橋の実家から岡崎へアルバイトに通い、稼いだ給金で東北周遊をしておりました。11月から翌年3月までの授業のみで1年生は終了。実に有意義な1年間でした。
雑色で5年。糀谷で8年。すると南蒲田での生活は11年間ということになります。今になって思い返すと、東京では様々な事がありました。
「革靴を買いに出ましょう」。南蒲田のアパート“鶴屋荘”を出発。環8道路を横切り、京急空港線の蒲田踏切を眺めながら第1京浜国道を横断。京急蒲田駅舎前を歩き京急本線の踏切を横切ると右折。アーケード街から国鉄蒲田駅へ続く道路を1往復すれば、あらかたの品物は購入することが可能でした。アーケード街の靴屋さんに入店。高価な靴が並んでおりますので、「もう少し安い靴はありませんか?」と質問。「家はラフな品物は置いてありません」が返答でした。「この店は分不相応」と思い、少々、京急蒲田駅寄りの靴屋さんへ入店。茶色の革靴を購入しております。
“鶴屋荘”の玄関扉を開いて中へ入ると、土間の左側壁面にはコインロッカーのような木製下駄箱が備えられておりました。1・2階共、中央廊下とトイレは共用。2階部屋、入口の施錠を解除して室内へ。6畳1間ながら押し入れ横には小さな流し台がありました。
購入した革靴は、下階、土間横の下駄箱へ入れておいたのですが、1週間程で行方知れずに。「誰かが履いていってしまった?」。諦めて再びアーケード街へ出向き同じ革靴を購入しております。
数ヶ月後であったと思います。蒲田警察署から電話がありました。捕まった窃盗犯が“鶴屋荘”の下駄箱から革靴を盗んだことを自供したようです。そこで環8沿いの蒲田警察署に出向くことに。調書を作成するために暫し聞き取り調査。担当官に「どのような靴でした?」と聞かれましたので、履いていた革靴を見せ「これと同じ物です」と返答。「ご本人の靴であることを確認しました」などと言われ、奥の部屋から靴を持ってきてくれました。無くなった革靴が戻ってくることなど想像もしませんでした。「窃盗犯の素性までは勘弁して下さい」と言われましたので未成年だったのかも…。「革靴盗んで何をしたかった?」。アパートの狭い下駄箱には同じ革靴を2足入れることになってしまいました。
この件は、事務所呑み会では何度も笑い種になってしまいました。「俺なら盗まれた靴と同じ物は買わねーや」と社長。
写真1枚目、京急蒲田駅西口。写真右側が高架工事進捗中の京急蒲田駅。写真左側の建物は、駅前再開発のため全てが解体されてしまったものと思います。スーパーマーケット“ライフ”手前を左折すれば、蒲田駅西口のアーケード街。ND100No.471−8・以下全て、平成22〔2010〕年12月25日撮影。8:57撮影。
写真2枚目、アーケード街から眺めた京急蒲田駅西口。地方行脚のためのフィルムを購入したのは“ナカムラ写真店”でした。写真左手、人物が2人立っている場所辺りに店は存在しましたが、撮影時には別店舗に様変わりしております。「伊豆出身のお姉さん、今は何処で何をしている?」。ND100No.471−7・8:56撮影。
写真3枚目、空港線、京急蒲田駅を発車する京成3584急行羽田空港行。高架工事のためゴチャゴチャの景観になってしまいました。昔、警手が遮断機を上げ下げしていた時代が懐かしい。ND100No.471−11・9:03撮影。
写真4枚目、3枚目写真の後追いカット。第1京浜国道の踏切。急行羽田空港行後部車両は京成3517。大田区在住時代、空港線で撮影した車両は、3両編成の230・400・500・700・800形でした。1000形が試験走行したのも撮影したような…?。ND100No.471−11・9:03撮影。
写真5枚目、第1京浜国道の踏切。京急604−8快速特急羽田空港行後追いカット。日陰に立っていたので寒いこと。ND100No.471−21・9:30撮影。
写真6枚目、第1京浜国道の踏切上部。歩道橋からの撮影。高架軌道を走行する京成3524印旛日本医大行。ND100No.471−25・9:34撮影。
写真7枚目、第1京浜国道の踏切を背にして糀谷駅方向を撮影。京急蒲田駅到着間近、京急2068急行新逗子行。昔であれば、写真右手のレールを走行していたのですが、撮影時点では架線も脱線ポイントも撤去されておりました。ND100No.471−36・9:55撮影。
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