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名鉄パノラマカーに乗車して、岐阜へは何度も足を運んだものです。東・西・北へと延びていた岐阜の600V電車線は魅力多き路線でした。高富線と鏡島線は、既に廃線となっておりましたので鉄道趣味誌を眺めるのみ。新岐阜駅近くの車庫や単車を眺めたこともありません。
名鉄を利用する場合、早朝に自宅を出発しても揖斐・谷汲・美濃へ到着するのは昼近くになってしまいます。遠い所と思ったものです。夏に出向けば猛暑でグロッキー。美濃町線奥地を撮影するため、冬、ワゴン車で出向いたこともあります。高速道路SAで車中泊。熟睡して目覚めた時、ワゴン車は雪に埋まっており、行動開始するまでに時間を費やしてしまったこともありました。何度も出向いて全線全区間の撮影を目指したのですが、目標は達成出来ないまま全線廃線と化してしまいました。
岐阜はデート場所でもあり、プロポーズした場所でもあります。子供達+ばーちゃん2人を引き連れて岐阜観光索道・金華山ロープウェイに乗車したこともあります。岐阜は思い出多き街なのですが、600V電車線が全廃となってしまった今、岐阜を訪ねてみたいという気持ちは微塵もありません。
写真1枚目、元金沢市内線のモ552が公園前電停に到着。北陸鉄道金沢市内線で活躍した小ぶりなボギー車は、道路の狭い岐阜の街並みにフィットしていたと思います。白黒No.457−9(10)・昭和46〔1971〕年8月15日(10:49)撮影。
写真2枚目、モ552に更に接近。電柱に掲げられた電停名は「公園前」。「こおえんまえ」と仮名が振られています。写真奥で軌道は左方向へカーブしますが、カーブした先も写真の道路と同じ一方通行であったと記憶しています。軌道敷設道路が一方通行であるのは稀なケースであったと思います。阪神北大阪線天六、西鉄北九州線小倉付近しか思い当たりません。白黒No.457−10(11)・昭和46〔1971〕年8月15日(10:49)撮影。
写真3枚目、公園前電停を発車して長良北町へ向かうモ552後追カット。緑とクリームに塗り分けられていた時代は、車掌さんが乗務しておりましたか。写真後方の山が金華山。麓は岐阜公園で、山頂の岐阜城が間近で眺められる場所であることは現在も変わらないハズです。撮影から44年が経過。白黒No.457−11(12)・昭和46〔1971〕年8月15日(10:49)撮影。
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岐阜市内線の写真撮影は困難を極めました。容赦なく軌道内に侵入する自動車に邪魔され、『軌道内通行可』の道路標識が憎々しく見え、標識をスプレーで塗りつぶしてやりたくなりました。
岐阜県議会におけるある議員の発言が、岐阜市内線の廃止に追い込んだと聞いています。乗客が電車から電停に降りたところ、自動車にはねられ死亡・・・・道路交通法第31条では「車両は、乗客の乗降のため停車中の路面電車においついたときは、当該路面電車の乗客が乗降を終わり、又は当該路面電車から降りた者で当該車両の前方において当該路面電車の左側を横断し、若しくは横断しようとしているものがいないくなるまで、当該路面電車の後方で停止しなければならない。」とあります。この県会議員は道交法を違反して事故を起こしたドライバーを擁護し、名鉄に対して牙をむいた訳です。
第セク化の話もあったようですが、電停の改良などの費用を考えると断念せざる得なかったと考えられます。
ドライバーのマナーの悪さが軌道の存続を危うくしている現実があります。
2015/9/1(火) 午後 10:14 [ とりぬまぐみ ]
> とりぬまぐみ様。おはようございます。
岐阜市内の道路は狭い上、路線バスの走行も多くバスの陰に入ってしまい路面電車が全く見えないなどといったことはよくありました。
新岐阜駅前で車両を撮影していたら、「何を撮ってんだー」とどやされたこともあります。暴力団員らしき男が自分の方にカメラ向けたと思ったのでしょうね。
歩道すぐ横の車道に立って美濃町線を撮影していた時には、乗務員が電車を降りて来て「ここで撮影するのはやめて下さい。私達が叱られますから…」と言われたこともあります。
昔の話で細かなことまでは忘れましたが、明治村で走らせる元京都市電のN電を岐阜市内線でテスト走行させた時、確か市長?が当時の名鉄社長を呼んで厳重注意したこともありましたね。「古い車両を岐阜市内で走らせるとは何事だー」といったニュアンスであったと思います。当時の名鉄社長が「岐阜の電車は絶対廃線にはしない」と言っていた時代であったと思います。間違っていたらごめんなさい。
2015/9/2(水) 午前 6:39 [ hideki_kobyakawa ]