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今回は、京都市電稲荷線の終点・稲荷です。撮影した画像を眺め、45年も経過した現在の周辺状況を確認することなど不可能と思っておりましたが、地図とストリートビューを比較・確認したことで疑問を抱いていた箇所は少々クリア出来ました。「稲荷電停は、何故、川の上に存在した?」。 ウィキペディアを参照して、もう一度、おさらいしてみます。
● 明治12〔1897〕年8月18日、官営鉄道(後の東海道本線)として京都駅−稲荷駅−大谷駅間が開業。⇒これが国鉄奈良線のルーツになると思います。
● 明治28〔1895〕年2月1日、京都電気鉄道伏見線として七条停車場(踏切南)−下油掛(後の京橋)開業。
● 明治34〔1901〕年4月12日、高倉陸橋架設/七条駅前(後の京都駅前)−(七条停車場)開業。
● 大正3〔1914〕年3月31日、油掛−東浜開業。
● 大正3〔1914〕年8月25日、東浜−中書島開業→これで伏見線全線開業。
京都市電伏見線の全線開業は、大正3年、京都電気鉄道時代の話でした。大正7〔1918〕年7月1日、京都市が京都電気鉄道を買収、京都市電伏見線となる。伏見線勧進橋から枝分かれした稲荷線に関しては、
● 明治37〔1904〕年8月4日、京都電気鉄道伏見線支線として勧進橋−稲荷開業。
● 明治43〔1910〕年4月15日に最初の路線として大阪・天満橋−京都・五条(現在の清水五条)間が開業した。阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、「京阪電鉄“カーブ”式会社」とも揶揄されたほどであったが、それを克服するために様々な技術開発が行われた。⇒京阪電気鉄道関連。
● 琵琶湖疎水は、第1疎水(明治18〔1890〕年に完成)と第2疎水(大正元〔1912〕年に完成)を総称したものである。両疎水を合わせ、23.65m3/Sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。その内訳は、水道用水12.96m3/S、それ以外に水力発電、灌漑、工業用水などに使われる。また疎水を利用した水運も行われた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見・宇治川を結んだ。
● 昭和45〔1970〕年4月1日、稲荷線廃止し、市バス83号系統に転換。
● 昭和59〔1984〕年10月1日、京都駅−奈良駅間が電化。105系・113系電車による運転開始。⇒国鉄奈良線関連。
写真1枚目、伏見線、勧進橋から枝分かれして0.689km走行すると稲荷終点。稲荷電停停車中の京都市電19系統600型692号。写真右手後方、井桁を組んだような多角形の建造物は伏見稲荷大社境内に存在します。ストリートビューで確認したところ、現在も当時の姿を留めておりました。白黒No.110−14(14)・昭和45〔1970〕年3月14日(11:17)撮影。
写真2枚目、1枚目写真の京都市電19系統600型692号を横撮り。撮影当時の事など何も覚えておりません。画像を取り込んで、「何故、川に橋梁を渡して終点にする必要があった?」と疑問を抱いた1カットです。白黒No.110−15(15)・昭和45〔1970〕年3月14日(11:19)撮影。
写真3枚目、稲荷電停停車中の京都市電19系統900型933号。500・600型の集電装置はビューゲル。900型にはZパンタが搭載されています。700型以降はZパンタのようですが、1000型はビューゲルを使用していました。別路線の画像でも取り込まないと各車集電装置の違いは確認出来ません。この写真に写る電停両側の手摺は、ストリートビューで確認すると、当時のまま使用され続けているようです。電停上屋根は流石にありませんでした。白黒No.110−28(28)・昭和45〔1970〕年3月14日(11:54)撮影。
画像4枚目、ストリートビューのワンシーンを拝借致します。写真右手、京都市電稲荷終点が存在した場所です。手摺にご注目を。画像中央後方に井桁を組んだような多角形の建造物も確認出来ます。写真左手、オレンジ色の欄干に寄り添って撮影した国鉄奈良線〔非電化時代〕の2列車は、また折りを見て紹介しようと思います。折角ですから、JR奈良線の稲荷駅舎や伏見稲荷大社の入口付近をストリートビューで巡ってまいりました。画像の橋、1週間後の元日には、多くの人で混雑するものと思われます。
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私の診療所の近くですが、京阪電車と平面交差で衝突事故があり、それ以来、手前に駅を移したと、古老が言っておりました。ご存じでしたら、すみません。
2016/2/23(火) 午後 9:14 [ まさくんの戯言 ]
> まさくんの戯言様。先生ありがとうございます。
無料検診の結果、今回は肺検診でケチが付いてしまいました。掛かり付け女医先生の紹介状を受け取るため、スクーターで出動。紹介状とは別にレントゲン写真まで受け取る結果となってしまいました。3月4日にはCT検査受ける市民病院へ行かなければなりません。レントゲン写真入れた大きな紙袋をスクーターバックミラーに引っ掛けて、先程まで市内をスクーターで走っておりました。遅くなりまして申し訳ありません。
改めて調べてみると、昭和6〔1931〕年7月9日と昭和9〔1934〕年7月2日、交差部で2度、京阪電車と衝突事故を起こしているようです。衝突事故がきっかけで終点位置を変更したとなれば、橋梁上電停が誕生するのは昭和9年以降の事になりますね。
京阪電鉄との平面交差部の画像は取り込んであるのですが、画像処理が終わっておりません。確かに平面交差部と稲荷終点位置は微妙な距離です。何時かお見せ致します。
2016/2/24(水) 午後 4:26 [ hideki_kobyakawa ]
> hideki_kobyakawaさん
それは、それは、お体を大切に。何しろ、90歳の年寄りが言うてる話ですから、何とも言えないのですが。また、ゆっくり、お調べ下さい。
2016/2/24(水) 午後 6:00 [ まさくんの戯言 ]
> まさくんの戯言様。京都市電伏見線・稲荷線を撮影したのは、廃線間近の頃で、当時、私は20歳でした。現在は年金暮らせない生活です。
国土地理院まで出向いて、明治・大正・昭和の伏見線・稲荷線掲載地図でも閲覧すれば、古き時代の状況が理解出来るかも知れません。稲荷線開業当時の稲荷終点位置を知りたいです。
2016/2/24(水) 午後 7:04 [ hideki_kobyakawa ]