連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 新年明けましておめでとうございます。皆様方にとって幸多き1年であることをお祈り申し上げます。今年最初のブログ更新ですから、昨年のブログ原稿をまたまた少々アレンジ。本年も宜しくお願い申し上げます。
 
 本音………新年明けても何も嬉しくない。父親が他界した歳までは何とか生きてみたいと思っていますが、余命のカウントダウンは既に始まっております。年が替わった事で残りは3年ソコソコ。稼ぎ無い身の上では、「人様の幸せを云々言っている状況ではない。どうすりゃいいのさ、この1年」。基本的には昨年の年明けに同じ。切り崩す預金残高も先が見えてまいりましたので、昨年より更に悪い方向へ向かっているのが現実です。
 
 やっと年金が振り込まれるようになりました。振り込まれる金額は雀の涙ほど。イヤイヤ、孵化したばかりの小雀の涙ほど…。健康保険料や介護保険料を差し引かれた金額が年金として振り込まれるものとは知りませんでした。赤字となっている普通預金の残高、1年間の年金振込みでは黒字転換ならず。
 
 認知症の母親との2人暮らし。母親1人を自宅へ残して外泊することなど、とても無理。1日外出することも侭ならなくなってしまいました。現在は、私が管理している母親の貯金通帳、「我が年金では、とても食えない。どうせ分かりゃしないから、適時⇒これを今年は常時に変更して、お袋の年金をくすねましょう」。
 
 東京での下宿生活を開始した昭和441969〕年は、大阪市電、川崎市電が全廃。世田谷線を残して玉電も廃線。花巻電鉄軌道線も廃線。他にも廃止された路線はあると思いますが、咄嗟には思い浮かびません。鉄道趣味誌で○○線は、×月△日限り廃線の記事を眺めると、即、廃止予定の路線撮影に向かったものです。慌しかった19歳の1年間でした。
 
 若い時には、やりたい事し放題。撮影した路線の多くは過去帳入りしてしまいましたので、今となって悔いはありません。若い頃と比較すれば、現在の生活は虚しい限りです。毎日、お袋の食事を工面。暫くしてお袋棟を覗き、食い散らかしたテーブル上の後片付け。何の感情も持ち合わせていない野良猫にも餌を督促されますからたまりません。毎日が同じ事の繰り返しです。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目。昭和441969〕年、初めて周遊券なるものを使用して東北地方を巡りました。上野駅から急行「まつしま」に乗車。最初に下車した国鉄駅が福島でした。昭和44615日の事です。感動のてんこ盛りであった福島交通軌道線でしたが、初訪問から2年弱で全線廃線となってしまいました。今回の写真は、廃線間近の頃撮影したカットです。撮影場所は、分かる人であれば直ぐ分かる場所。白黒No.389179)・昭和461971〕年326日(1719)撮影。
 
 
イメージ 2
 画像2枚目。またまたストリートビューの1シーンを拝借しました。1枚目写真より少々後ずさりした形になると思います。カーブに沿って並べられた“鴻野輪業”さんの自転車位置に、この画像では白の軽乗用車が置かれているものと思います。道路に設置された花壇を背にして、狭い道路を画像左方向へ進むと軌道線顕在当時の面影を垣間見ることが出来ました。

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> とりぬまぐみ様。謹賀新年でございます。マメに覗いて頂き、ありがとうございます。

昨今は、遠出が出来なくなってしまいましたので、ブログネタには難儀しています。

2016/1/1(金) 午後 8:15 [ hideki_kobyakawa ]

明けましておめでとうございます。
今年も楽しい記事を楽しみにしています。
若い時にもっと動いていればよかったと後悔しています。
それと、フィルム代をケチった事も。
今はデジカメが当たり前になりましたが、携帯のカメラも性能がよくなったので撮影はそれで済ませています。

2016/1/1(金) 午後 10:00 とも

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> とも様。新年おめでとうこざいます。富山での新春は如何なものですか?。私は冬の富山を知りません。

地鉄市内線の富山駅前を撮影したいですね。母親の現状では外泊など出来ませんが、これは一つの口実でして、切実な問題は○無いよです。「若い頃のとばっちりが、ここできましたか」。

昭和44年もそうでしたが、廃線になってしまったら、その路線は、もう撮影出来ない訳ですから、遠出した時にはフィルムをケチることはしませんでした。撮影してフィルム現像済ませばヤレヤレでしたね。今になって古いネガを眺めると、驚くことの方が多いです。「へエー、こんな物写してあったんだー!!」。

真剣モードで撮影に出る時は、今でもフィルム2段カメラも所持します。重たいですけれど、これは意地ですね。

2016/1/1(金) 午後 10:50 [ hideki_kobyakawa ]

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明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。豊橋今年は行けるかな〜?(笑)

2016/1/2(土) 午前 7:29 [ kaw*g*ech*npind* ]

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>川越珍品堂様。新年おめでとうございます。お久しぶりです。

市内線も渥美線も最近は、大きな変化はありませんね。

相変わらず路面電車の模型製作に励まれているものと思います。

2016/1/2(土) 午後 0:03 [ hideki_kobyakawa ]

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あけましておめでとうございます!(tomtomでございます)
今年も素敵な写真のUP、期待しております。

写真の長岡も、私の地元の瀬上も、写真のころと比較して商店街の
活気がなくなっていて、今更ながら驚きですね...

2016/1/3(日) 午後 4:03 [ mto***** ]

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tomtom様。遅ればせながら、新年おめでとうございます。半年ぶりになりますね。

福島交通軌道線跡の現状は全く知りませんでしたが、最近になってストリートビューで辿ったことで、少々分かってまいりました。軌道線健在当時の面影は皆無に等しいですね。それでも何箇所かは気になる場所があります。

瀬上局前の南側、専用軌道まで行かない場所に当時のまま残るお宅を確認しました。併用軌道道路の東側になります。道路側の住宅屋根を松の木が突き抜けているお宅です。松の木の大きさは、昔も今も変わっておりません。意外であったのは、向い側の平屋家屋も当時のままでした。何処のことを言っているか、お分かりですか?。

現在は瀬上の実家在住ではないのですよね。

2016/1/3(日) 午後 8:13 [ hideki_kobyakawa ]

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そうですね、実家には年に2〜3度帰るくらいでしょうか。

その家はわかります。瀬上地区で軌道線の雰囲気が残るのは、あの
S字専用軌道周辺のみと思いますが、あの家(パチンコ屋の駐車場の
裏をちょっと過ぎたあたりですよね?)は昔からあの大きい敷地に
建っていて、庭もよく手入れされているので、松の木もちゃんと
剪定されているのでしょう。
それよりも、その専用軌道の跡では?という曲がりかたの小道
(個人の敷地内ですが)が荒町側に残っていますよ。軌道のものか
どうか、ハッキリとは確認できませんけど...

あと、交差点の一角に昔からあるお店(何を売っているのか見た
記憶すらないですが)も、ひょっとしたら生き残り組では?

2016/1/5(火) 午前 3:02 [ tom*o*55ca*000 ]

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タイトルを始めに見た時にサザエさんのように財布を忘れて撮影旅行に出掛けたのか?と思いました。写真右側にあるお店が共通するのが無いか?見ましたが不明でした。昨日は情報をありがとうございます。市内にあのような旧車体がある場所があるのですねぇ。わりと遠くのようですので、なかなか行けないし、探せないでしょう。

2016/1/5(火) 午前 5:13 [ nak*ma*65 ]

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tomtom様。現在は、瀬上在住ではないのですね。ストリートビューを眺めたことで、返信コメントしやすくなりました。松の木のお宅に関しては、頂いたコメントの様な事でしたか。

福島交通軌道線の廃線跡をストリートビューで辿って、「?、これは…」と思った所が、コメント頂いたお宅です。位置としては、専用軌道へ入る辺りですね。門から奥の玄関に向かってレールが敷設されているようです。レールは道路に対して直角になると思いますから軌道線レールをそのまま残したとは思えません。「廃線後、撤去されたレールを譲り受け自宅へ敷設し直したのでは…?」などと思っています。

パーソナル編集長なるソフトを購入しました。使い勝手の訓練兼ねて、軌道線写真を1ページ2〜3枚づつ貼り付けて、取り敢えずは適当に説明書きを書き加えております。福島駅前からスタート、松川を越え、本内も過ぎ、専用軌道へ入るところまでやって来ました。現在は36ページで止まっております。37ページで専用軌道を出ようと思っているのですが、画像処理が終わっておりません。梁川・掛田まで写真貼り付けると200ページ越えてしまいそうです。

2016/1/5(火) 午後 0:19 [ hideki_kobyakawa ]

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> nak*ma*65様。お知らせしたブログを眺められましたか。昨年末の撮影ですから廃車体は健在のようですね。あの画像を眺めただけで、血が騒ぎました。

豊橋天伯のモ505廃車体を友人と一緒に寸法スケッチしたのは、昭和51〔1976〕年3月7日のことでした。40年前になりますね。まだ残っているとは思いませんでした。その後、赤岩口車庫で分解されたZパンタも寸法スケッチ。これらからモ505を1/40サイズで図面化しました。完成した図面をベースにモ505のモデルが完成しております。Zパンタの製作が難しかったです。

廃車体写真、分解Zパンタ写真、作図図面控えを揃えてブログで紹介してみたいですね。

2016/1/5(火) 午後 0:42 [ hideki_kobyakawa ]

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そうです、専用軌道に入っていたと思われるところです。
以前、あのあたりの写真を見た憶えがあるのですが、微妙に斜めに
S字カーブに進入していたようなので、案外軌道跡そのままかも
しれません。実家から徒歩圏内なので、今度実地検分してきます!

ところで、そのスペシャル製本されたもの、完成したら入手希望
なのですが...

2016/1/6(水) 午前 3:35 [ tom*o*55ca*000 ]

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tomtom様。プリントアウトした写真を眺めながら、新鎌田から瀬上へ向かう電車のルートを説明しますね。

建設予定の国鉄丸森線〔現:阿武隈急行〕を斜めに横切り100m位で小川〔現存〕を越えます。更に150m?位走ると、右45度位の角度で専用軌道へ入ります。カーブする内側〔進行方向右側〕には石材が写っております。

ストリートビューを再度確認しました。山、口、甲?へんに島原さん宅の門から奥に向かってレールは、やはり直角で、少々進んでグイと左へ曲がります。ですから軌道線当時のレールのままではありません。このお宅前から少し北へ進むと石材店が存在しました。今回初めて気付きました。?原さん宅へ押し掛けて話を伺えば、疑問はクリアー出来ると思います。今では福島は遠い所です。

2016/1/6(水) 午後 1:35 [ hideki_kobyakawa ]

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tomtom様。字数オーバーのため追伸です。

撮影した画像を見られる状態に仕上げないことには先へ進みません。カラー500カット以上は処理しました。未処理は、まだ200カット位はあると思います。同時撮影した白黒写真が同数として、望遠レンズ専用機・6×6版2眼レフで撮影した白黒画像を含めると白黒写真は1000カット位になると思います。撮影画像の処理は道半ばです。9年が経過しても。

福島交通軌道線、今では人生の最終目標にしておりますが、余命を考えると「無理かなー」と言うのが実感です。主要車両の形式図・詳細路線図作成も考えてはいるのですよ。

現地の現状等をブログ通じてお教え頂けますので、tomtomさんには感謝しております。

2016/1/6(水) 午後 1:45 [ hideki_kobyakawa ]

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”これは...ひょっとして?”と私が思っているのは、瀬上から
新鎌田に向けて専用軌道に入るところです。当時からあったと
思われる、古〜いお店(?)を過ぎたあたりの個人の敷地に入る
あたりが、実に怪しい角度の道になっています。
4月には行く予定ですので、ご報告します!

余命などとおっしゃらずに、ライフワークとしてマイペースで
お続け下さい。私も健康に留意しつつ、気長にお待ちしております。

2016/1/7(木) 午前 3:12 [ tom*o*55ca*000 ]

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tomtom様。未処理の画像とストリートビューを確認しました。確かに怪しい角度になっていますが、個人のお宅へ入るだけの私有地道路のようですね。専用線〔100m位〕の廃線跡は切り売りされ個人宅敷地の一部になってしまったようです。

瀬上局前から専用線方向へ向かうと左手に浜田酒店〔現在は建て替えられビューティサロン アイドル・クリーニング白洗舎・酒浜田屋〕が存在します。そこから少々進んだ右手に個人宅?〔現在は瀬上ごとう店〕が存在します。このお宅の塀が、昔も今も変わっていないと思います。大谷石?を積んだ塀です。塀の脇には、姿は変わりましたが、昔も今も道路標識が立っています。

軌道線電車は、この塀をかわす形で斜めに専用軌道へ入っていました。

書庫「豊橋鉄道田口線・後日談」の4ページの最下部に「豊橋鉄道田口線・後日談」のタイトルで写真1枚添付してあります。そこに住所・電話番号・メールアドレスを書き込んであります。ご帰郷前にでも宜しかったらメールでも下さい。暫定36ページ等をプリントアウトして郵送しますよ。昔の写真を見せれば、?島宅のレールらしき物も探求できると思います。

2016/1/7(木) 午後 2:09 [ hideki_kobyakawa ]

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軌道跡にレール敷の残骸でもあればおもしろいのですが...
(だんだん故宮脇氏の廃線探索みたいになってきた?)

メールアドレス、ありがとうございます!

2016/1/8(金) 午前 2:57 [ tom*o*55ca*000 ]

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tomtom様。軌道線廃線後の現状は眺めることは無いと思っていました。保原駅跡・4号線を跨いだ架道橋・伊達橋・掛田駅舎に当時の面影が残る程度ですね。いまさら廃線跡を眺めても意味がないとも思っています。でも、ストリートビューを眺めたことで、気持ちが少々変わりました。

軌道線健在当時のまま残る家屋を見付けると感動します。何箇所かは確認しました。これは昔の光景を撮影していることで可能です。tomtom様が思い込みで行動しても徒労に終わると思いますよ。暫定36ページの画像のみならず、これはと思える画像はブログには載せません。

3月位になれば、パーソナル編集長も瀬上荒町辺りまで進みますかね?。画像1カットのレタッチ作業は1週間以上掛かります。古い写真ですから…。辛い作業です。

2016/1/8(金) 午前 10:55 [ hideki_kobyakawa ]

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こんにちは、福島交通軌道線を懐かしく拝見しております。
私は昭和46年3月に第三小学校を卒業しました。それまでグランド前から競馬場前までこの電車で通学していたのです。いろいろいたずらして車掌さんに怒られていたような?(松川橋を歩いて渡った)
今そんな事をしたらと考えると・・・
また、UP楽しみにしております。

2016/1/22(金) 午後 5:50 [ sankyot20 ]

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> sankyot20様。初めまして。

昭和46年3月に小学校を卒業されていますか。福島交通飯坂東線の全線廃止は、小学校卒業直後の出来事になりますね。この頃、私は21歳でした。グランド前から競馬場前までは、それ程距離は無いと思うのですが、軌道線電車で通学されていましたか。

松川橋梁は長い部類の鉄橋でしたね。電車運転頻度もソコソコありましたので、私は、あの鉄橋は歩きませんでしたね。下流側直ぐの所に4号線の道路橋がありましたので、道路橋で松川は越えています。運転本数の少ない別の私鉄路線の鉄橋は何本も渡っておりますが。

2016/1/22(金) 午後 8:42 [ hideki_kobyakawa ]


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