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写真1枚目、取り合えずスキャンした最初の画像から。仲浜町−新清水間にて。東海道本線をオーバークロスして勾配を下るクモハ63と勾配を上るクモハ57。2両共、横砂−港橋間の全線を走行する運用に就いておりました。クモハ57の後方、本線から分岐してデルタ線を構成していたレールは鉄道線の新清水駅構内に続いております。新清水駅構内にはクモハ58が留置。白黒No.647−1(2AB)・以下全て、昭和47〔1972〕年4月11日撮影。11:40撮影
写真2枚目、仲浜町−新清水間にて。東海道本線をオーバークロスするため勾配を上るクモハ57横砂行。道路中央までしゃしゃり出て撮影。白黒No.647−2(3AB)。11:40撮影。
写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。白黒No.647−3(4AB)。11:40撮影。
写真4枚目、仲浜町−新清水間にて。跨線橋の最も高い辺りを走行するクモハ61。この電車も横砂−港橋間の全線を走行していました。白黒No.647−7(8AB)。12:02撮影。
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こんばんは!
いいですねぇ、クモハ61!!
こんなきれいな画像で見せていただける機会はないと思っていましたので、本当に嬉しいです!
ダウンロードして私のアルバムに加えたいのですが、お許し頂けますか?
2016/11/5(土) 午後 9:39
最近浜松や静岡へ行く時はいつも東海道線を使っているのですが、興津から清水にかけて清水市内線の廃線跡を見ています。
ここにあのかわいらしい路面電車が今でもあったら興津から横砂まで歩いて移動してでも乗っていただろうといつも思ってしまいます。
もし今でも存在していたら?LRTになっていたでしょうね。
2016/11/5(土) 午後 10:28 [ 宵闇 ]
> まつしま様。毎度ながら遅くなりました。ご自由にお使い下さい。
61号は、昭和30年代に消滅してしまったスタイルをしています。母親実家がある三島の軌道線や松本電鉄浅間線に見受けられたスタイルです。何れも撮影は叶いませんでした。その分、清水の61号は特異な感じのする路面電車でした。
2段上って運転台。もう1段上がると客室。
2016/11/6(日) 午後 0:55 [ hideki_kobyakawa ]
> 宵闇様。清水市内線は水害で運転不能になり、そのまま廃線になってしまいました。撮った者勝ちの路線でした。
沿線風景に変化がありましたので、地元豊橋の路面電車よりは楽しい路面電車と思っておりました。
学生時代は東海道本線で東京−豊橋間を行き来していましたが、東海道本線の列車の中から清水市内線の車両を眺める機会は少なかったです。
東海道本線と平行していた軌道線跡は道路として使用されていますが、住宅がびっしり建ち並んでしまい軌道線健在当時の面影はありませんね。
2016/11/6(日) 午後 1:12 [ hideki_kobyakawa ]
クモハ61の運転台上部の幕板が広いスタイルは、松電浅間線に本当に似ていますね。
廃止の原因となった七夕豪雨の話は『ちびまる子ちゃん』にも出てきます。
今だったらLRTになっていたでしょうから、ちょっと勿体無いような感じです。
今、国1を走る路面電車は豊橋のみですが、ここ清水も国1を走る路面電車だったんですよね。
2016/11/12(土) 午前 7:30 [ 宇佐しじみ ]
> 宇佐しじみ様。「ちびまる子ちゃん」に七夕豪雨の話が登場するのですか。清水市内線が登場するわけではないですよね。
清水市内線は、ワンマン化されておりませんでした。女性の車掌さんも乗務していました。七夕豪雨で廃線にならなかった場合、ワンマン化されましたかね。静岡市内線は先に廃線になっていますので、何れにせよ、清水市内線も消えてしまう運命であったと思っています。
3〜4枚目写真を奥へ進むと国道1号線です。清水駅前〜西久保間が国道1号線を走行する区間でした。電停は道路にペンキで表示。安全地帯もありませんでした。電車に乗車する時は、交通量の多い道路中央で電車を待つことになりますから怖いですね。
追々、別の区間も紹介します。
2016/11/12(土) 午前 9:48 [ hideki_kobyakawa ]