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「北陸鉄道加南線、河南にて」と、その後の「北陸鉄道加南線、河南にて−追加」では、河南駅到着間近の山代線走行モハ1811の4カットを掲載。今回は、大聖寺から山中線を走って河南駅に到着する2連急行の画像を紹介します。山中線を走る急行は、この時、一度撮影したのみです。急行が1日何本設定されていたか?。急行の停車駅がどの駅であったか?。駅の時刻表も撮影してありませんので、急行の実態は分からず仕舞いです。
モハ3500形・モハ3550形に関して、ウィキペディアの一文を添付させて貰います。
『1961年(昭和36年)7月にモハ3501が、翌1962年(昭和37年)6月にモハ3551が新製され、2両とも浅野川線に投入された。本グループはモハ3010形の設計をほぼ踏襲しているが、新製時より前後正面とも貫通構造とされた点が異なっている。2両ともほぼ同一の仕様とされた本グループであるが、運転席窓のワイパーの位置や屋根上ベンチレーターの配置など細部に相違点が見られる。また、モハ3501には車内放送装置が設置され、これは浅野川線所属車両では初採用の装備であった。モハ3501は1964年(昭和39年)にモハ3300形と同時に加南線に転属し、同線の全廃まで使用された後、1971年(昭和46年)に浅野川線に復帰している。モハ3551は終始浅野川線から転属することなく使用され、モハ3730形とともに線区間での転属の多い北鉄では異例の存在であった。』
ピノチオ製、京福電鉄デオ300形真鍮キットを購入しました。モダンなスタイルながらポール集電だったところが魅力でした。友人と一緒に北陸鉄道浅野川線を撮影したこともあります。「撮影したのは、モハ3501だったのかも?」。浅野川線を走る車両を眺めたことで、HO京福電鉄デオ300形途色は北陸鉄道カラーで仕上げてしまいました。その後、北鉄カラーの京福電鉄デオ300形モデルは、ピノチオ店内のショーケースに鎮座することに…。手元に戻ることはありませんでした。「あのデオ、どうしたのかなー?」。足繁く通って、徐々に足が遠退いたピノチオ模型でしたが、結局は閉店。無くなってしまうと懐かしいものです。
写真1枚目、クハ1602+モハ3501急行山中行遠視。モハ1811が河南駅に進入するため信号機手前で停車中と思います。ポイントが開いておりません。白黒No.417−19(36)・以下全て、昭和46〔1971〕年5月1日撮影・9:19撮影。
写真2枚目、クハ1602+モハ3501急行山中行が河南駅へ進入。白黒No.416−15(35)・9:19撮影。
写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。モハ3501のスタイル、京福デオ300形に似ていませんか?。白黒No.416−16(34)・9:19撮影。
写真4枚目、河南駅での3列車横並び。クハ1602+モハ3501急行・モハ1811・モハ6011+クハ6061アルミカー「しらさぎ」。白黒No.416−17(33)・9:19撮影。
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これは本当に落涙ものの懐かしさです!
貴重な写真を公開していただき、今回もありがとうございます。
3501は北鉄の中では雛にも稀な、整った形の旧型車ですね。
それが遠州鉄道からの転入・改造車であるクハ1602とアンバランスなペアを組んでいたわけですが…。(なんか、美女とナントカみたいです…。)
私事ですが、よく乗ったのは1602の方でした。
3501どころか、くたに号/しらさぎ号の方が乗車の機会が多かったですから、子供心にも1602はボロく感じました。
しかしいずれにしても、山中行の電車に乗って、画像3枚目のように左から山代線の線路が近づくのが楽しみでした。
画像4枚目、河南駅の構内配線がはっきりとわかります。
しかしまあ、改めて見ても山代線は結構な急カーブで発着していたものですね。
山中線の急行は、大聖寺―河南―旭町―山中が停車駅だったようですよ。
私の記憶も不確かですが、所要時間が各駅停車と大差なかったと思います(笑)。
2016/12/3(土) 午後 11:18 [ 心は加賀人 ]
> 心は加賀人様。乗車体験をありがとうございます。私は大聖寺−河南−新動橋と歩いただけで、乗車することもありませんでした。
このような構内配線の駅は珍しいと思います。加南線で画像検索したところ「くたに」が山代線を走ることもあったのですね。
クハ1602+モハ3501は、確かにミスマッチな編成です。クハ1602、正面3枚窓のHゴムがいただけません。
山中線は、距離も短く、ひたすら山中にレールが続いた路線のようで、急行は必要なかったと思われます。
2016/12/4(日) 午後 2:06 [ hideki_kobyakawa ]
河南駅の構内配線は近鉄中川と同じで
私が最初に訪れた時は大阪線、名古屋線とも
単線で名古屋線が中央(河南駅での山代線に
相当)に入っていたと思う。河南駅では
画像の様に平面交差が有るので山代からの
電車が先に到着し、暫くして山中線の上下
電車が到着し、発車はほぼ同時だったと
記憶しています。急行運転は温泉客用では?
2016/12/10(土) 午前 8:45 [ kat*r*gi8*uman* ]
> kat*r*gi8*uman*様。そうなのですか。ありがとうございます。
豊橋で生活していますと、名鉄はソコソコ利用するのですが、近鉄に乗車する機会は実に少ないです。利用しても桑名、四日市までですね。三岐、近鉄ナローの撮影を目指す時に近鉄を利用する程度で、中川へは行ったことがありません。
4枚目写真の3列車は、ほぼ同時刻に河南駅を発車しています。その時の画像は、後日載せるつもりではおります。
2016/12/10(土) 午後 3:06 [ hideki_kobyakawa ]
河南駅の配線は、昭和38年頃までは画像のようなクロッシングではなく、山代方面からは山中線下り(山中方面行)の線にポイントで入ってから、次のポイントで右に別れて、真ん中の山代線ホームに入線する方法でした。
その後改良されて、画像のようなクロッシングでの平面交差になったのですが、山中線の上り下り両方から、山代行きにすぐ乗り換えできるようにしてあったわけです。
ポイント時代は切り替えが大変だったと思います。
いずれにしても、“お客にとっての便利さ”を、不合理なのに形にする事ができたのは時代がおおらかだったからでしょうか…?
たかだか山中線9キロ、山代線7キロ程度の路線に、よくぞここまでと、当時子供心にも思ったほどでした。
くたに号が山代線を走る画像ですが、おそらくは山代車庫との回送運転だと思われます。
くたに号が山代線を走る事はごく稀で、郷土出版社の写真集に、新製直後の試運転でしょうか、新動橋側から山代駅に入る画像があるのと、営業運転最終日に珍しく新動橋〜河南間に使われたと鉄ピク誌の記事にあったのが、ほとんど唯一のはっきりした情報です。
懐かしさと思い入れのため、連投長文す
2016/12/14(水) 午前 9:38 [ 心は加賀人 ]
コメントが切れてしまいすみません。
本当に、懐かしさと思い入れのための連投長文でした。
加南線はどちらかと言えば「鉄道ファン」にとってはマイナーだと思いますが、こんなにも暖かい目を向けていただいた事も嬉しいです。
2016/12/14(水) 午前 9:44 [ 心は加賀人 ]
> 心は加賀人様。いろいろご教示頂きありがとうございます。
頂いたコメントから想像すると、昔、山代線を走った電車が河南駅へ進入する時は、もっと急カーブであったことになりますね。
私鉄がらみの写真集は、目にすれば購入しましたが、「郷土出版社の写真集」と聞いてもピンときませんね。ピクトリアル誌の記事は探せば見付かると思います。
同時撮影した加南線のカラー画像は、衣装缶の比較的出し易い場所に
見付けましたので、気が向いたら再度スキャンしてみます。3枚目写真、モハ3501の行先表示板の色もカラーならば判明すると思います。
2016/12/14(水) 午後 1:49 [ hideki_kobyakawa ]